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2016年05月13日

防衛省の348億円の投下、与那国島の何が狂ったのか。

与那国島での陸上自衛隊配備に関わる費用を防衛省に問い合わせたところ回答が出たようです。このデータは与那国島の明るい未来を願う「イソバの会」の本日のブログからの情報です。
質問: 与那国島への自衛隊配備について、年度毎の決算額とその内訳が分かる資料
回答:
   平成23年度 約0.2億円
      
      内訳:施設整備費 約0.2億円
   
   平成24年度 約1.7億円
      
      内訳:施設整備費 約1.7億円
   
   平成25年度 約69.9億円
     
      内訳:施設整備費 約27.8億円
        不動産購入費等 約 5.9億円
        通信機器購入費 約36.2億円
   
   平成26年度 約234.9億円
      
      内訳:施設整備費 約205.6億円
        不動産購入費等 約 0.2億円
        通信機器購入費 約 29.1億円  
   
   平成27年度 約42.0億円
      
      内訳:施設整備費 約41.8億円
        不動産購入費等 約 0.2億円 
                       合計 348.7億円
人口わずか1500名、周囲27キロの、日本で一番西にある小さな島にこれだけのお金が投下されたことが、現在・過去・未来へどのような事態を生み出したのかは、賛成反対に関係なく知っておくべき事実だと思います。沖縄の貧困と社会福祉の財源が、防衛とセットで問われたことはないと思います。これだけの税金が軍事に費やされている。
先島への自衛隊配備の経緯については、沖縄の2紙も大きく報じることのない、防衛の空白ならぬ、情報の空白を生んでいます。辺野古での新基地建設に端を発したオール沖縄の運動と、先島への自衛隊配備の問題は全体としてリンクしておりません。
経済的に弱い自治体を助けることなく、利用する。この構図は、国家が助けてくれるのだからという国民の思考停止を利用して、アメリカの軍産複合体や日本の経団連が主導する軍事ケインズ主義と安倍首相が目指す第三の矢の布石にもなっています。
日本は戦後70年平和を保ってきたのかというと、そうではないと思います。朝鮮戦争とベトナム戦争の特需を契機として復興したこの国の姿は少なからず戦争に彩られた過去があります。日本の国外で戦争が起きればいいのにと、発言した人物がいますが、状況はまさに武器の消費地を探すために、捨て石を必要としており、次のターゲーットとしてあげられているのが先島なのではないでしょうか。
詳しく説明すると膨大な文量になってしまいますので、それぞれが与えられた情報ではなく主体的に情報を読み、さらには発信する主体者になることを望みます。
経済的な繁栄と無縁であった自主独立の、文化に包摂された社会の原型を残している与那国島は、経済至上主義の浸食が最も遅く到達した島であるとも言えます。全てのコミュニケーションをお金を介した経済への収斂へ、疑問の声を上げるべき多様性の発信はどこかということ。日本を美しい国と呼ぶなら、日本のアイデンティティーの源泉はどこにあるのか、日本最西端の島から中央へ問わずにはいられない。常にそんな気持ちを抱えています。
一人一人が声を上げる主体者にならない限り、現行の民主主義という政治状況では解決することはありません。なんとなく希望的な観測に振れるのかなという幻想は横に置いて、地域の人間が最も強く現状を把握する事が重要だと考えています。あきらめない事を課されているのが人間ではないかと、一人の人間に宿る実存を私は自身に問います。数々の自然災害を前にして、問われるべきは個々人の有り様ではないでしょうか。
本来は縮小型社会への移行を迫られているはずの日本で、これから同様に計画されうる、石垣島、宮古島、奄美、辺野古と高江も含めて社会はどこへ向かおうとしているのでしょうか?
一人一人の平穏な日常を願う気持ちはみなさん一緒であると思います。しかし、戦争の記憶も薄れ、語り継ぎがなくなりつつある社会はまともな社会なのでしょうか?
同時代の享楽を自然から収奪するだけで、歴史から断絶された個人がバラバラに存在する状態を社会とは呼びません。社会というのは世代を超えて自然環境の継続と、伝承が起こる自発的なコミュニケーションのことを指し、この総体を文化と呼びます。
戦禍の記憶を残す人々に深く刻まれた継承は、果たしてなされているのか、この沖縄に於いても、先祖崇拝の伝統は残りつつも、社会共同体の繁栄を願う自然崇拝の念はもはや薄まりつつあると私は見ています。
人は同じ過ちを必ず繰り返すという愚を、過剰開発が進む沖縄の現状と、現代の時代状況を戦争へひた走った過去を重ねて今に見るに、忘却の時を経て歴史は繰り返され、警告の言葉を与那国島から発することは、日本が捨て石にした沖縄と先島への贖罪の念をヤマトの人間として禁じ得ないからです。
先島への自衛隊配備と、戦端を拡大するに等しいこの行為は、今後どれほどの兵站の供給コストとして国民に跳ね返ってくるのか、陸自は試算していないのでしょう。国防と自主防衛の観点を真剣に論じるなら、先島への陸自の配備は、バランスとコストの面で甚だ疑問です。
ハードを整備すれば事足りるとの認識は、全国に中国脅威論として蔓延していますが、主体者としての自覚を問われてしかるべきだと思います。国内世論の反面、琉球が武器を持たずにソフトウェア防衛で歴史を生き抜いてきた事実もあります。軍拡が止まらない殺し合いの歴史的な背景に抜けているのは、一人一人の織りなす社会の力が戦争をさせないということではないのでしょうか。
官僚組織としての防衛省は、「今だけ、金だけ、自分だけ」なのではないか、末端の国民を戦争の被害に晒したのも今と変わらぬ上層部のあり方は、与那国島と防衛省との対応の一つ一つを取っても変わらないという実感があります。
米国のシュミレーションの話ですが、制空権と制海権を失うことが明白な状況で、沖縄の航空機戦力40機対320機の台湾正面に位置する沖縄の現状で、日本は1400発と言われるミサイルの射程に収められており、米軍は日本を防衛するために駐留しているわけではないことは公文書で示されている通りの事実です。
原発を海岸線に並べたまま開戦するのも狂気の沙汰ですが、陸自のミサイル部隊が先島に次々配備されることは国防なのでしょうか?
離島奪還作戦の、奪われた後奪いに行くという不可解な戦略のもとに、最初から配備せずにバッファーとして国境は歴史上機能してきた事実も真剣に議論したいと思っています。
与那国や今後配備される部隊を含む西部方面隊が、先島の配備の主力になるとみられていますが、家族を最前線に連れてくるという危険性を最も認識しているのが自衛官なのです。
第15旅団内部のアンケートで与那国島へ赴任したいか、というアンケートに部隊内で赴任を希望する人間はゼロであったと聞いています。さらに家族を連れていればなおさらです。
自衛隊の与那国島への基地配備の長い議論を経て、共存関係を余儀なくされた与那国島だからこそ、日本のメディアは取り上げませんが、世界はどのように見ているか、国境の小さな島社会から、日本という島社会へ国防とはなんなのか、疑問を投げかけたいと思います。



Posted by Moist Chocolat at 04:31│Comments(0)
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