てぃーだブログ › オーナーシェフのブログ › 2014年02月

【PR】

  

Posted by TI-DA at

2014年02月27日

与那国島から、石垣市長選への想い

この度の石垣市長選にあたり、自衛隊を誘致して経済を活性化するとの見解があり、島を二分しています。
人間は言語によって思考する生き物ですが、裏を返すと言葉の用法によっては道を誤りかねない弱さも内包していることへの自覚が必要です。
100億の基金は利を求める人間への税金による買収です。
力強い標語によって暗示を与え、その暗示が群集に感染し、その結果群衆は衝動の奴隷となる。
不安に捕らわれた者が手にした剣は、遅かれ早かれ自衛の名の元に降り下ろされる。
国防を叫んで戦争をするのは古今東西世の常です。
平和を希求するには粘り強い知性が必要で、人間は知的な働きをあきらめない生き物です。
本当の知性は人を動かし、人に恵みをもたらす、平和への知恵は心から生まれ自然に育まれるものです。
知を恵みに変えることが出来るのは人間であることのあかしに他なりません。
花が咲くのは、実り、種を次の世代へ受け継ぐため、土地と空と水と共に協力して生き生かされていることを忘れると人間は自然から間違いなく復讐されます。
自然と共生し、自然から学ぶことを忘れた文明が世界中の砂漠の中に眠っています。
私にとって他国の軍隊の驚異は現実の恐怖ではなく、身近な人間の不遜さ無関心にこそ恐怖を覚えます。
共に本当の花を咲かせるために、私たちが今何を考えて行動しなければいけないのか。
日本最西端の国境の島、石垣島より小さな与那国島から、同じ問題を共有している個人としての私見を述べさせていただきたいと思います。


私たちの幸せは、中央政府が支出する補助金や交付金によって果たして満たされてきたのか、今後自衛隊基地がもたらす経済活性化という美名で満たされうるのか、よくよく考えてみる必要があります。
経済のため何かを犠牲にするというのは、全国の地方都市・農村から活力を奪い依存的な社会を生み出してきた衰退の道であり、社会の持続可能性を奪う狭い選択肢のひとつに過ぎません。
国の専権事項だからしかたないじゃないか、といったあきらめは個人であれ共同体であれ、状況の変化や逆境に打ち勝つ自立の萌芽を摘み取ることになり、脆弱な個人や共同体を生み出します。
人も共同体も自らの足で立つのが本来自然の有り様であり、一方的に収奪するだけの生き物や依存的な生き物は自然界に存在することが出来ません。
自治の意志を失った地方は今後、縮小する国民国家の役割と共に確実に立ち行かなくなることは自明で、経済優先主義は全体主義によく似ています。
個人や共同体の幸せよりも、国家意志が上位にあるという誤解に基づき推し進められようとしています。
あくまで主権は国民にあるのであり、憲法の明記するところであります。
同じく憲法に地方自治が規定してあるのは、過去の失敗に学んだ歴史から生まれたものであり、地方自治体が中央の意志を代弁するために存在しているのではないという知恵を制度として組み込んだことを意味しています。
先人たちが血を流してまで勝ち取った切実な想いが、西洋から東洋へと近代憲法の立憲主義へと繋がっていることを忘れてはならないと思います。
しかし、人間は残念ながらとても忘れやすい生き物です。
だからこそ先人が経験した戦争を契機として書き残した覚え書きが憲法という形になって残っているのです。
人の涙も乾かぬうちに、泥沼の日中戦争から大東亜戦争に突き進んだ、いつか来た道をまた繰りかえそうとしているように見えるのは私だけでしょうか。

「経済」の語源を遡ると「経世済民」とは世を經(おさ)め、民を濟(すく)うという意味です。
今日広く理解されているお金というものは、経世済民を実現するための目的があり、そのための手段に過ぎないのですが、手段は時に目的を凌駕しは時に国を滅ぼす力を持ち得ます。
本来経済が目的としていた人の幸せから遠く離れて、トップダウンを実現するための手段にすり替わって語られていることに気がつかなくてはいけません。
仮にその経済いわゆるお金が一瞬、あるいは一世代、回ったようにみえても、際限の無い拡大を前提としている限り、何の波及効果もなく一瞬の花火のように終わるでしょう。
そしてあれも必要これも必要と、無限に作っては壊し、自然はどんどん疲弊していく。
昔からよく言われているように、お金というものは麻薬のようなものでもあります。
持てば持つほど人を孤独にし、失う怖さで人を信頼できなくなります。
古来、多くの社会や宗教共同体も含めお金というものに厳しい規制をかけてきたのは、価値保存機能や利殖といった自然界の実態と概念の乖離を認識していた先人の知恵によるものです。
お金はまた、かたちなきものに値札が付けられるかのような幻想も生み出します。
一枚数円で印刷できる1万円札に共通の価値を見出している、その共同幻想に吸い寄せられる危うさが現実社会の姿です。
この危うい不安はさらなるお金で解決できるものではないと私は思います。
軍事も経済も一体化し、巨大な核・軍産複合体を作り上げました。
この巨大な怪獣が自らの身体を維持するために世界中を喰らい尽くそうとしています。
狭い範囲に限定されたお金を自明視しながら、経済と呼んでいる中での議論に抜け落ちているものがあまりに多い。
本当の豊かな島とは、お金で測れない、かたちなきもののネットワークが張り巡らされた人間関係によって成立します。
お金が回る幻想の島より、信頼と伝統を支える人間を育む自然豊かな島、美しい人々の暮らす美ら島こそ私たちが目指す島であると、お金による分断に負けない島であることが私たちの目指す新しい島のかたちであると願って止みません。


与那国島・石垣島にも先祖代々長く苦しい歴史の積み重ねがあり、命を繋いで今ここに生きています。
私たちは過去・現在・未来へ繋がる命の、ほんのつかの間、命を授かり生きているに過ぎません。
経済のためという理由だけで未来への選択を誤ることは、これまで繋いできた命の連鎖を、私たちたった一代で断ち切る行為になるのかもしれません。
命のリレーは私たち一世代だけの個人競技ではありません。
命のバトンを受け取り、次の走者を信頼し、全力で繋ぐチームプレイです。
未来へ繋がる希望のバトンは子供たちであり、子々孫々へ受け継ぐべき豊かな自然環境ではないでしょうか。
決して大きな道路や公民館や防波堤などではないと思います。
この小さな島々がいわゆるハコモノ行政であふれて自然を壊し続けてきたことは、私たちが目先の損得に心を奪われ、政治を監視する役割を怠ってきた責任でもあります。
生きるためのインフラは既に十分すぎるほどあるのですから、豊かさの質を問い直さなければいけない時期にきています。
軍事・経済・技術の際限無い拡大に対する社会的制御に人の知恵を使う必要を感じています。
これは与那国島・石垣島のみならず日本と世界に突きつけられた共通の課題でもあります。


人間は必ず年をとります。いかなる正義も時代時代の価値観も永遠不変のものではありません。
年老いたその時、与那国島・石垣島の子供たちは私たちの決断をどう評価するでしょうか。
私たち有権者は何十年か後、子供や孫・ひ孫に囲まれて尊敬される存在になっているでしょうか。
「飴(あめ)と鞭(むち)」という言葉がありますが、私たちの現在の状況を端的に言い表しているように思います。
飴と鞭を使う人間に無理やりYES・NOを突きつけられる生き方が自立した人間としてのあるべき姿だとは思えません。
孫や子供はどんどん島から出ていく、それはお金と幸せを同一視し、どんどんと若者を都会へ送り出した過ちの結果ではないのでしょうか。
豊かさは既にあるのに、無いものねだりをして、豊かさを見出すという創意工夫を忘れてしまっているように思えてなりません。
与那国島・石垣島の住民は、昔と比べてそれほど不自由な生活を強いられているのでしょうか。
不安で煽られ、餌をぶら下げられてはいないでしょうか。
未来を予測することは誰にとっても難しい事です。
ただし、決断した責任の重さだけは自らの言葉として語り継ぐことが出来ます。
これから大きくなる子供たち、生まれてくる子供たちに語り継ぐに値する歴史が、飴と鞭で飼い慣らされた大人の言葉であってはならないと思います。
経済という短期的な視野に囚われて、未来への長期的なビジョンを失ってしまうことの無いよう、大人として誇れる振る舞いを各人が後世に伝えていただきたいと心より願っております。


海に浮かぶ島は、島と海がお互いに与え与えられ豊かな自然を育んできました。
島も海も人も共生してきたからこそ、いまこの時も人が生きて暮らしています。
この積み重ねられてきた事実こそが、私たちが感じる命の重みであり忘れてはならない宝なのではないでしょうか。
軍事的な緊張関係は、今の私たちやこの社会が際限なく続けられるものではないと思います。
想像すればわかることです。
誰が、私たちひとりひとりが、常に周りのだれかと敵対したいと思うのでしょうか。
しかし、日本や世界は対立の迷路の中に迷い込み出口の見えない中で疑心暗鬼になり、他人の事を想像できなくなっているように見えます。
小さな島の私たちの出来事は船を導く灯台のように一筋の光を日本へ世界へと投げかけているのではないでしょうか。
荒れ狂う暴風の中で小舟から見えた灯台の光の一筋は、どんなにか海に生きる先祖の心に勇気を与えたことだろうと、海人の心を今この時に重ね合わせています。
海は蒼く、島は緑の大地、人は自ら内なる輝きを放つ光になろうと願う生き物です。
この度の選挙にあたり石垣島の人々がそれぞれの心の声に耳を傾けていただきたいと、同じ海の上、与那国島から願っております。

与那国町 久部良在住  猪股 哲



  


Posted by Moist Chocolat at 03:12Comments(0)