てぃーだブログ › オーナーシェフのブログ › 2015年11月

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Posted by TI-DA at

2015年11月28日

台風と死と再生と。あれから二ヶ月。

この三ヶ月は僕にとって人生の岐路のひとつだったかもしれないと、後から歴史を遡れば気がつくことになるのかもしれない。
まだ3ヶ月しか経っていないのかと振りかえってもずいぶんと時の流れが重い。
時系列で追うと喪失と再生の物語の始まりなのかも知れない。
8月28日体調を崩していたルートにガンが見つかり闘病生活が始まる。
9月12〜14日の日程で「海の向こうから8人のメッセンジャーがやってくる」と題したイベントを主催。
9月28日に与那国島を風速81mの観測至上4番目の台風が襲来。その後、義援金の窓口となり、店を閉めて全国からのボランティアを個人で受け入れ活動を続ける。
10月13日実家青森の祖母が享年85歳で亡くなる。葬式には参列できず。
10月28日ルート享年9歳で早い死を迎える。
10月31日「与那国馬との未来を考えるパネルディスカッション」と翌日「与那国馬とビーチクリーン」のふたつを合わせたイベントを主催。
本日28日はルートの死からひと月、台風からふた月。
この三ヶ月は、ボランティアやイベントのスタッフ、たくさんの島の人が、死と破壊と再生と想像の狭間で僕の周りにぐるぐると途切れることなく集まってくれました。
これから先のひと月と少し先の三ヶ月後は、これまでの日常に根ざした生活が繰り返され、非日常の世界は記憶の彼方に消えてしまうのか、僕にはわかりません。
この三ヶ月の経験を僕が学び消化して、全く新しい未来があるのかもしれません。
壊したり、壊れたり、消えていくことは簡単だからこそ、生と死は等価ではなく、どちらかというと生産に関わることが死とか破壊の海から生まれた命なのだと思う。
何かが生み出されたり、想像が現実に作れたり、笑顔も喜びも希望もひとつづつ作っていく過程が、尊く愛おしい。
今日28日というメモリアルに、僕がいろいろな経験を重ね、敬虔な気持ちを感じたまま書き残したメモリーです。
  

Posted by Moist Chocolat at 22:01Comments(0)

2015年11月24日

与那国島、台風災害復旧の近況

9月28日、日本で観測史上4番目の台風21号が襲来、与那国島で風速81m。
あの台風があり「自分の家だけは被害を受けませんように」と暴風の中で祈っていた僕は、祈りが通じたのかもしれない。明暗の境を彷徨うような紙一重で、僕の家はツリーハウスも含め無傷だったことに感謝すると共に、自然の猛威は人を敬虔にさせます。

一方、とても無傷ではなく、甚大な被害を受けた家や生活の基盤の立て直しが急がれる中、ボランティアの受け入れを断った与那国町行政の代わりに、復旧作業が必要なところへ全国からのボランティアを派遣する「与那国島ひとり災害対策本部」設置して義援金の窓口を作りました。全国から赤十字や与那国町宛の義援金もプールするだけで回らないんだろうと横目で見ながら、あれからふた月近くの間店を閉めて連日復旧作業に関わっています。自分で一つ確信したことがあって、僕は本物のバカだということ。これからもずっとバカでいたい。

静かだった島には、行政が主導した陸上自衛隊基地建設の作業員が400名以上入って来て、島の人口の半分くらいは工事関係者なんじゃないかという状況です。今回のような台風災害があり、これだけ多くの人間がいるのに復旧作業に関わることなく彼らの「お仕事」は続けられています。ボランティアの宿泊のキャパがなくなって、観光のお客さんが泊まるところも飛行機の空席もなくなって、リピーターを断って、その場限りの建設バブルに身を任せて、この島の経済は飽和状態になりながら一部で過激にお金まわりが良くなっているようです。大切な何かを失いながら得ている代償に、この島の人は不安を感じ始めながらも大きな流れに抗うことを知らない。

復興状況はどんな感じですかとよく聞かれますが、終わるところは終わっても、取り残されるところはそのまま、進むはずがないでしょうというのが僕の答えです。バブルに沸く陰で、壊れた瓦屋根を修理する職人の交通費と宿泊費と日当を出してまでお金を出せる人はごくわずかです。負傷者や死者が出なかったのは不幸中の幸いですが、あとは自力で前に進むしかない状況で助けを求めている人も多いと思います。一人では絶望してしまうような困難な状況でも、誰かが手を差し伸べてくれたら動き出す歯車もある。急速に進む基地建設を片目で見ながら、たくさんの作業員とは無関係にゆっくりと進む個人的な復旧作業のコントラストが小さな島の中で二つの宇宙を創っているような感じ。義援金を送ってくれた方々への感謝と、遅れていたご報告でした。
以下、琉球新報の記事を参考までに転載しておきます。
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9月の台風21号で全壊10戸を含む322戸の住宅が損害を受けるなど大きな被害を受けた与那国島。被災から1カ月半が過ぎたが、半壊した家屋の修復作業はほとんど進まず、雨漏りを防ぐため屋根をブルーシートで覆う家も点在するなど被災者の苦しい生活が続いている。県外と沖縄の離島の住環境の違いによる特殊事情も、復旧が思うように進まない背景としてあるようだ。県独自の支援を求める声も上がる。一方で義援金は14日までに2千万円を超え、町は協力に感謝するとともに引き続き支援を願った。
「住める状態ではない。修繕するにも島では時間もお金も必要。まだまだ時間がかかる」。瓦屋根が崩れ屋内が風雨にさらされ半壊状態になった家屋を見詰め崎元俊男さん(50)は大きくため息をついた。
 前浜キヨコさん(68)宅も屋根瓦が崩れた。屋内の一部は畳を上げた状態で使用できないままだ。「瓦を直すにも恐らく全部剥がしてみないとどこが雨漏りしているか分からない。瓦屋根をやめてトタン屋根に直す人もいるが、伝統的な瓦屋根がなくなってしまうのは残念だ」と話した。
 台風21号の被害で災害救助法が適用されたが、同法は損害率20%以上の半壊を支援対象としており、町によると、救助が受けられる家屋は計28戸にとどまる。半壊への支援も応急修理に最大56万7千円で、原状回復への予算を補えない状況もあり、住民からは「瓦屋根の家屋は損壊の広がりが本土とは違う。ちょっとの被害でも修復は大掛かりになる」と現状に見合った支援策を求める声も上がった。
 町は、一部損壊でも機能的に半壊状態の家屋などもあることから、地域の特殊事情を考慮した同法による適用拡大を求めている。一方で修繕を図る資材や業者は島外からになり、住民の負担はさらに大きくなる。
 崎元さんは「早期再建を図るためにも県独自の支援も検討してほしい」と訴えた。義援金については11月末まで受け付け、町は年内に被災者への支援を予定している。
  

Posted by Moist Chocolat at 20:54Comments(0)

2015年11月02日

「与那国馬との未来を考える・パネルディスカッション」

「みんなのちまんまの物語をつむぐ」
1日目のプログラム「与那国馬との未来を考える・パネルディスカッション」が終了しました。
日本で一番はしっこにあるこの島では、農作業や移動手段としての馬の労働力が、近代化やモータリゼーションの波に取り残されるように、つい最近までひっそりと残されていました。
日本の在来馬の中でもその血統が最も色濃く残されているという与那国馬。そして人が馬の背に揺られて生活を共にしてきた記憶も身体感覚も、この島の人々の中に息づいています。
与那国馬が使役動物としての役割を終えた90年代前半。今で言うところの「よそもの、ばかもの、わかもの」が馬と人とのコミュニケーションに新しい時代の共生の可能性を開きました。
それから20年とちょっと、与那国馬との未来を考える集いに集まった人たちは表舞台に立ち、歴史をつむぎ始めたところ。
これから人と馬が歩んでいく共生の歴史のトップリーダーは、ここ日本の一番はしっこから。新しい感覚を持った馬を愛する人が与那国島に出会い、確実に馬の可能性を開いていくことになるんだと思う。
無いものねだりより、あるもの探しが楽しい。身近すぎると見えなくなってしまうこの島の宝物に気づくきっかけを、拓殖大学の奥田教授と上智大学の織教授を講師に迎え、人前で話す機会があまり無い島内からのゲストスピーカーの皆さんも、今回は大好きな与那国馬のためだからと、与那国馬にまつわる内に秘めた熱い思いを語ってくれました。懇親会も加え、話は夜遅くまで尽きることなく続きました。
そして何より、今回のパネルディスカッションと交流の中での気づきは、これからの人と馬との関わりを支えていく小学生や中学生に、新しい感性を持った世代が育って来ている。そのことが何よりの宝物だと感じました。



地元からのゲストスピーカー「ヨナグニウマふれあい広場」からの活動報告↑↓

「馬語手帖」「はしっこに、馬といる」の著者 河田桟氏 拓殖大学教授 奥田進一さん 上智大学教授 織朱貫さんとのクロストーク↓



  

Posted by Moist Chocolat at 19:44Comments(0)