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2017年06月02日

乱開発と軍事化に翻弄される馬毛島

与那国島を出発し、沖縄島、伊江島、鹿児島から屋久島へフェリーで渡り、種子島から漁船をチャーターして30分、無人島の馬毛島に臨んだ。
馬毛島は米軍の空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)の候補地として狙われている。
米軍再編の日米合意に伴い、防衛省が新しい基地を米軍に「恒久的」に提供するという構図なのである。
自衛隊が大規模な南西シフトを展開する中で、南西諸島の南端の与那国島から1000kmの距離を移動して北端の馬毛島まで飛んだのは、北から南まで島々の非戦のネットワークを作らなくてはならない、そんな理由からだった。

馬毛島は鹿児島の南端と、種子島、屋久島に囲まれた周囲16kmの黒潮海流に浮かぶ小さな島である。
馬毛島の碑文によると「巨亀の背をあらわすが如きもの」と形容され、海岸線からなだらかに立ち上がる島影には、風雨に耐えた生命の力強さが感じられる。
島の標高は71mに過ぎないが、真水が湧き出し小川となって流れる不思議な島でもある。その命の水によって、固有亜種のマゲシカは繁殖し、渡り鳥や蝶の飛来地として憩いの場を提供している。
この生き物たちの中継地としての役割は、ウミガメやサンゴや藻類魚類など海洋生物にとっても同様である。
馬毛島は近接する世界自然遺産の屋久島や、南へと連なる島々の多様な生物層を支えている、生態系のクロスポイントとしての重要性を認識する必要がある。
離島というのは独自の生態系を作り出す傾向が顕著に見られるが、この島に関してはそれが豊かに色濃く再現されている。南洋の宝石のように命輝く島である。
漁獲も豊富で、地元の漁師は馬毛島を「宝の島」と呼んでおり「私たちは馬毛島に育てられた」と、子々孫々この島への感謝を忘れない。

最盛期の1959年に人口528名を数えた馬毛島の歴史は古く、市教育委員会によれば弥生時代後期に人が住んでいた「椎ノ木遺跡」が確認されており、中世に遡ると言われている三層の石塔もある。しかしながら遺跡などの実態調査は進んでおらず、歴史のタイムカプセルに封じ込められたままである。
島の頂点には海軍が作った防空監視所があって、かつて周囲を睥睨していたであろう面影を忍ばせている。戦争をきっかけに島は一旦無人島となってしまった。
その監視所は戦艦大和の沈没を見送ったと言われている。

現在の馬毛島は南北の背骨を貫かれ、東西に走るむき出しの大地を無情にも晒している。
この馬毛島に背負わされた4000mと2500mにクロスした滑走路の十字架は、2006年環境アセスメントが未実施のまま、全島の4割近い面積の森林が地権者によって皆伐された事による。
貴重な照葉樹林が伐採されてしまった結果、マゲシカにも苛烈な生存競争が起こり個体数を減らしている。
同時にむき出しの土壌から海に流れ込む土砂は北限のサンゴを死滅させ、豊かだった漁場からは魚の姿が消えつつあるのだ。
馬毛島の十字架は乱開発に翻弄され続けた悲哀の刻印であり、それを刻みつけたのは間接的に私たちの責任でもある。馬毛島クロスは聖痕(スティグマ)のように、人間存在のあり方への問いを無言で突きつけていると感じざるを得ないのだ。

馬毛島の悲劇は平和相互銀行の目論んだ石油備蓄基地構想に始まる。
1973年、高度経済成長に伴い人口減少が始まった島で、島民の頬を札束で叩くような土地買収が横行し過疎化に拍車をかけ、土地を騙し取られたと証言する住民もいる。
1980年には再び無人島になるが、島民の不在こそが最終的な目的であったのかと疑わざるを得ない。
1983年、防衛省へ自衛隊のレーダー基地に売り込みを持ちかけ暗躍。
1986年、馬毛島事件と呼ばれる政界を巻き込んだ汚職事件に発展する。
1995年、住友銀行系の太平洋クラブから立石建設株式会社(現在はタストン・エアポートに社名を変更)へと馬毛島の所有が移る。
1999年、核燃料中間貯蔵施設建設の噂が囁かれ始めた頃、馬毛島の行政区である種子島から福島県への原発ツアーに500名余が参加する。
2007年、米空母艦載機の離発着訓練の候補地としての可能性が報道される。
2016年、陸上空母離着陸訓練(FCLP)に「馬毛島が合意」という見出しで新聞各紙が報じる。しかし、地権者との金額交渉が現在のところまとまってはおらず不透明なまま現在に至っている。

以上歴史を振り返ると、島をまるごと投機対象にするという異様な土地ころがしに馬毛島は翻弄され続けている。まさに金による金の為の投機が地権者の本音であって、踏みにじられるものたちの痛みは届いていないようだ。

この再び浮上した陸上空母離着陸訓練(FCLP)の背景には、日米双方の思惑が透けて見える。
日米安全保障協議委員会(2プラス2)合意文書「在日米軍の再編の進展」によると、厚木飛行場から岩国飛行場へと空母艦載機部隊の移駐に伴い、馬毛島が検討対象となる旨が記されている。加えて、同施設は通常の訓練等のために使用され、併せて米軍の空母艦載機離発着訓練の「恒久的」な施設として使用される、とあり、維持管理は自衛隊が実施する。

防衛省の資料によれば、自衛隊の訓練地となる馬毛島での内容には、着上陸訓練やパラシュート降下訓練、陸上での展開訓練等が行われる予定だ。
また陸海空自衛隊の集結・展開拠点として物資倉庫、滑走路、港湾施設、隊員の宿舎の建設が予定されている。しかも丁寧に「大規模災害時における展開・活動」というタイトルが付けられている。
災害時馬毛島に陸海空揃い踏みで集結する必要があるかと、普通に考えればこのような嘘に騙されるはずがないのだがと疑ってしまう。
そもそも大規模災害時に、陸海空の集結場所が必要であるという議論が全国で起きていないことからも明らかである。
日本が憲法9条の専守防衛の枠を超え、自衛隊が空母を手にしたとき、ここで訓練を積んだパイロットが他国へ進攻することも視野に入れて考えなくてはならない。
いずれにしても、日米共用の基地が馬毛島に作られれば、自然海岸での着上陸訓練や陸上訓練や各種施設の建設、戦闘機の騒音などで、馬毛島の生き物たちや自然が壊滅的な被害を被ることは、火を見るよりも明らかである。
この馬毛島の問題が外に伝わりにくい一因に、米軍のために防衛省が新しく犠牲となる国内訓練地を探さなくてはならない、やましい事情があるからなのではないだろうか。
日本のメディアは、米軍の対アジア戦略や、それと並行して進む自衛隊の南西シフトの核心に触れる度、その本質を隠そうとする傾向がある。

馬毛島を違法に開発したタストン・エアポート社の責任を問うことなく、その土地を国が買い上げることにも問題があるだろう。原状回復を命じてからでなければ環境アセスメントも出来ないはずだ。そもそも林地開発法に係る鹿児島県や、森林法に係る地元自治体のおざなりな放置の責任もある。また国が指導を怠っていると、馬毛島問題に関わる西之表市議は指摘している。
未だ行政の調整や指導がないため、地主による越権的な入島拒否があって、馬毛島の有する文化や自然価値の基礎調査にすら入れない状況なのに金額交渉など、法律のプロセスを無視していると言わざるを得ない。そもそも順番が逆であることを政府に対し突きつけなければならない。

私が馬毛島で感じたある種の怒りは、島をまるごと売買の対象にすることである。それが国の一組織であれ、私企業であれ、そこに監視とモラルがない限り、密室の暴力に晒されるのは島の自然であるからだ。
それが誰にもわからないまま失われていくことに、本当の恐ろしさを感じる。
しかも、馬毛島には歴史もあり、世界に誇る沿岸生態系保全のため、国立公園に指定しようとの動きがあったほど自然豊かな島である。
豊かな自然の営みに頼りながら糧を得て来た漁師の言葉を今一度思い返してみなければならない。
「馬毛島は俺たちを育ててくれた、宝の島だ」と。
あの美しい馬毛島に戻って欲しいと、多くの人が願っているのは間違いないはずだ。




















立石神社


採石場


滑走路北側、土砂流出防護壁などの対策は見えない。[














Posted by Moist Chocolat at 20:30│Comments(0)
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