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2012年10月24日

佐藤栄佐久・前福島県知事 冤罪事件まとめ

佐藤栄佐久の冤罪事件まとめ Part1

http://homepage3.nifty.com/jmaffili/nuclear/eisaku.htm


佐藤栄佐久(さとうえいさく)氏は'88年から'06年までの18年間、福島県で計5期にわたって県知事を務め、特に2期目の選挙では県政史上最高の得票数となる88万票を獲得するなど、長期に渡り県民の高い支持を獲得し続けた知事だった。


'02年、それまで福島と柏崎刈羽の原発で隠蔽され続けた、29件もの損傷やトラブルが一挙に発覚する。この責任を問われた東電の社長や会長を含む重役数名は辞任に追い込まれ、翌'03年には福島と柏崎刈羽の原子炉17基が運転停止する事態にまでなった。栄佐久氏は国のずさんな原子力政策を徹底批判し、プルサーマルの受け入れを断固として拒むようになった。

その栄佐久氏が'06年、身に覚えのない収賄の罪に問われて知事を辞任し、逮捕される事件が起きる。
この収賄は冤罪であり、原子力政策で対立していた霞ヶ関の官僚たちが、栄佐久氏を失脚させるために捏造した事件だったとの疑惑が持たれている。

以下に、栄佐久氏が原発と対立した経緯、収賄罪の概要、脅迫だらけの非人道的な取り調べ、矛盾だらけの裁判の判決などについて、順を追って説明していきたい。



◇自治体がないがしろにされる原子力政策
以下の佐藤栄佐久の著書には、知事時代に原発と対峙した記録が詳細に綴られている。
『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』(平凡社)
『福島原発の真実』(平凡社新書)
これらの著書によると、原発の事故やトラブルといった危険な内情は、地域の一般住民だけでなく自治体にも隠され、県知事といえども原発運営の蚊帳の外に追いやられていた事が分かる。

例えば'88年暮れに福島第二原発の3号機が何らかの異常で自動停止し、'89年元旦にはデータ上でも異常が確認されたが、東電は原因も解明せずに漫然と運転を再開し、県庁にトラブルを報告する事もなかった。1月7日には警報が鳴ってもしばらく無視して運転を続け、6時間後にようやく手動で運転停止。
この後ようやく、事故の報告が福島原発から東電本社、通産省、資源エネルギー庁の順で遠回りした挙げ句、最後に福島県庁に入ってきた。
事故の重大性はINESレベル2に相当し、原因は冷却水のポンプの座金やボルトが原子炉内に流入したためだと分かった。
県庁に謝罪に来た東電幹部4人は、「今後、小さなトラブルも起こさないよう努力します」と知事に約束したにも関わらず、その直後の会見では舌の根も乾かないうちに、「安全性が確認されれば、座金が回収されなくても運転はありうる」と発言。
知事は事故の報告を受ける事もなければ、約束もあっさり破られるなど、東電から極めて軽視された扱いを受けている事が分かる。

栄佐久氏は、『知事抹殺』 の中で繰り返しこう書いている。
「原発政策は国会議員さえタッチできない内閣の専横事項」
「原発政策は、立地している自治体にはまったく手が出せない問題」
「目の前にある原発に、自治体はまったく手が届かない」

しかしこのような不利な状況に置かれながらも、栄佐久氏は国の原子力政策に対し、持てる力を駆使して抗戦を試みるようになる。


◇プルサーマルの事前了解とその凍結
プルサーマル計画について栄佐久氏は、安全運転のための4つの条件を厳守する事と引き換えに、'98年に一度は事前了解を下している。その4つの条件とは、以下のようなものだった。

 1、MOX燃料の品質管理の徹底
 2、取り扱い作業員の被曝低減
 3、使用済みMOX燃料政策の長期展望の明確化
 4、核燃料サイクルの国民理解

ところがこの後、MOX燃料のデータ改ざんやJCO臨界事故などが相次ぎ、安全運転の条件がとうてい守られないと判断した栄佐久氏は、2001年にプルサーマル事前了解の許可を凍結している。

栄佐久氏がこのプルサーマル凍結を発表しようかという頃、東電は福島県双葉郡に増設予定だった2基の原発と2基の火力発電所について、しばらく開発を中止すると発表している。おそらくこの発表の裏には、原発推進派の官僚たちの思惑が潜んでおり、福島県に対して「プルサーマルを拒むなら、地域の経済発展につながる電源開発を打ち切るぞ」と脅しをかけているのではないか。栄佐久氏はそう推察した。

しかしこれに動じなかった栄佐久氏は、「ならば福島県も渡り合わなければならない」と応戦の意を固め、「原発もプルサーマルも全て凍結。全部見直し」と発表する事を即決した。

間もなく官僚も東電も脅しが通用しないと悟り、このままでは自分が損するだけと判断したのか、「やっぱり原発は増設する」、「火力発電も増設する」などとあっさり前言撤回し、無様な醜態を晒す事となった。

このように、官僚や東電の思惑が栄佐久氏によって阻まれる場面は度々あり、両者の対立は徐々に深まりを見せる事となる。


◇原子炉17基停止に至る経緯
'80年代後半から'90年代にかけては、福島第一、福島第二、柏崎刈羽の原発において、シュラウドのヒビ割れを始めとした重大な損傷が多数あったにも関わらず、点検記録の改ざんによって29件もの損傷の隠蔽が行われていた。
2000年6月にある作業員が、この改ざんについて原子力安全・保安院に内部告発をしたが、保安院は何の調査もしなかったばかりか、逆に告発の内容を東電に横流しして隠蔽に協力していた。
やがて2年後の'02年8月に隠蔽の事実が公になり、これがきっかけとなって東電の重役らの辞任、そして原子炉17基停止へと繋がる事になる。

原発を監視すべき保安院が、原発を推進する経産省の一組織である事によって、監視が手ぬるくなっている。この状況に栄佐久氏は、「これでは保安院ではなく推進院だ」、「警察と泥棒が一緒にいるようなもの」と不信感をあらわにする。

日本の原子力政策の腐敗は、電力会社というよりも経産省や保安院こそが招いた事態であると看破し、「本丸は国だ。敵を間違えるな」と直ちに副知事に檄を飛ばし、これまで何度も責任逃れしてきた官僚たちを今度こそ追いつめようとした。
隠蔽発覚の日には副知事が、その翌日には栄佐久氏が記者団に対し、国や経産省の原子力政策の根本的な間違いを激しく訴えた。

その後、東電の社長、会長、副社長らがこぞって辞任したが、保安院や経産省は何の責任も取らなかった。
経産省は東電のみに責任を負わせて事態を沈静化できると踏んでいたのかも知れないが、栄佐久氏は国の原子力政策そのものを徹底的に追求する姿勢をゆるめなかった。

県はプルサーマル事前了解も白紙撤回し、さらに翌'03年4月までには福島と柏崎刈羽の原子炉全17基が停止する前代未聞の事態に突入する。


◇原発運転停止に対する新聞各紙の反応
'02年の隠蔽発覚後、栄佐久氏は東京に出向くと、経産大臣、原子力委員長、原子力安全委員長らと個別に会談し、さらに自民党の原子力推進派の議員が待ち構える合同ヒアリングにも出席し、原子力行政の在り方に対する異議を方々に唱えてまわった。
さらには朝日新聞のコラムへの投稿、NHKのニュース番組への出演なども通して、世間に原子力政策の問題点を訴えた。

ところが、こうした福島県知事の必死の訴えに対する首都圏の反応は冷ややかなものだった。
4月20日の『読売新聞』では、いつまでも原発が再稼働されない状況に対し、「関東全域で、大停電という悪夢が、現実のものになろうとしている」と危機を煽り立てた。
6月5日の『日本経済新聞』も「最悪の電力危機を回避せよ」と題した社説で、原発の運転再開を認めない佐藤栄佐久を悪者扱いし、「再開時期が知事の胸元三寸というのでは困る。一日も早く合理的判断を」と書き立てた。
 
『読売新聞』には、古くから正力松太郎のもとに原発推進を掲げてきた習癖が、根強く息づいているのだろうか。
そもそも原子炉17基が停止に至ったのは、国や東電のずさんな管理が発端となっているが、上記の新聞は国や東電への批判はせず、佐藤栄佐久ばかりを一方的に批判。そして福島の安全性などどうでもよく、とにかく東京に電力を送れと言わんばかりの論説を展開した。


◇霞ヶ関の腐敗と横暴
停止していた原発は、'05年6月までにようやく全基が再稼働される事になる。しかしプルサーマル計画に対しては、県は依然として白紙撤回の姿勢を貫いていた。

東電の取材経験が長いジャーナリストは、後に佐藤栄佐久氏にこう語ったという。
「それまで金の力で地方政治に強力な力を発揮してきた東電は、〝メンツ丸つぶれ〟だと感じた」、「東電には、〝佐藤栄佐久憎し〟という感情が間違いなく渦巻いていました」

雑誌『フォーサイト』'05年6月号には、次のような記述も見られる。
「経済産業省・資源エネルギー庁や原子力・安全保安院ほか研究機関や関連業界を含めた『原子力ムラ』にとっては、『福島のおかげで国と地方の地位が逆転した』というほどやっかいな存在だった」、「五期目の佐藤福島政権は難攻不落なのだ」

経産省は'05年10月、国が安全とみなした原発を県の意向で運転しない場合は、交付金をカットする方針を固め、相変わらず金にものを言わせて圧力をかけてきた。
しかし栄佐久知事はこれに動じる事なく、交付金が来る来ないに関わらず、今後も県が独自に安全確認する方針に変更はない事を記者会見で強調。

栄佐久氏は東電の重役たちの辞任にも、交付金のカットにもゆるがず、国の原子力政策を批判し続けた事になる。

霞ヶ関の官庁街には、国の行政を司る数々の省庁のビル郡が立ち並び、そこでは狡猾な官僚たちも跳梁跋扈している。
栄佐久氏は原発問題では経産省に徹底抗戦し、地方分権問題では文科省と対立し、各省庁を何かと敵に回し続けた。


しかし中央省庁は、一県の知事では太刀打ち出来ないほどの巨大権力であり、やがて法務省の特別機関である東京地検が、栄佐久氏を知事の座から引きずり下ろすべく策動を始める。
佐藤栄佐久は'06年、東京地検特捜部の捜査により、収賄罪という身に覚えのない罪を着せられ、知事を辞任し逮捕される事になる。

この収賄罪は冤罪である可能性が高く、真相は定かでないが、国が栄佐久知事を失脚させるための陰謀だったとの見方が濃厚となっている。


◇検察が描いた矛盾だらけのシナリオ
冤罪による栄佐久氏の逮捕、取り調べ、裁判の様子は、栄佐久氏の著書『知事抹殺』 に詳しい。
同著には原発との攻防、地方分権、知事になるまでの経緯、そして収賄罪を巡る騒動などについて、栄佐久氏自らの回顧が克明に綴られている。


検察が描いた収賄容疑の概要は、端的に説明すると以下のようなものだった。

①佐藤栄佐久は2000年1月、県の建設政策を司る当時の土木部長・坂本晃一を知事室に呼びつけ、双葉郡に建設予定だった木戸ダムの工事を前田建設に発注するよう促した。
②前田建設は協力関係にあった水谷建設を介して、佐藤栄佐久の実弟・佐藤祐二が社長を務める三東スーツから、8億7千万円で広大な土地を購入。しかし実際の土地の時価相当額はもっと低く、8億7千万円から時価相当額を引いた差額が、三東スーツに過剰に支払われている。
③前田建設が過分に支払った土地代は、佐藤祐二の経営する三東スーツから、さらに兄の佐藤栄佐久へと流れ込み、佐藤栄佐久の選挙資金へと使われた。
④つまり佐藤栄佐久は前田建設にダム工事を発注し、前田建設はその見返りとして、三東スーツを迂回して佐藤栄佐久に賄賂を送った。この贈賄行為は、土地を買うと見せかけ過剰な金額を支払う手口により、巧妙にオブラートに包まれた。

以上の談合と収賄が、栄佐久氏と弟の共謀によって遂行されたというのが、東京地検の描いたシナリオだった。


しかし裁判が進むにつれ、検察側の描いた収賄のシナリオを事実として成り立たせるには、以下のような不自然な要素が露呈し始める。

●まず、佐藤栄佐久の家宅や身辺を捜査しても、栄佐久氏自身が金を受け取った形跡がどこにも見当たらず、支持者の取り調べからも選挙資金に使われた証拠が出てこない。

●代わりに、なぜか土木部長の坂本の銀行口座に大金が振り込まれていた事実が発覚。坂本は'01~'05年にかけて、ATMを用いて自らの口座に100万や200万円単位の入金を何度も繰り返し、計二千数百万円もの金額を貯め込むという不審な行動を遂げている。
坂本がこれらの金をどこから入手したのか、法廷で栄佐久側の弁護団から追求されると、坂本はしどろもどろとなって即答できず、やがて「親の資産がタンス預金されてたので、暇をみてちょこちょこ積んでいた」などと苦しい弁解をしたという。

●坂本は「知事室に呼ばれて、知事にダム工事を前田建設に発注するよう促された」と証言しているが、これも信憑性が乏しい。本当に坂本が知事に面会していたとすれば、その事実が知事秘書の記録として残されているはずである。しかし、坂本が知事室に呼ばれたと証言する'00年1月7日の記録を遡ってみると、その日の知事は別な部屋で会議に出席していた事が判明。知事室で坂本と会うのは、時間的にも場所的にも極めて困難である事が証明されるだけだった。

●そもそも、'76年に福島県知事だった木村守江が収賄事件を起こして以来、県の公共工事は二度と知事が収賄できないようなシステムに改変され、知事は公共工事について指示する事も、入札情報を知る事も出来ないようになっていた。権限は副知事に移譲され、その副知事も土木委員会から報告される入札結果を追認するだけとなっていた。

●前田建設が三東スーツから8億7千万円で購入した土地の本当の値打ちは、特捜部の調べではもっと低い5億~7億9千万円程度が妥当であり、その差額が賄賂になったという。
しかし不動産の専門家によれば、それは土地を住宅地として評価した場合の話であり、商業地として利用する場合は高度な収益が前提となるため、より高い価格を設定できるという。
そして事実、水谷建設は土地を商業地として買い取り、「ヨークタウン」というショッピングセンターが建設されて良好な賃料収入が得られるようになった。間もなくその土地は9億6千万円で転売され、さらにその後もう一度転売された時は、12億円以上の値が付いた。当初の購入価格8億7千万円をゆうに上回る価値が付いたのだ。


以上の事実を踏まえると、栄佐久氏も弟も不当な金は受け取っていないと見る方が自然である。
談合や収賄は知事の関与できないところで、発注の権限を持つ土木部長の坂本と、その仲間と目される談合屋の辻政雄、坂本の二代前の土木部長だった江花亮らが主体となって行われた可能性が高い。
坂本は栄佐久氏が首謀者となるよう罪をなすりつけ、あたかも自分は知事の命令に背けず従っただけであるかのように装い、少しでも自身の罪が軽くなるよう偽証しているのではないか。

そしてその偽証は、検察から「栄佐久を首謀者として証言しないともっと罪が重くなるぞ」と脅された結果によるものという推測も成り立つのである。



◇脅迫だらけの非人道的な取り調べ
実際のところ、裁判が始まる前に栄佐久氏の親族や関係者たちが受けた取り調べは、様々な恫喝によって精神的にも肉体的にも過酷な状態に追い込まれ、否応なしに虚偽の自白を迫られる非人道的なものだったようだ。

佐藤栄佐久の後援会幹部たちは、地元の福島県郡山市から230km離れた東京地検に連日のように呼び出され、取調室で担当検事にこのような言葉を浴びせられ続けたという。
「知事の悪口をひとつでいいから言ってくれ」、「15分以内に言え」、「想像でいいから言え」、「会社を潰されたくなかったら言え」
取り調べは郡山に帰る新幹線の最終の時刻が迫るまで続く。狭い取調室で延々と責め続けられると、疲労困憊してストレスのあまり平衡感覚を失い、いっそ帰りに新幹線の非常ドアを開けて飛び降り、死んで楽になりたい衝動に駆られる者もいたという。


栄佐久氏の実妹の遠藤房子氏は、任意の取り調べ中に意識を失い、尿が一滴も出なくなる程の脱水症状に陥った。自力で立つ事も靴を履く事もできず、車いすでエレベーターを降りて新幹線で地元に帰るや、病院の救急救命センターで1500ccの点滴を受けて入院する事態になった。

また、取り調べの過酷さから、三東スーツ総務部長の杉山造二氏、栄佐久氏の会津の支持者、東急建設東北支店長2名らが自殺を図っている。このうち杉山氏は一命を取りとめるが、長らく意識の戻らない状態に陥った。杉山氏は、栄佐久氏が若い頃から「造ちゃん」と呼ぶ親しい間柄だった。

栄佐久氏の弟の佐藤祐二氏に至っては、任意の取り調べが始まってから高血圧、不整脈、不眠などの症状が出て入院していたが、「出てこなければ逃亡したと見なす」と言われ、逮捕された。
東京拘置所に向かう車の中では「最低の人間だ。あなたのような人間は見た事がない。2、3年は絶対に出さない」と言われたという。
獄中では今まで服用していた薬が没収され、代わりに支給された薬は体に合わず、連日、午後11時過ぎまで過酷な取り調べを受け、心身ともに苦しみ続けた。


祐二氏を担当した森本宏検事の取り調べは特に苛烈で、調書の紙をヒステリックに丸めたり、脱いだ上着を床に叩き付けるなどしながら、こう恫喝したという。
「中学生の娘が卒業するまでここから出さない」、「息子たちも証拠隠滅で逮捕する。福島県内ずたずたにしてやる」、「知事の支援者もやられるぞ。絞り上げるぞ」、「県議をはじめ50人の逮捕は出るよ」、「検察は人も時間も金もいくらでもある」
森本検事は祐二氏から望むような供述が得られないと、狂ったように「うそだ!」と50回は繰り返し怒鳴りつけた事もあったという。
その一方で「今認めればこれで終わるよ」と、すぐに自白すればこれ以上は罪を大きくしないように囁きかけ、アメとムチを使い分けた。

また、森本検事は祐二氏の取り調べ中に、ふとこんな事を口走ったともいう。
「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」
この発言には東京地検、ひいては霞ヶ関の本音が表れているのではないだろうか。


◇水谷建設副社長が明かした偽証の真相
水谷建設副社長の水谷功は、この収賄事件で土地を購入した他、同時期に脱税も企て懲役2年の刑に処せられた。

その水谷が収監直前になって、取り調べの実態を弁護士に次のように打ち明けている。
「一審での供述は、当時自分の裁判が進行中だったので、不利にならないよう検察官から言われたそのままを証言した。今なら出廷して本当のことを言ってもよい」、「知事は濡れ衣だ」
水谷は取り調べで、検事の望む供述をすれば罪を軽くしてやると言われていたのだという。
また、前田建設へのダム工事の発注は、知事が'00年1月7日に坂本に命じたのではなく、それ以前の'99年5月に秋保温泉の旅館において、坂本の二代前の土木部長だった江花亮、前田建設の副社長だった寺島一雄、ゼネコンOB、そして水谷らが集った通称“秋保会談”で決定されたのだという。

東京や大阪地検が擁する特捜部は主に、政治家の汚職や有名人の犯罪など大型の事件を扱う捜査機関だが、有無を言わさぬ強引な捜査によって度々、冤罪を生み出す事でも知られている。

近年では厚生労働省の村木厚子氏が、郵便不正事件を起こした疑いで逮捕されたが、後に冤罪である事が明らかとなり、結局は無罪判決が下った事例もある。この事件の主任検事だった前田恒彦は、何が何でも有罪に持ち込もうとして証拠となるフロッピーディスクの日付を改ざんし、事件を捏造していた事が発覚して問題となった。

そしてこの前田恒彦検事こそ、佐藤栄佐久の収賄事件において水谷功の取り調べを行った人物でもあった。



※「佐藤栄佐久の冤罪事件まとめ Part2」に続きます。ぜひ続きもお読み下さい。

→ 「佐藤栄佐久の冤罪事件まとめ Part2」

http://homepage3.nifty.com/jmaffili/nuclear/eisaku2.htm

◇佐藤栄佐久が国と戦えた理由
そもそも佐藤栄佐久はなぜ、原発をめぐって国を相手に存分に戦う事が出来たのか。
栄佐久知事の出自を振り返ると、特定の政党や企業の支援に依存する事なく知事に当選したため、そういった組織からの束縛や圧力を受けにくかった事も少なからず強みとなっていたようだ。

'80年頃から栄佐久氏は、有力議員の支援を受ける事もなく、これといった資金力も持たない中、ほとんど選挙の素人と言っていい青年会議所の有志らと共に、選挙のノウハウを手探りで一から構築していった。
県内4000の集落を数年かけて自ら訪ね歩き、農村や山間部の有力者と交流を育み、時には農業について学び、時にはチェーンソーを手にして林業を体験し、県民たちの生活の実情を把握していった。
こうした姿勢や地元愛の強さが人々の共感を呼び、徐々に多くの支持者を集め、いつしか強力な後援会組織が形成されていく。

その後、栄佐久氏は自民党参議院議員を一期経験し、'88年には自民党員として福島県知事選挙に初出馬する。
この時の知事選には、同じ自民党から建設省出身の広瀬利雄も出馬しており、自民党員同士が争う異例の事態となっていた。
当時の日本の政界は、悪名高い金丸信副総裁を中心とした自民党主流派「経世会」が権勢を欲しいままにしていた。

経世会は利己的な都合で地方の政治にまで介入し、福島県知事選の候補に役人出身の広瀬利雄を担ぎ出し、他の候補者の出馬を妨害するなど、その圧政ぶりは横暴を極めていた。

こうした中央の身勝手さに憤りを感じ、党の主流派に反旗を翻す形で立候補したのが佐藤栄佐久だった。
栄佐久氏は当時の幹事長である安倍晋太郎に、「知事は県民が選ぶものです。もう、福島県のことは、福島に返してください」と啖呵を切ったという。
対立候補の広瀬利雄が県内の有力議員や建設業界のバックアップを一身に受けていたのに対し、佐藤栄佐久は看板も地盤も資金力も持たなかったが、県民の支持や後援会の支援によって広瀬候補に圧勝し、県知事に初当選した。


こうした経緯もあって栄佐久知事は、従来のような中央の顔色を伺わねばならない県政から脱却し、政治と企業の癒着や金権政治を堂々と批判する事もできたし、普段から自分はもちろん、周囲の職員たちにも金品の授受を厳しく戒めてきた。


◇原発に抗った知事の末路
栄佐久氏は'06年10月23日に不可解な収賄容疑で逮捕され、東京拘置所で連日に渡り、いつ終わるとも知れない取り調べを受ける事になった。
そして既に栄佐久氏が逮捕される前から、栄佐久氏の親族や数百人にのぼる支持者たちも軒並み東京地検に呼び出され、過酷な取り調べを受けている。その結果、前述したように入院者や自殺者も相次ぐようになっていた。
栄佐久氏は、長年に渡って自分を支え続け、深い信頼で通じ合ってきた多くの支持者たちが、このような迫害を受け続ける事に心を痛めるようになる。

東京地検は、平気で人を死に追いやる殺戮集団とも言える。実際に自殺者が出ても検察側は何ら反省するわけでもなく、むしろこれ幸いとばかりに、栄佐久氏を追い詰めるための材料にするというのだ。
例えば栄佐久氏と親しい三東スーツ総務部長の杉山造二氏が自殺未遂した事について、栄佐久氏の取り調べを担当した山上秀明検事は、したり顔で得意気にこう言い放ったという。
「杉山が自殺したという情報がインターネットで出ている。郡山に帰れなくなるよ」
さらに別な日の取り調べでは、山上検事はこうも言っている。
「早く認めないと、祐二や、まわりの親しい人たちが大変だ」
つまり東京地検は栄佐久氏の関係者たちを人質に取り、意図的に自殺や瀕死に追い込んだ上で、栄佐久氏に「自白しなければ、もっと多くの関係者を殺すぞ」と暗に脅しをかけているわけである。

また、「早く自白しないともっと罪を重くするぞ」といった恫喝は、他の関係者たち同様、栄佐久氏に対しても行われたようだ。山上検事はこのように不安を煽ったという。
「今は罪状が単純収賄だけど、否認していると受託収賄になるかもしれないよ」

そして取り調べ中には栄佐久氏を追い詰めるため、東京地検とマスコミとの連携が図られる事もあった。
東京地検は土木部長の坂本から得た偽りの供述を新聞社にリーク。読売新聞は一面トップの大見出しで、知事が坂本に前田建設への発注を命じたと報じた。
すると山上検事はこれ見よがしに、その新聞を栄佐久氏に見せつけたという。外界からの情報が閉ざされた容疑者に、こうした新聞や雑誌を突きつけて精神的揺さぶりをかけるのは、取り調べではよく用いられる手法なのだという。

他のマスコミもこぞって、検察の描くストーリーに沿った記事ばかり出したが、中でも読売新聞はその傾向が顕著だった。
この収賄事件にしろ'03年の原発停止にしろ、読売新聞は事あるごとに一貫して佐藤栄佐久への批判を続けてきたが、同新聞と原発との関係の深さを思えば、佐藤栄佐久を執拗に敵視するのも頷ける。

栄佐久氏は、長年に渡って自分を支え続けた多くの支持者、また苦楽を共にしてきた関係者、そして親族などが、東京地検の横暴な取り調べに苦しめ続けられる状況に耐えられず、ついに虚偽の自白を決意する。
この自白によって裁判は不利となり、有罪の判決が下る事となった。


◇不可解な判決
尤も、一審と二審ともに有罪とは言え執行猶予が付されており、実質的には無罪に近い判決となった。
そして二審においては、収賄額ゼロ円と認定されたにも関わらず有罪という、前例のない不可解な判決が下っている。収賄を証明できなくとも、とにかく何が何でも有罪にせねばならないという役人たちの必死さが伺える。

検察としてはこの事件によって、五期に渡って支持され続けた一県の知事を辞任にまで追い込んでいるが、「やっぱり無罪でした。冤罪でした。」となれば当然、世間からの批判は免れない。
刑罰の程度はどうあれ、とにかく形だけでも有罪の判決が欲しいというのが検察側の本音だろう。

実質的に無罪とは言え、形だけでも有罪の結果が出れば、検察側の大義名分が通り、知事には不名誉な記録が残る事になる。
栄佐久氏はこの判決を是とせず、最高裁に上告すると同時に、坂本を偽証罪で告発。無罪を勝ち取る望みはいまだ捨てていない。



◇どこまでが陰謀か
これまで述べたような強引な取り調べ、そして坂本らの不審な行動が事実とするなら、検察が実際にはありもしない収賄罪を捏造し、栄佐久氏の有罪を強引に成立させた可能性は非常に高い。
では検察は何のために栄佐久氏を罪人に仕立て上げる必要があったのか。それは原発や地方分権をめぐる方針で対立する知事を失脚させるためと見るのが自然だが、今のところそれを確実に裏付ける証拠があるわけでもない。

中には、東京地検の捜査と原発の問題には関連性がないとする説もある。
▼佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか(現代ビジネス)
ジャーナリストの伊藤博敏氏が書いたこの記事によると、水谷建設は福島県での贈賄事件と同時期に脱税事件も起こしている。東京地検は'05年7月に水谷建設の脱税事件の捜査を開始し、その関連先として三東スーツや栄佐久氏にも捜査が及んだのだという。つまり、まず最初に原発とは関係なく水谷建設脱税事件の捜査が始まっており、原発問題で国と対立する栄佐久氏に捜査が及んだのは単なる偶然に過ぎないというのだ。

しかしこの伊藤氏の推測にも不自然な点が多く、また決め手となる根拠が伴っているわけでもなく、説得力に欠けている。

伊藤氏は'05年7月に水谷建設脱税事件の捜査が先に始まっているというが、既にその2年半前の'03年1月には栄佐久氏の周辺で、弟の経営する三東スーツの土地取引について、ブラックジャーナルが嗅ぎ回っている事が噂されていた。
そして'05年1月には「アエラ」誌が、同年4月には「読売新聞」が、三東スーツの土地売買と双葉郡の木戸ダム工事発注について、賄賂を伺わせる記事を掲載。
'05年4月には東京地検がこの件に関して、双葉郡の調査を行っている。
つまり'05年7月に脱税事件の捜査が始まる以前から、東京地検は三東スーツや木戸ダムに目をつけており、栄佐久氏の逮捕を視野に入れていたとも考えられる。

仮に最初に原発問題と関係なく脱税事件の捜査が始まっていたとしても、捜査の途中で水谷建設と栄佐久氏の弟の関係を知った霞ヶ関が、これ幸いとばかりに栄佐久氏を貶めるいい機会と捉え、収賄罪の捏造に暴走していった可能性も考えられる。

何よりも伊藤氏の説では、なぜ検察が異常な執念を燃やして、栄佐久氏を有罪に持ち込もうとしたのかという点が説明できていない。
捜査を少し進めれば、栄佐久氏が賄賂を受け取っていない事、談合の主犯格が他にいる事、栄佐久氏を首謀者とするには無理がある事などをすぐに把握できるはずだ。
にも関わらず東京地検は、栄佐久氏の多くの関係者を執拗に恫喝して偽証させてまで、何が何でも有罪を成立させようという異常極まりない執念を見せている。
そこには、もはや収賄事件の真相の追求とは関係なしに、どうしても栄佐久氏の有罪を実現せねばならない何らかの動機や事情があったと考えるのが妥当ではないだろうか。
そしてその動機として最も自然に思い当たる節が、原発政策に抗った知事の抹殺なのだ。

森本検事は祐二氏にこう言った。
「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」
これこそが霞ヶ関の本音ではないだろうか。


◇役人たちの損得勘定で動く捜査機関
福島原発の損傷隠しが発覚した'02年、市民団体「東電の原発不正事件を告発する会」が結成され、同団体は東電を偽計業務妨害、公正証書原本不実記載、詐欺、証拠隠滅、電気事業法違反などの容疑で刑事告発した。
しかしこの告発は不起訴処分としてあしらわれたため、団体側は846人の連名で東京第一検察審査会に対し不起訴処分への不服申し立てを行ったが、「不起訴は相当」としてまたも一蹴された。
▼東京検察審査会が東電不正隠しに18日意見聴取(脱原発福島ネットワーク)
▼東京検察審査会で意見を具申してきました。(脱原発福島ネットワーク)

このように国の捜査機関は、世の中でどんなに重大な犯罪が行われていようとも、その罪を裁く事が自分たち役人にとって不利益につながると見なせば、罪を見て見ぬふりして野放しにし、多くの住民の訴えにも耳を貸そうとしない。
逆に役人たちに利益をもたらすと見なせば、佐藤栄佐久氏を冤罪で陥れたように、ありもしない事件を捏造してまで懸命に逮捕や捜査を進める。

どの事件を捜査し、どの事件を捜査しないか、誰を逮捕し、誰を逮捕しないか、それら全てが役人たちの損得勘定に基づいて選別されている。
人権を守るためにあるはずの司法の強大な権力が、霞ヶ関の役人たちの私腹をこやすために行使されている。

佐藤栄佐久氏は、3.11の震災後にラジオのインタビューでこう語ったという。
「この国は民主主義だと皆さん思っているかも知れないけど、 民主主義でない部分もある。 その民主主義でない部分で今回の事故(福島原発事故)が起きた」


◇続発していた県への内部告発
'02年の隠蔽発覚は、福島原発の安全対策に最も真摯に取り組んでいるのは電力会社でも保安院でもなく、県知事の佐藤栄佐久であるという事実を如実に物語る出来事となった。
原発の作業員がトラブルや不正を保安院に告発しても、保安院はそれらの問題を追求するどころか、逆に隠蔽に協力する。
そこで'02年以降、福島原発のトラブルや不正を訴える内部告発者たちは、保安院よりも福島県を信頼するようになり、県の担当部署には電話やメール、ファックスなどによる内部告発が相次いで寄せられるようになった。
栄佐久知事は「絶対に県庁で会うな。人目につかない外で会え」と担当職員に秘匿を厳命し、喫茶店などで告発者と接触させ、情報の収集や分析に努めた。
その結果、相次ぐ内部告発者によって、おびただしい数のトラブルや不正、問題点などが次々と報告された。その一部を以下に列挙したい。

 ・定期検査の期間が短縮され、じゅうぶんなチェックが出来なくなっている。('03年2月)
 ・原発に長く携わってきた人間のノウハウが継承されず、初歩的なミスが増えている。('03年2月)
 ・タービンのローターにひび割れがある。('03年4月)
 ・タービン建屋のコンクリート壁が砕け、破片が発電機やその他の装置に被った状態で運転されている('03年9月)
 ・原発の仕事に入る際は、「守秘義務があるから外部に話してはならない」などと言われる。('03年10月)
 ・東電の社員が作業を監督していないため、東電の知らないところで様々な不正が行われている。('03年10月)
 ・各種点検で作業マニュアル通りにされていない事があった。('03年10月)
 ・高い被曝が予想される場所での作業では、線量計を外して数値を分からないようにしている事があった。('03年10月)
 ・放射線管理の責任者が同時に一階と二階の担当になっており、現場にいない事があった。('03年10月)
 ・'99年6月に第一原発3号機で爆発が起きているが、発表されていない。('04年8月)
 ・熟練した職人が少なくなり、現場の作業員のレベルは確実に低下している。('05年1月)
 ・現場は書類優先で、現場作業の質を重視しなくなった。('05年1月)
 ・東電は今後、原発の安全対策費のさらなるコストダウンを考えている。('05年1月)
 ・取締役クラスが現場にいないため、本社の机上論で物事が進む。('05年1月)
 ・現場の権限が弱いため、トラブル対応の遅れにつながる。('05年1月)
 ・第一原発2号基の定期検査が極めて短期間で、工程的に無理がある。('05年4月)
 ・工程期間が短すぎて作業員の過労が深刻。何らかの大きな人災や事故が起きそうなほど疲弊している。('05年4月)
 ・第二原発3号機の制御棒ハウジングにヒビがあり、専門家は応力腐食割れの可能性も否定していないが、東電はヒビではなく線状の傷跡だと言い張っている。('05年5月)
 ・第一原発6、3、5号機の点検中に湿分分離器の欠陥が発覚しており、2号機にも欠陥があるのは明らかだが、点検されなかった。('05年6月)
 ・制御棒駆動機構も点検されなかった。('05年6月)
 ・第一原発6号機の可燃性ガス濃度を制御するための換算式が、検査を合格しやすいように意図的に甘く出来ており、20年前からマニュアル化されている。いつもだまされ続ける県民が気の毒。('05年7月)
 ・長時間勤務の疲れでヒューマンエラーが心配される。('05年9月)
 ・原発テロへの警戒が不十分。('06年5月)
 ・定期検査終了後に行われる負荷検査において、記録および計器の不正があった。('06年5月)
 ・本社の意向に沿わぬ意見は却下され、現場の意見が聞き入れられない。('06年5月)

これらの内部告発については、佐藤栄佐久氏が福島原発事故について綴った著書 『福島原発の真実』第9章「止まらない内部告発」に詳しい。


告発が寄せられても、県には原発に立ち入り調査したり、運転を停める権限もなく、栄佐久氏は歯がゆい思いを禁じ得なかったという。
時には告発された情報を公表し、東電にしかるべき対応を求める事もあった。東電からは「寄せられた声を真剣に受け止め、再発防止のための取り組みを強化します」などの回答が得られるが、しばらくするとまた同様の問題が告発されるケースもあり、真剣に再発防止策が講じられていたとも思えない。



◇そして福島原発事故へ
栄佐久氏は知事に就任した当初から原子力政策のずさんさや危険性を把握していたわけではなく、次々と明るみになる不正やトラブルに直面するうちに、問題意識を高めて厳しく追及するようになった。
長い時間をかけて国の原子力政策と対峙していく中で、官僚や電力会社の姑息な手口を知り、それに抗戦する術を模索していった。

その栄佐久氏が失脚すれば、これまで培われた原子力政策への問題意識や対抗するための知恵は失われ、新たに知事に就任した佐藤雄平氏は、また一から時間をかけて原子力政策の問題に気付き、渡り合う術を見いだしていかねばならない事になる。


しかし雄平氏が原子力政策に対峙する姿勢もじゅうぶんに整わないうちに、'11年3月の福島原発事故は起こった。
言い方を変えれば、栄佐久氏が原発の問題に強く気付くきっかけとなったのが'02年の隠蔽発覚であったとするなら、雄平氏が原子力政策の危険性やずさんさに気付くきっかけとなった出来事が、'11年の福島原発事故とも言える。

とどまる事を知らない霞ヶ関の横暴によって、ついに原発事故は引き起こされた。
福島県の知事のみならず、広大な土地と共に、多くの県民までもが抹殺されかけたのである。




Posted by Moist Chocolat at 11:55│Comments(0)
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