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2016年08月17日

SEALDs "TO BE" プロテストソングでの集大成


2008年5月、哲学者コーネル・ウェストが来沖した際「沖縄の人々はブルーズ・ピープルだ」と語った。
「あなたの心のなかのブルーズの深淵なる感性を大切に して下さい。なぜなら、ブルーズとは、悲惨な経験を歌詞に込めつつも、優雅さと気品を保ち続けることだからです。闘争について語ることは、ブルーズについ て語ることと同じです。権力があなたに襲いかかって潰されそうだと判っていても、現実と向き合い、笑顔を忘れず、反抗し闘い続けるやり方。それがブルーズ です。」

SEALDsの一つの到達点を評価したい。SEALDsのメンバーであるUCDのラップに乗せてメンバがー音楽と映像の集大成を作り上げた。まさか抵抗のプロテストソングをミュージックPVを閉めるとは。
私たちは彼らが掲げた民主主義の価値に関しては、超低偏差値の国際社会の日本人であることに無自覚です。
国内の支配された情報空間でドアホウが踊らされて、叩いたり、忌避したり、無視したり、分裂したり。
実際に行動しない人間が高みから、あれじゃダメだよねとか、ハブったり、政治マニアからここぞとばかりに右左から批判が飛ぶ。
大人じみた処世術の視点から試行錯誤を批判する。芽を摘むことがポジションを維持する、僕はそんなのうんざりなんだ。
印象的であるのは彼らのアイデンティティーである顔を全面に押し出していること。
ネットネイティブの先駆者でもあり、それゆえにパイオニアとしての攻撃は凄まじかっただろう。
彼らより上の世代は(私も含めて)20代で攻撃にさらされるのを、私は耐えられなかったかもしれない。
他人を罵倒し屈辱と諦めと、お前なんか無力なんだと諦めさせる支配の快楽なんだと思う。ヘイトという憎悪ではない。
本質は個人の抑圧された次元で鬱屈した感情にまで下げようとするコンフォートゾーンに引きずり降ろす快楽に依拠しているのだと思う。
彼らは時代の位相の中で、社会の中で生きるとは何なのか現代にアップデートしてくれた。
アート名もなき群衆に与えられた力はアートである。
快楽に突きつける最大の刃がアートであるというのはパラドキシカルであるが、結局は自分に跳ね返ってくる最大の刃である。自分は何者で、何を見ているのかと。
そんな個人が抱える情念の矛先をそらして本質に迫る生きる技法の昇華である。
名もなき群衆に与えられたアートは力である。
現代にブルーズを蘇らせてくれてありがとう。歌い継ぐよ君らのブルーズを。 







Posted by Moist Chocolat at 19:50│Comments(0)
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