てぃーだブログ › オーナーシェフのブログ › 2015年10月

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Posted by TI-DA at

2015年10月29日

「ルートからの遺書」

ルートの亡くなる前日に書きました。

昨晩からルートは4回吐きました。食べ物を一切食べなくなってから一週間ほど経ちました。とうとう水分も身体が受け付けなくなっているようです。もう長くはないんだという予感がしています。

言葉で書いてしまうと言霊が跳ね返って実現してしまうようで、書かない方が良いと感じます。だけど長い旅にも必ず終わりが来るように、きちんとルートの終わりに向き合いたいです。

満月の引き潮の時間は多くの命が地球を離れ、満ち潮にのって多くの命が生まれます。偉大な魂を現世で惜しみなく発揮したこの黒い犬は、きっと最高のタイミングで生を全うし、私たちルートに関わってくれた人に教えを残してくれるのだと思っています。このスーパームーンの満月は、無限に歩み続けるパートナーとして、性別を超えて内縁の結婚を現す月だそうです。たぶん、この月はルートの魂を天に連れていくと思っています。

僕ひとりでは支えきれなそうな現実も、いま災害ボランティアで来ているあびちゃんがいてくれたり、たくさんの人が支えてくれて、僕は助けられています。
残された人達がなるべく苦しまないように、明るく明日も生きていけるように、彼は生と死の際を漂っているようです。ガンが見つかったのは、8月11日の彼の9回目の誕生日のあと。消えて行く命と向き合って二ヶ月しか経っていなかった。残された期間でたくさんの楽しい時間を共にできたことに感謝しています。

すごく充実した日々を過ごして、ルートが生まれてから死ぬまでずっとこの病と付き合って来たかのような錯覚を覚えます。死は無慈悲な裁きではなく、死を受け入れる人の物語でもある。それが死にゆく者からの最後の贈り物だと、だから、もう逝ってもいいよルート。
残された私たちルートを愛してくれた人々に対して、ルートが感謝の気持ちを伝えているようで、僕が彼の言葉を代弁して書きました。彼の遺書だと思ってください。皆様に感謝しています。明日の朝起きて、また彼と一緒に素晴らしい日を過ごせたらと思っています。




  

Posted by Moist Chocolat at 09:24Comments(1)

2015年10月29日

「ルート、9年間ありがとう」

強くて賢くて頑張りやさんだったルートは、28日11時55分に息を引き取りました。悪性リンパ腫でした。

昨晩から生と死の境をさまよい、夜の間中、目を開けていました。
ここ一週間は食べ物を一切食べず、ほとんど飲まない状態でしたが、症状の出始めの頃に比べると苦しみもずっと少なく、断食で枯れるように衰弱していきました。

雨の日の今朝、最後の力を振り絞って立ち上がり、昨晩降った水たまりでたくさん水を飲んだあと、もう昔のようには高く足があがらないながらも片足をあげて最後のおしっこをしました。
家の中に連れて帰りましたが、すでに意識が混濁していて何かを探すように、座りながら視線を空中にさまよわせ続けていました。
最後は家の中よりはと思い。大好きな芝生の上に寝かせてあげると、また立ち上がり、庭の木の下に横たわり、安心して死に場所を見つけた様子でした。
11時頃、ルートの容態が回復して意識がはっきりしたので、徹夜だった僕も仮眠を取りにベッドに入りました。夢うつつの中、何か声が聞こえて目を覚ますと、それはルートの声でした。災害ボランティアで来ているあびちゃんが僕を呼んだあと、ルートは息を引き取っていました。
最後を看取ったあびちゃんによると、ここ何週間か声を出さなかったルートが「ワン!」と吠え、そのあと何回か深い呼吸をして、長く息を吐き出したのを最後に心臓が止まったようです。
最後の時まで、僕に心配をかけさせず、眠らせてくれたルートは優しい子でした。そして死ぬ時も伝えてくれました。「ありがとう」と言ってくれたのかもしれません。

ガンで壮絶な苦しみを抱えながら亡くなる命もあります。抗ガン剤の投与や、離島からの船や飛行機での通院の勧めを、考えに考えて拒否しました。そして、パートナーの心を最後まで間違うことなく汲み取ることができ、彼の意思を尊重できて良かった。死ぬ前の朝に自力で散歩し、末期の水を飲み、おしっこをして、気遣いと、最後のお礼の叫びまで。これほど安らかな最後は無いほど綺麗な死に際を見せてくれました。
昨晩スーパームーンの満月の下で、蚊帳を張って一緒に月を見上げて眠りました。ルートから「お前はもっと前に行け」そんなメッセージを受け取ったように思います。

この素晴らしい9年間の日々には、感謝の気持ちでいっぱいです。そしてルートにたくさんの愛を注いでいただきありがとうございます。最後のお別れにたくさんの人が来て花を置いていってくれました。
私もルートに教えられた経験を大切に、これからもルートに見守られながら前に進んで行きたいと思います。

2015年10月28日 猪股 哲





  

Posted by Moist Chocolat at 08:06Comments(1)

2015年10月21日

与那国島で復興イベント開催!「みんなのちまんまの物語をつむぐ」

お待たせしました!10月31日と11月1日の両日で与那国馬をテーマにしたイベントを開催します!
「みんなのちまんま(島馬)の物語をつむぐ」と題して
初日は19時から「与那国馬との未来を考える・パネルディスカッション」
二日目は14時から「与那国馬とビーチクリーン」&「日曜町民馬あそび乗馬会」を与那国島でも一番小さな集落の比川を舞台に行います。

毎回、与那国島の外からのゲストを迎えて、私たちが忘れてしまっている島の宝物に気がつこう!そういった思いでイベントを重ねてきた「どぅなんちまゆんたく広場」の第3回目の企画です。
9月末に与那国島を吹き荒れた台風21号は、最大瞬間風速81mという想像を超えた暴風でした。それぞれの家庭や職場や生き物と暮らす方も、生活の基盤を立て直している再中だったりします。
僕はこのイベントに、台風からの復興をみんなで一緒に乗り越えるイメージを重ね合わせています。ピンチというのは、じつは不可能を飛び越えるチャンスなのです。
このような時だからこそ、与那国島が好きで与那国馬が好きな人が日本中から集まって、今回のイベントを盛り上げて欲しいと思っています。人が集まれば、大きな力が生まれると信じています。
馬という人間にとってかけがえのない生き物との歴史は、与那国島の人と馬との共存の歴史でもありました。きっとこれから始まる人と馬との新しい関わりについて一緒に考える事も、新しい歴史の始まりなのだと思います。
もうすでに、僕の中でかけがえのない島の宝物になった「与那国馬」の物語を、みなさんと一緒につむいでいきたいと思っております。
 
  「みんなのちまんまの物語をつむぐ」
   実行委員長 猪股哲

また、今回のイベントは無料ですが、諸経費や、ボランティアスタッフの交通費などがかかっております。台風被害からの復興に、このようなイベントを開催することに賛同いただける方、義援金を募集しております。みなさまのご支援お待ちしております。

ゆうちょ銀行 記号17010 番号14550421
他行より 店番708 普通預金 口座番号1455042 イノマタテツ

ジャパンネット銀行 すずめ支店 店番号002 普通預金3400108 イノマタテツ






  


Posted by Moist Chocolat at 11:01Comments(1)

2015年10月16日

与那国島より、台風被害から、復興へ向けて。

台風24号と25号が発生しています。前回9月28日の風速81mの台風で甚大な被害を受けている与那国島にとって、この台風がさらなる被害の拡大につながらないことを祈るばかりです。
とりあえず、来年の台風シーズンまではと、応急処置をしている家も、この台風の動向次第では、被害を受ける可能性があります。そして、これから本格的な再建を目指すのか、行政の判断を待って見舞金や再建費用が提示されてからでないと行動に移せない被災者もたくさんいます。実際には国や県からのお金が下りるのか疑問視しなくてはいけない状況ですが、何か支援金の話も持ち上がり期待している人も多く、受け身の姿勢では災害復旧までは程遠いというのが実感です。現に、今回の台風では「激甚災害」に指定される見込みは薄く、「災害救助法」や「被災者生活再建支援制度」などありますが、家屋の損害に対して支援があるのかなんとも言えません。
復旧を遅らせている要因はまだあります。個人所有の家でしたら、住んでいる人間の判断で復旧に取り掛かることはできますが、借家の場合、大家さんと相談してからでないと進まないケースが多々あり、金銭の負担をどこがするのか、費用の見積もりができなければ前に進みません。さらに大家さんが島に住んでいないで、沖縄本島に住んでいるケースも多く、未だに自分の家がどのような被害状況か確認すらできていないケースもあります。与那国島で現場を見ていて、一番大変だと思う事は生業の復活です。一次産業に従事している人には、待った無しで生き物と向き合わ無くてはいけない状況にあります。壊れた牛舎や馬舎や畑の回復に人手がかかります。壊れた家の修繕などはインパクトがありますが、ここから先、本当に必要なのは生業という生きていく上で必要な仕事の基盤の復活だと思っています。
このような状況にもかかわらず、行政の意思決定は遅く、しかも、陸上自衛隊基地の建設で与那国島の中に生んだ分断の傷は大きく、重機の大半は復旧もそこそこに現場での工事に駆り出され、個人の家の再建に必要な場合でも後回しにされている現状があります。台風で家が全壊した家屋の家主でも「国や行政が仮設住宅を作ってもあんたらの世話になるつもりはない」とテントを張ったり「自力で修復するから、私たちの為に何か良いことしているつもりにならないで」と自衛隊基地建設を推進する行政に対して「基地建設に推進の側の方が、手厚い保護を受けている」など、賛成派と反対派の双方に分断があります。この不信感は、僕個人の勝手な思い込みではなくて、日本全国に張り巡らされた足の引っ張り合いの因習の体現なのだと思っています。原発立地自治体も、巨大公共事業の標的になった自治体も過去の事例と全く同じです。お金で分断していく中央の行政官僚のマニュアルみたいなものです。個人が出すささやかな金額なんかの復興に付き合うより、国がつけた基地建設の予算を粛々と消化する方が土建屋さんにとって割りが良いからです。
こうした残念な事例は多くの与那国島ファンをがっかりさせるかもしれません。理想はともかく、現実を見据えて現場で行動する実行が問われています。判断を保留にしている間にも、この台風のように、次の災害がやってくることもあります。全壊家屋などの復旧が困難なケースは、判断が難しいからこそ後回しにされ、そこで見通しの立たない生活している人が一番苦しんでいるのです。赤十字や銀行や公共団体にお金を回して、それが機能しているとはとても感じられないし、行動している気配すらこの島ではありません。いくらお金を集めても、動く気持ちを持った数少ない人が最初の困難を乗り越えて、リーダシップを持って行動を始めないと、多くの島内外のフォロワーは動きません。
最初の義援金の振込みがあってから、あまりにこの状況を見過ごすことができず店を閉めて活動しています。難しい状況の中、何かできることはないか飛び回っています。人手が足りません、ボランティアできる方ご連絡ください。与那国島でWWOOFのようなことを続けているので、宿泊と食事の提供は僕の家でできます。お金をいただくという行為は恐れ多いのですが個人名で義援金も募集しています。義援金での支援をお考えいただいてる方、振り込みいただいた場合、できればお礼を言いたいのでメッセージを下さい。本当に申し訳ないのですが、詳しい使い道を細かく公表しながら、了解を得て進めることの煩雑さも一人で背負えない状況です。この日本で一番遠い最西端の島で災害が起こった時の大変さは、まず情報の発信者がいない、島の人は情報ツールの使い方に不慣れで高齢者も多い。距離的に遠いためボランティアで駆けつけてくれる人がほとんどいない。必要な建設物資の調達が島の中ではできないため隣の石垣島や沖縄本島まで発注をかけてから届くまでに時間が掛かる、必要なものがすぐに手に入らない、そもそも日本で一番の離島なので経済的にも苦しい上に物価が高い。与那国島でひとり情報を発信し続けていると「与那国島ひとり災害対策本部」か‼︎と自分で突っ込みを入れたくなる忙しさです。
本日、取り急ぎ必要だと思われる木材やトタンなど10万円ほど発注いたしました。Twitter(@moistchocolat)やFacebook(Tetsu Inomata)を通して信頼してお金を回してくれた方には本当に感謝しています。入金していただいた連絡がつかない方にもこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思っております。あまりこのブログ更新していませんでしたが、日本全国の皆様のご支援の気持ちが集まればと思っております。

ゆうちょ銀行
記号 17010 番号14550421 イノマタテツ
ジャパンネット銀行
すずめ支店 店番号002 普通預金3400108 イノマタテツ

  

Posted by Moist Chocolat at 12:25Comments(0)

2015年10月13日

与那国島災害ユートピア


与那国島を襲った台風21号は風速81mを記録しました。
電気の供給は早々に止まり、停電も3日目。
電気がないのでロウソクや灯油ランプを灯して夕食をいただく。
冷蔵庫の中の食材がどんどん溶けていくので、危なくなったものから先に料理していく必要があります。
特にうちの場合はロールケーキの材料で取っていた生クリームをふんだんに使い、カルボナーラ、クリームシチュー、野菜とキノコたっぷりのポテトサラダが今晩のメニューでした。
それぞれの家でロウソクの明かりの元で夜を過ごすよりは、たくさんの人に声をかけてひとつ屋根の下、呼びかけの反応は広がり、夕食を食べながら語らう。感覚を閉ざすようにひとりひとりを分断していた文明の恩恵は、災害を契機として、自然と人々を原点に押し戻すユートピアを作り上げた。
停電の夜に、同じ運命を共にする人々が明かりを求めて集まる。これは人類を貫いてきた長い長い夜の歴史が再現されたに過ぎない。私達の先祖は真っ暗闇を人生の半分生きて、顔が見えるか見えないかの薄明かりでどんなことを語りあったのだろう。暗闇の中にひとつ灯る光は、今を生きる私達に過去と未来を繋ぐきっかけをもたらしてくれた。それも台風のおかげと受け入れる私達の明るさです。




  

Posted by Moist Chocolat at 17:17Comments(1)