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2016年12月27日

宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉

12月22日15時より参議院議員会館において、宮古島市民会議が主宰する「宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉」が行われ、福島瑞穂参議院議員と沖縄県宮古島より猪澤也寸志氏が交渉人として参加した。

すでに日本最西端の与那国島には陸上自衛隊が今年3月より駐屯を始めている。160名とその家族94名が新住民として入っており、沖縄の本土 復帰後自衛隊の基地が新設されるのは初のことであった。一方宮古島には地対艦・地対空誘導弾部隊、警備隊など700〜800名の配備計画が同様に持ち上がり標的の島になるとの住民の懸念と中国脅威論がせめぎあっている。

宮古島はかつて終戦末期に陸軍と海 軍およそ3万人が駐屯した歴史を持つ南西諸島の司令部が置かれた島である。今回の宮古島への配備にも再び南西諸島の要としての指揮所が置かれる計画があり、石垣島と奄美大島 には500〜600名規模の地対艦・地対空誘導弾部隊、警備隊を含む陸自配備計画の中枢に位置付けられている。九州から沖縄の西南端までを俯瞰してみると、2010年には混成団から昇格した第15旅団が那覇に司令部を置 いている。佐世保では西部方面隊の水陸機動団、別名日本版海兵隊3000名(水陸両用車52両、オスプレイ17機、2018年装備調達完了予定)がまさに編成中であり米軍とともに合同演習を行っている。同じく那覇基地では航空自衛隊第9航空団が新設され2個飛行隊40機に増強されており、軍民共用の那覇空港滑走路発着の過密化や騒音の激化が進んでいる。辺野古新基地の米軍と自衛隊の共同利用はすでに織り込み済みであってその重大は報じられないが、その利用目的の思惑は他ならぬ日本政府にあって米軍の代替機能を果たすことは明確である。高江のヘリパッドも辺野古もいずれ自衛隊が使うことになり、自衛隊配備が災害救助のための自衛隊や地域活性のために作られたプランではないことは、一つ一つの事象をつなげていけば想像に難くない。離島の島々に配備される基地がいざ有事になれば、軍民混交の最 前線の戦場になることも同様に明らかである。「全ての戦争の悲惨さを集めた沖縄戦」を現在に蘇らせるのか否か、中央権力が沖縄という地方自治体のさらに小さな島々に対して国の専権事項を振りかざして従えと自治を潰しにかかっている。日本の基地問題の圧力を最も受けているのはいるのは沖縄であり、その多重的圧力の最前線は辺境の島々に伸びてきている。宮古・石垣・与那国の声は新基地建設反対と言っている県内県外の人々に届いているのだろうか。かつて捨て石にされた沖縄の歴史のデジャヴを南洋の島々に垣間見る、そんな緊迫した当事者の交渉に立ち会った。

「宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉」では事前通告されていた質問事項に防衛省側が答えるという形式で進められた。質問の趣旨は、陸自配備に係る用地取得費、来年度概算要求の内訳、候補予定地、地元部落の反対決議、市議会や地域民意の軽視、宮古島市長の防衛省への斡旋行為と利益供与に 関わる疑い、などが出されている。また、過去5回の質問主意書で示された政府見解と宮古島及び石垣島住民説明会に関して出された有事の際の国民保護等の質問に対する回答を防衛省側にも重ねて答弁を求めた。

政府交渉の冒頭、今月の10〜12日の日程で宮古島と石垣島を視察した福島瑞穂議員より、現在執行中の28年度予算と来年度に盛り込まれている南西諸島に係る予算案の内訳についての質問を行ったところ、29年度予算案で、宮古地区への陸上自衛隊配備に関し約310億7000万円、奄美大島へは397億円が計上されている との答弁を得た。28年度予算については、27年5月若宮防衛副大臣が下地敏彦宮古島市長と面談を行い陸自配備計画を伝達し、8月には来年度の防衛予算概算要 求に用地取得費、敷地造成費など108億円を計上するという異例の速さで予算案化された。当初候補予定地であった大福牧場へ基地機能を集約した陸自基地のプランは、地下水審議会により陸自施設建設は「認められない」との結論が出され、配備による地下水汚染の懸念が払拭できないことから、防衛省 は今年9月大福牧場への配備断念を表明している。

その第二案として宮古島市市長が分散配備として提案した千代田カントリークラブの買収計画が水面下で進行している。しかしながら本年度中に執行する予定であった用地取得が宙に浮いていると思われた108億円の予算について質問されると、「来年の3月までに執行しようと考えている、年度内は入札公告を行っている最中です」との答弁に対しては会場からも信じられないといった反応が広がった。現在、千代田カントリークラブに隣接する二つの自治会から相次いで反対決議が出ており、今月10日にも千代田への陸自配備計画撤回を求める陳情書 が宮古島市総務財政委員会で採択されたばかりのタイミングであった。福島議員が「地元の該当自治体が説明を求め、反対と言っているのに、進めるというのは 民主主義の破壊である」とまで発言したが、防衛省との議論はかみ合わず平行線をさまよった。

国民保護法制と防衛白書が想定する、いわゆる離島奪回作戦に話が及ぶと会場はいっそう熱を帯びてきた、宮古島からまさに南西諸島の島々を代表して霞が関へ赴いた猪澤氏が熱弁を振るい、後ほど「熱くなりすぎました」と語っていたが、ことはそれほど冷めて見ていられる状況ではなかった。あたかも無人島で戦端が開かれるような防衛省の物言いに対して、島に住む人々の命の熱量が溢れ出した瞬間を感じた。その時不覚にも「一寸の虫にも五分の魂」という言葉が私の脳裏をよぎってしまったが、中央政府に顧みられない小さな島々に宿る命は、奄美大島にも先島諸島と呼ばれる沖縄の辺境の島々にも確かに宿っているのだと感じた。島に根ざす営みから発するまつろわぬ抵抗の魂は文化の中に生きている。琉球もアイヌも日本帝国主義の単一民族として蹂躙された歴史を再び再現している。激しく感情を揺さぶられてしまったのは根底にある怒りの再沸を見てしまったからだ。

オスプレイの配備に関しては、南西諸島の離島への戦闘員輸送を前提としている西部方面隊の活動があるにも関わらず、防衛省は「私の一存ではわかりません」との答弁であった。佐賀空港から南端の与那国島まで1200キロあり、航続距離600キロを売りにしているオスプレイだが空中給油訓練は必須であって、つい最近の12月13日沖縄県名護市安部の海岸にオスプレイが墜落した事故と同様に繰り返されるリスクにさらされていることは間違いなく、普天間に24機、横田10機、自衛隊17機の計51機がこの南西諸島も含めて日本中を飛び回るのは既定路線であると言わざるを得ない。同様の欺瞞的言説を防衛省は繰り返す。千代田カントリークラブには「隊舎は作るが、火薬庫は作りません、近くに作るのが適当だとは思いますが、今の所、場所は決まっていません」と言うが、実際に詳細な設計図面にはミサイルの発射台が3ヶ所書かれている。抑止力のために置くのですと地元では説明するが、弾なしで羊の皮を被るつもりなのだろうか。中国脅威論に後押しされた抑止力というマジックワードは方便か虚構か全くの嘘をついているのか、少なくとも国を守るという矜持は全く感じられない。「すみません。繰り返しになってしまうのですが」という幾度ともなく繰り返す防衛官僚は自己催眠が習い性なのか、平和ボケにも国防にも使えない代物だった。

とうとう宮古島市民の激昂。「宮古島全住民5万人を逃す、これは国の責任でもって県を支援するなり、市を指導するなり、これだけの予算をつぎ込むのなら国家プロジェクトですよ。こんな基地の建設、工事の進め方が東京や首都圏でできるんですか。これは沖縄どころか、先島だから既成事実さえ作っておけば後の内容はどうであれ進めるという ことですか。陸自というのは地上戦を行う部隊であり、最後に専守防衛なので領土で戦うんですよね。宮古島は領土ですよね、ひょっとして領土は本土であって、先島は戦場であると考えているのではないでしょうか。領土と考えているのであれば、そこに住む住民をいかに逃がすかということができて初めての用地取得ですよ。それもないのに、来年の3月に用地取得の計画ですよ。びっくりしました。これを見ている宮古島の住民は怒ってますよ。かつての沖縄戦のように島民が巻き込まれないようにして欲しいと思います。」との猪澤氏の発言には命の熱量に溢れたものであった。

一時間の政府交渉はあまりに短かった。やはり現場の島からの言葉が最も胸に突き刺さった。これは昨今沖縄差別として繰り替えされる言説の、さらに奥深く弱き沖縄の離島に向けられた構造的な差別を端的に表していたからだ。辺野古や高江と同様に取り組むべきは島々への自衛隊基地配備である。まさにこのような状況から出てきた島々の叫びを代弁しているようだった。実際「オール沖縄」という体制の中では陸の孤島 高江に対しても足並みが揃っていない、ましてや海の孤島先島における自衛隊配備の問題には「オール沖縄」は反対を明言してないのである。これは全国紙や沖縄の二紙ですら追求されていないことで、まさにこのような状況から出てきた島々の叫びに耳をかたむける時が熟し始めてしているようだった。

新基地建設反対の埒外に置かれている、防衛の空白地ならぬ情報の空白地で米軍から自衛隊へと実質的な国内移転へと事態は進んでいるのである。議論の進捗に連れ防衛官僚が描いていた防衛の欺瞞性はかなりの程度示されたと思っている。しかし、もしかしたら自衛隊員に対して人を殺させることではなく、災害救助隊への変換を提起できる議論の土壌があるのは、この小さな島々からではないだろうか、同様に平和の緩衝地帯としての役割を明確に打ち出すのも沖縄の役割であろう。玉砕の島に家族連れで赴任する自衛隊員を私は与那国島で見ている。沸き起こる悩み苦しみも、お互いの弱さを理解した先に共通の光は見えているのだと思う。
歴史を最もちいさな視点から垣間見たその時、沖縄のさらに辺境の島々 から見通すパースペクティブは現代の日本が思っているより、ずっと深い視座に根ざし未来を見通しているではないか、最辺境と中央との接触は互いに可能性を探りだす創発を起こしたのかもしれないとは考えすぎだろうか。なぜならこれほどまでに矛盾が露呈したこともないところにある種の逆説的な希望は感じている。この度の「宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉の波紋はじわじわと広がっていく可能性に満ちたものであったと深く感じている。


  

Posted by Moist Chocolat at 14:09Comments(1)