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Posted by TI-DA at

2016年03月11日

311の今日思うこと、与那国と石垣の自衛隊配備。

昨日3月10日は、石垣島へ配備が進められようとしている、自衛隊基地建設に反対するイベントに参加してきました。
平日で人が集まるかな?と心配されましたが、主催者が「約320名が参加していただきました」と発表すると歓声と拍手が沸き起こりました。市役所の周囲が320mだそうですので、ひとり1mづつきちんと間隔を取れれば包囲が完成出来る人数が集まったのは、一回目としては大成功だったと思います。

人間が手を繋いで囲む行動は「ヒューマンチェーン」と呼ばれ、抗議対象の施設を市民が取り囲む平和的なデモです。
抗議を向けられたのは、議員であり、市役所所員であり、石垣市長中山義隆氏です。
選挙に当選しただけで、白紙委任状を渡されているのだと、勘違いする議員と、それを当たり前の事だと考える有権者が未だに多いのが日本の残念な所です。

デモは非暴力のコミュニケーションのひとつです。行政や権力が暴走すると、市民の声を聞かなくなり、利権と癒着して地域を分断し、人間社会を破壊する結果を招くのは、歴史の語る通りです。
私自身も与那国島での自衛隊配備を巡り、人間関係がお金で分断される様子を目の当たりにしました。このバラバラにされようとする個人のコミュニケーションの再構築こそがデモの意義です。
デモは多数決の結果を受け入れない、少数者の抗議と見られがちですが、本来の意味は社会と人とを再び繋ぎ留める人類の知恵なのです。「仏作って魂入れず」という言葉がありますが、自立した個人が自分の判断で参加する事こそが、民主主義の魂そのものです。
デモをテロと呼ぶ大臣が辞任に追い込まれないのは、先進国ではあり得ない事態です。民主主義の成熟が急がれます。

本日3月11日は、福島第一原発事故の原因になった東日本大震災から5年目です。
メルトスルーした核燃料を取り出す術はなく、拡散する放射能を収束させる目処は立っていません。
原発を巡っては、事故前より、その危険性を訴えてきた様々な個人・団体の活動がありました。
その活動の経験や知識の蓄積が、東日本大震災からの日本を、首の皮一枚繋ぎ止めているのだと思います。
死者の霊を悼む時、河岸の存在として向き合うのではなく、我がこととして受け止め、死者へ想いを馳せなければ成仏できないだろうと、私は思います。
あなたが今、死者から託された想いは、傍観者であることではありません。姿無き先霊が求めているのは、生身の人間の身体を使った行動ではないでしょうか。
石垣島の自衛隊基地配備に反対する小さなデモと与那国島と311は、僕の中で確かに繋がっているのです。


  

Posted by Moist Chocolat at 20:18Comments(0)

2016年03月03日

与那国島の光るキノコ

与那国島に光るキノコがあるという。

生涯にただ一度だけ地表に姿を現し、多くは数日で役割を終え、溶けてなくなる。
しかし、きのこは森であり、山そのもの「木の子」には始まりも終わりもなく、壮大な自然の循環の一部分を人間に見せているに過ぎない。
夜の帳が訪れると、森には不思議な燐光の世界が広がっている。
年月を経た大樹の幹に、地表にと、無数に張り付いたきのこが微細な明かりを灯す。
闇夜が深ければ漆黒の森に灯る命は輝きを増し、命の交響は星空を樹林に反転させて、宇宙を漂っているような幻惑を訪問者に与えるのだろう。
夜が失われる前、古の時、先人たちは光の海を見て何を思ったのだろうか。
光には人を吸い寄せる力がある、灯火を線でつなぎ、星雲を重ね、月のない夜は地の明かりを愛でたのかもしれない。
シイノトモシビタケ、ツキヨタケ、ホシノヒカリタケ、ギンガタケ、アリノトモシビタケ、これら光るきのこに与えられた名前に詩情を感じる。
なぜ光るのか人間には未だ計り知ることができない。不可知の光を灯すキノコとの出会いから想像力が羽ばたく。

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与那国島で現在確認されている光るキノコは、アミヒカリタケ ・シロヒカリタケ ・エナシラッシタケ 、それと光る落ち葉(カレハヤコウタケ)というのもあるそうです。日本には10種ほどが自生しており、世界では70種と言われています。今回、発光生物を研究しているチームが与那国島に調査に入った際にご縁が出来ていろいろ教えていただきました。夜の森への調査へは参加しませんでしたが、チームが持ち帰ってきた「エナシラッシタケ」の発光を見ることができました。以下、キノコの不思議な生態に触れることができるよう簡単な解説もつけましたので、合わせてお読みいただければと思っております。

一般的に「キノコ」と呼ばれているものは、生物学的には「子実体(しじつたい)」という胞子を作り出すための器官で、体の一部に過ぎません。
きのこは植物ではなく菌類の仲間ですが、本体である「菌糸」は地中などに張りめぐらされていて見えない。しかし、気温や水分量の変化など、何らかの刺激やストレスがかかる と、菌糸から子実体が出現し、そこで胞子がつくられて繁殖します。
そして、世界最大の生物はシロナガスクジラでもなく、巨木のセコイアデンドロンでもなく、ヤワナラタケというキノコだそうです。
面積は6.5平方km(600ヘクタール、東京ドーム138個分)、推定重量は約100t、推定年齢は約1500歳というものです。
これはつまり、キノコの菌糸が地下に菌床として広がっているからで、先ほどの子実体の大きさのことではありません。
あるキノコと100m先に生えているキノコとが同じDNAであれば、1つの菌糸体であると考えるわけです。
この考え方ですと、キノコは「山全体を覆う一番大きな生物」ということになります。
地球上には150万種以上の菌類があるといわれる中、名前の付いている菌類はその約15分の1に過ぎず、残りは全て未知の菌類だそうです。
またキノコが光る理由についても,夜行性の昆虫を誘引するため,生命進化の初期には有害であった過剰な酸素を酸化反応によって消費するためなど諸説ありますが,こちらも未だ謎のままだそうです。
与那国島の不思議な光るキノコについて、継続的な調査が進み、たくさんの人が夜の森に幻想的な光の風景を見に来ていただけるようになれば幸いです。
キノコが「山全体を覆う一番大きな生物」であるのなら、生態系の根幹を菌類は成しているのだと思います。人間は自然環境に依存して生きる生物である以上、環境の保全という関心の涵養は人間という種の最低限の嗜みなのだと思います。
僕は生まれてからこのかた、失われる自然しか知らないので、蘇る自然が日々感動を産むような、当たり前の社会をこれからも夢見て行きます。

(注)露光を長く撮るカメラでないと撮影が難しいため、写真の多くはネットからお借りしたものです。










  

Posted by Moist Chocolat at 22:14Comments(0)