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2017年04月22日

石垣島でのミサイル部隊配備を語る、元レンジャー自衛官

石垣島での「市政とミサイルを語るバガケーラ(われら皆んな)の集い」が終わりました。
講師に元レンジャー部隊員で自衛隊の実像に詳しい井筒高雄さんを迎えての講演でした。沖縄の離島への陸自配備がいかに非現実的で無謀な作戦であるかが、自衛隊の法体系も交えて専門的な見地から指摘されました。

有事に際しては、防衛大臣直轄の陸海空情報保全隊が機密保持の名目で人権を制約し、また自衛隊法による土地建物の摂取が可能になります。
そして戦端が開かれてしまえば、車載式ミサイル部隊が島中の幹線道路を発射と移動を繰り返しながら走り回る。そこには軍隊同士による限定された戦場などありえず、住民は地下街(そんなのはない)や小中学校などの堅牢な建物に避難していて下さいとの政府の説明はまやかしで、島中いたるところ無差別にミサイルが降り注ぐというのが現実です。
井筒さんの講演では、住民混交の中で繰り広げられる殲滅戦のシュミレーションに留まらず、最終的には大国同士による日本分割統治に発展する亡国のシナリオにまで解説が及びました。
基地建設に反対していた参加者ですら突きつけられた想定には言葉を失っていました。もはや被害に遭うのは賛成反対でもなく、その島に住む住民なのです。

かつて満州事変から都市無差別爆撃、四人に一人が亡くなった沖縄戦、原爆投下を経て敗戦に至った経緯を1931年の当時、後の壮絶な破壊を想像し得た日本人は皆無だったでしょう。
その時と同じように戦争というものは、想像を超えて人々に襲いかかって来ます。人間の生命のみならず尊厳も豊かさも破壊し尽くす、人間が行ない得るなかで、最低最悪の愚行であることを忘れてはならないのです。

与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島へ新しい軍事基地を作ることが人々の何を守るというのか、与那国島に住む私には軍隊のロジックだけで平和を理解することはできません。歴史を振り返れば、軍というハードパワーへの傾斜が引き起こす戦争こそがあまりにリアルな歴史の証明だからです。

ナチスのゲーリングはかつて「国民を戦争に駆り立てるのは簡単だ。他国の脅威を宣伝し、それに逆らう者には愛国心がないと非難するだけで良い」と言いました。その図式がここ南西諸島の島々には当てはまらないと言えるのでしょうか?
隣国との紛争に武力行使を選択するということは、戦争当事国になることを意味します。政府と政治家、防衛省と自衛官、日本国民と離島住民に、その認識と覚悟はあるのでしょうか。

南西諸島の島々で推し進められようとしている基地建設は、米軍と一体化する自衛隊の大改造計画と共に、日本人は戦争をどのように考えているのか、過去の総括と現代の認識が問われています。

打ち上げでは「標的の島〜風かたか」の映画の石垣島キャストが気がつけば揃い踏みで参加していました。
この石垣島でも、現実の人間ドラマはまだまだ現在進行形で進んでいます。
私たちが未来へ紡ぎだす一歩づつが、笑顔と勇気を通い合わせた命の物語であったと、後に語られる、そんな予感に満ちていました。
この物語はまだまだ続きそうです。





















Posted by Moist Chocolat at 23:12│Comments(0)
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