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2017年05月24日

基地の島々を結ぶ旅。4ヶ月ぶりの辺野古。

与那国島から飛行機で那覇空港に着いてから、辺野古キャンプシュワブゲートを訪れた。
最後に行ってから4ヶ月ぶりになるはずだ。再会を果たした人も、そこに集う人々も、変わらずにそこに居てくれたことが何よりありがたかった。
昨日は30台あまりのダンプと3回の強制排除があった長い一日だったそうだ。
命を、命の海を守るということは、リレーのように分担して重層的にバトンを渡しあいながら、つなぎ合わせる歴史の継承と似ている。だからここに来る度に感謝の気持ちが湧いてくる。

ネットの中ではその間応援をしていたが、人と人が立つ現場では、全ての五感をフルに使って感性を研ぎ澄まさなければならなくなる。それこそが私たちの身体で獲得しなければならない、この身体感覚こそが情報の海で薄められ忘れ去られようとしている何かなのだろう。

本土からの機動隊は帰ったようだが、地元の沖縄県警と機動隊が現場にいる。気弱な対応をする隊員を現場から外していると聞いた。
また、以前のように現場に立つ隊員に直接語りかけたりするチャンスが取りづらくなったと。
強制排除の時だけ出てきて、目的を達成するとゲート内に引っ込むと聞いた。
接触の機会と時間をなるべく少なくせざるを得ない追い込まれた事情があるのかもしれない。
座り込みの現場で心に撒き続けた種は、芽を出し心の花を咲かせたのかもしれない。わずかながらでも。

政府は歴史の闇から再び共謀罪を引っ張り出してきた。残念なことにそれを許す社会の土壌が命脈としてあるという証明に他ならない。そして共謀罪の適用範囲は真っ先に沖縄なのである。昨年、高江で政府が見せたように、あれは民主主義と憲法破壊の壮大な社会実験の様相を示していた。

しかし、巨悪が跋扈し戦争を画策しているのではなく、多くの人々の心に根強く巣食っている小さな百鬼こそが、無知と無関心を誘発させている。自らの立場を守るために自身を欺くことが一つの悪であり、その総体が巨悪の幻影を生み出している。

辺野古に来る度に感謝と勇気をもらっている。誰が言っていたが勇気だけは経験でしか獲得できないものであると。
今朝は座り込みの現場に行くつもりだったが、予定を変更して伊江島に向かうことにした。
小さな島に課せられた戦争の記憶と現在進行形で進む基地の拡張を見て来なくてはいけないと思っている。







  

Posted by Moist Chocolat at 09:52Comments(0)

2017年05月03日

辺野古や高江はダミーかもしれない。石垣島でヒロジさんが陸自配備に踏み込んだ警鐘を鳴らす。

山城博治さんがことのほか沖縄の離島である石垣島に想いを寄せているエピソードがある。
80年代に、当時沖縄県の職員であった博治さんが税金を滞納していた石垣島の於茂登岳の周辺にある開拓集落を訪れた時のことである。
その集落は米軍の嘉手納基地による強制土地接収や様々な事情によって生活の基盤を失った人々が散在していた。琉球政府による計画移民で移り住んだ人々が多く戦後から必死になって開墾し切り開いた集落であった。
博治さんが県職員として訪ねて行くと、つぎはぎ小屋のようなバラックに家族が川の字になって眠っていたのに驚いた。そのあまりにも貧しすぎる現状を目の当たりにして、最後まで税金のことは言い出せずに帰ったという。

それから時が経ち先日、博治さんは再びこの集落を訪れた。今回の訪問は、もちろん税金のことではなく、この集落に隣接して防衛省が作ろうとしている陸上自衛隊基地についてである。
この新基地に隣接しているのは於茂登地区だけではない。開南、嵩田、川原の四公民館全てが地区の総意として反対決議を上げている。
いまや沖縄の平和運動の象徴的な存在になって戻ってきた博治さんと、このように邂逅を果たし手を携えるとは、双方にとって歴史の僥倖と呼ぶほかない。
彼は昔から今まで、まっすぐに最も弱き人々に向き合っていた、人の苦しみがわかる男なのである。

沖縄の島々への陸自配備を扱った映画「標的の島〜風かたか」の上映会後のクロストークに参加した博治さんは、これまで溜め込んでいたであろうその思いを、会場に集まった石垣島の市民に対して、思いのたけを洗いざらいさらけ出して語った。
「沖縄の辺野古や高江の仲間と訪れたかった。大きな中央政府に沖縄が一丸となって抗う運動の今が最大のピークにある。沖縄の全ての力と誇りをかけて対峙している。私はひとりの人間として沖縄に生を受けて良かった。今この時を多くの県民と共に生きていることに喜びを感じます。
沖縄本島でがんばっている人たちも、気持ちは一緒であるとお伝えしたいと思います。しかしこの間、辺野古や高江に張り付かざるを得なかった状況に心を痛めています。もしかしたら、辺野古や高江はダミーで実際のところは先島に自衛隊基地を広大に造ることが目的ではないのか、そんな風にさえ思えてしまいます。実際そうでした。私たちが辺野古・高江にこだわっている間に、あっと言う間に基地建設が始まった」と。

博治さんの先島への張りさけるような叫びを聞いた。
この秘めた想いを汲み取らずして、今回の来島の意は伝わらないと感じている。
私たちは沖縄の分断を、ここの離島から越えられるのかもしれない、それこそが本当のオール沖縄の目指すべき姿であり、日本で唯一自力で憲法を獲得した沖縄だからこそ、日本の民主主義に対しての指針になれると思っている。
この琉球弧の島々の土地を再び戦場にさせてはいけない。
今年も先人たちの血と汗で切り開いた土地にマンゴーやパイナップルが実をつけ始めていた。
私たちは不断の努力によってこそ平和と繁栄の果実を手にすることができるのである。

(追記)来島して頂いた博治さん、クロストークを企画して頂いた三上智恵監督と南西諸島への自衛隊配備に警鐘を鳴らしている軍事ジャーナリストの小西誠さん、沖縄の運動を支えている方々と再会できて力をもらいました。
そして、沖縄の皆さん、全国の皆さん、石垣島の皆さんに、心より感謝申し上げます。
























  


Posted by Moist Chocolat at 20:40Comments(0)

2017年04月23日

与那国駐屯地1周年式典、メディアと防衛省の蜜月

本日与那国島で「与那国島駐屯地創立1年記念行事」が行われた。
私たちはゲート前で、強引な基地建設に対して抗議の意志があることを示すために集まった。
しかし、県内外から取材申し込みをした34名のメディアの誰一人としてこの光景を目にすることはなかったのである。

防衛省はC1輸送機で那覇からの移動を希望するメディアを乗せて10時に与那国空港に着陸した。
その後、すべてのメディアの集合場所を空港に指定してマイクロバスで駐屯地まで運んだ。
しかも、スタンディングしている正面正門からではなく裏口から入っていったのだ。
他の参加者の車は堂々と正面から入っていったのにメディアだけ裏口からという特異な対応は、防衛省の明らかなメディア対策に他ならない。
抗議のプラカードを掲げた人々の写真を一枚たりとも撮らせないという鉄の意志が貫徹されたのである。

駐屯地内に入場した記者によれば、14:30まで、時間にして4時間半、防衛省の描く与那国駐屯地創立の意味をしっかりとブリーフィングされたのだと言う。
その後、大半のメディアは、空港まで再びマイクロバスで送迎されてC1輸送機に搭乗して帰ったのである。
その間、一歩も自らの足で周辺取材をせずに、駐屯地と空港を往復したに過ぎない。
これが防衛省とメディアの蜜月の姿である。

与那国島に陸上自衛隊の基地が新設されたのは、それほど小さなことであるのか、1年が経ってしっかりと問い直されるべきである。
過剰な基地負担を課せられた沖縄にさらに、日本復帰後作られた初の基地が与那国駐屯地である。
そしてこれから、石垣島、宮古島、奄美大島へと陸自基地建設は同様に、メディアと政府が一体となって推し進めようとするのである。
この一幕を見るだけでも、防衛省が住民に丁寧な説明をして理解して貰おうとする姿勢は毛頭ない。可能な限り裏で知られないように進めたいという本音を、図らずも与那国島で明示してしまったのである。
権力への批判を失ったメディアなど政府の広報(プロパガンダ)に過ぎない。しかし、与那国島の声は権力の暴風に耐えながらも、そこにあるのである。
それには少しだけ耳をすませなければ聞こえない、小さな声があることを知ってほしいと願っている。


























↑我那覇真子






  


Posted by Moist Chocolat at 21:11Comments(0)

2017年04月22日

石垣島でのミサイル部隊配備を語る、元レンジャー自衛官

石垣島での「市政とミサイルを語るバガケーラ(われら皆んな)の集い」が終わりました。
講師に元レンジャー部隊員で自衛隊の実像に詳しい井筒高雄さんを迎えての講演でした。沖縄の離島への陸自配備がいかに非現実的で無謀な作戦であるかが、自衛隊の法体系も交えて専門的な見地から指摘されました。

有事に際しては、防衛大臣直轄の陸海空情報保全隊が機密保持の名目で人権を制約し、また自衛隊法による土地建物の摂取が可能になります。
そして戦端が開かれてしまえば、車載式ミサイル部隊が島中の幹線道路を発射と移動を繰り返しながら走り回る。そこには軍隊同士による限定された戦場などありえず、住民は地下街(そんなのはない)や小中学校などの堅牢な建物に避難していて下さいとの政府の説明はまやかしで、島中いたるところ無差別にミサイルが降り注ぐというのが現実です。
井筒さんの講演では、住民混交の中で繰り広げられる殲滅戦のシュミレーションに留まらず、最終的には大国同士による日本分割統治に発展する亡国のシナリオにまで解説が及びました。
基地建設に反対していた参加者ですら突きつけられた想定には言葉を失っていました。もはや被害に遭うのは賛成反対でもなく、その島に住む住民なのです。

かつて満州事変から都市無差別爆撃、四人に一人が亡くなった沖縄戦、原爆投下を経て敗戦に至った経緯を1931年の当時、後の壮絶な破壊を想像し得た日本人は皆無だったでしょう。
その時と同じように戦争というものは、想像を超えて人々に襲いかかって来ます。人間の生命のみならず尊厳も豊かさも破壊し尽くす、人間が行ない得るなかで、最低最悪の愚行であることを忘れてはならないのです。

与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島へ新しい軍事基地を作ることが人々の何を守るというのか、与那国島に住む私には軍隊のロジックだけで平和を理解することはできません。歴史を振り返れば、軍というハードパワーへの傾斜が引き起こす戦争こそがあまりにリアルな歴史の証明だからです。

ナチスのゲーリングはかつて「国民を戦争に駆り立てるのは簡単だ。他国の脅威を宣伝し、それに逆らう者には愛国心がないと非難するだけで良い」と言いました。その図式がここ南西諸島の島々には当てはまらないと言えるのでしょうか?
隣国との紛争に武力行使を選択するということは、戦争当事国になることを意味します。政府と政治家、防衛省と自衛官、日本国民と離島住民に、その認識と覚悟はあるのでしょうか。

南西諸島の島々で推し進められようとしている基地建設は、米軍と一体化する自衛隊の大改造計画と共に、日本人は戦争をどのように考えているのか、過去の総括と現代の認識が問われています。

打ち上げでは「標的の島〜風かたか」の映画の石垣島キャストが気がつけば揃い踏みで参加していました。
この石垣島でも、現実の人間ドラマはまだまだ現在進行形で進んでいます。
私たちが未来へ紡ぎだす一歩づつが、笑顔と勇気を通い合わせた命の物語であったと、後に語られる、そんな予感に満ちていました。
この物語はまだまだ続きそうです。

















  


Posted by Moist Chocolat at 23:12Comments(0)

2017年04月12日

与那国「イソバの会」稲川さんの一周忌

「与那国島の明るい未来を願うイソバの会」の共同代表であった稲川宏二さんが不慮の事故で亡くなって一年が経ちます。新聞報道に載り、広く伝えられたのが昨年4月12日のことでした。
あれから1年の節目を迎えて、これまで僕が言いにくかったこともあり、それでも書き残しておきたいと思う。

沖縄タイムスの新聞報道が伝えるところによると、与那国島の南にあるカタブル浜で4月10日、貝採り中に行方不明になっていた稲川さん(49)は11日午前7時半ごろ、海中に沈んでいる状態で発見され、同8時9分に搬送先の診療所で死亡が確認された。稲川さんは与那国町への自衛隊配備計画に反対する「与那国島の明るい未来を願うイソバの会」の共同代表を務めていた。
稲川さんは10日午後1時半ごろ、友人男性と2人で貝採りに出掛け、友人が海から上がった後、行方が分からなくなった。沖縄県は11日午前0時に知事名で与那国沿岸監視隊長に行方不明者捜索の災害派遣を要請。海保、自衛隊、民間ダイバーらが捜索に当たっていた。石垣海上保安部によると、捜索に当たっていた地元ダイバーが陸から約1・8キロ、水深約10メートルの海底で発見した。という。

僕が行方不明の報を受けたのは旅路の途中、隣の石垣島でだった。3月28日の与那国島への陸自駐屯地の発足の式典に参加し、現場でまざまざと記憶に留めるという経験をへて、この島の未来を想うといたたまれなくなったというのが、与那国島を離れた正直な気持ちだった。訳もなく島から弾き出されるようにして、その後ふらふらと3週間にわたり、同じ基地問題を抱える石垣島・宮古島・韓国の済州島へと向かうことになるのだが、ちょっと長旅に行ってきますと、言葉短く稲川さんに伝えたはずだった。その時彼がどのような表情で、どのような言葉で私を送り出してくれたのかは、いまもって記憶が曖昧なままだが、他の島との連携を切に願っていたのは、この小さい島では数少ない二人の共通意識だったかもしれない。これは与那国島の問題だけではないと、だからこそ多くは言わなくても阿吽で分かり合えただけに、その印象が記憶から消えてしまっているのだと思う。
別れの予感は微塵もなくても、突如現実は悲しい形で訪れる。語弊を恐れずに言えば車の両輪のように助け合っていた仲間の突然の近すぎる死は、その意味を生者の立場から問うことがあまりにも難しい。この一年は喪失感と共に、これまで支え合っていたのだという実感を、時間という文脈の中でゆっくりと消化しながら進むことしかできなかった。しかし、稲川さんの不在が生きている存在に語りかけるという働きかけは、私の中で生の一部として今もなお生きているのだと思っている。

稲川さんの訃報を受けて、当時このように書いた。
『島の将来を考えて、対立の矢面に立ち続けた彼の重圧は計り知れない。葛藤の渦に巻き込まれながらも、笑顔と理性で信念を貫く姿に、教えられることが多かった。
全国から飛んでくる誹謗中傷、小さな島社会でかかる圧力と恫喝、恐怖と隣り合わせの生活。彼の死がたとえ事故であっても、彼を死に至らしめたのは、私たちひとりひとりと、その社会ではないのかと、自責の念に耐えない。
ひとりの死をもってしても終わらない分断を与那国島は抱え、南西諸島全域への自衛隊配備は進められていく。ひとりの人生が投げかけた問いを私は考えている。』と。
自責どころか、稲川さんを死に至らしめたのはひとりひとりではないのかと、叫んでいた。
この言葉はやるせない真実を含みながらも、同時に内面に突き刺さる自傷であり、外部に向かっては関係を拒絶するバリアでもあったのだと思う。ようやくこの呪縛から僕は少し解けてきたのかもしれない。

先日10日の一周忌に、稲川さんの奥さんとようやく会って話すことができた。「できた」というのは自分の中で気持ちの整理がつかなかったからである。僕がこれまで気にかけて遠ざけたいと思っていた実相は、この与那国島における自衛隊基地建設反対運動が稲川さんを殺し、同じ殺し殺されの延長線上に立っている私を、遺族である奥さんがどう考えているかわからず、怖かったかったからだ。
世間話をする中で、僕は思い切って「大変言いにくいことなのですが、実は自衛隊基地建設反対の立場から、僕はいまだにあっちこちを飛び回っているのです」と告げた。そしたら満面の笑顔で「そんなの知ってるわよ〜。旦那もきっと後を継いでくれて喜んでくれてるはずよ〜」と笑って返してくれました。
この一年自分に刺さっていた棘がなんだったのか、単純に言えばただの杞憂が悲劇の殻で覆われていたにすぎませんでした。
この小さな与那国島で社会問題を語ることの厳しさを、身近で支えていたのはまさにこの人だったんだと、わだかまりが解けていくようでした。

一年経って少しだけ死の意味と自分の行動が重なって見えてきました。光の背後には必ず影が生まれ、先人が光に向かって歩いた後には影が長く伸びている。同じ道の上を歩んで行っても、そこにはゆらゆらと進むべき道標を影法師が指し示してくれているのだろうと感じています。生者と死者の河岸は明白な線ではなくて常に過去と未来とが交わる創造的な世界なのかもしれません。現在、生かされて在る命に対して、あの世から学びを受け取っていることを感謝し生かして行きたいと思います。

「戦わないで仲良くしよう」と日本最西端の島から稲川さんは問いかけています。







  

Posted by Moist Chocolat at 23:31Comments(0)

2017年04月06日

浜下りとアカマタ伝説

浜下りは、沖縄県と奄美群島を含む琉球弧の島々で旧暦3月3日に行われる伝統行事です。沖縄本島ではハマウリ、ハマオリ、宮古諸島ではサニツ、八重山諸島ではサニズ、徳之島や奄美大島ではハマウリと呼ばれるようです。

本来は女性だけの行事であったようですが、私が与那国島に来てからはおばあ達から「海に行って足を浸けてきなさいと」常々言われていたので、仕事を終わらせて夕方暗くなってから浜辺に行ってきました。

沖縄本島のような都会での浜下りの様子はよくわからないのですが、最近では与那国島でも家族連れで潮干狩りや海遊びを楽しむようなピクニックに変容していて、賑やかなビーチパーティーの様相を呈しています。
海からの帰り道、そこかしらの家の軒先が煌々と光っていて、人の笑い声や子供達のよく響く声に加えて、炭火と焼肉の香りが、夜風に乗って漂ってきていました。

浜下りの歴史的な経緯はざっと調べていても、その歴史的な真意はよくわかりません。ですが、清浄な浜の白砂をふむことにより、けがれを清め、命の豊穣を願うという民間信仰の祈願の影に、女性に架せられた悲嘆の歴史が横たわっているように感じました。

沖縄の浜下りの起源とも言われる民間伝承を一つ紹介します。

【蛇婿入り】

昔、女性のもとに夜な夜な通う美男子がいました。
二人は愛し合っていましたが、男性は夜にしか女性に会いにきません。

いつしか女性のおなかには男性の子が宿りました。
女性は彼の事を何も知らなかったので、彼がどんな人か確かめようと思い、男性の着物の裾に糸を通した針を刺しました。

夜明け前になると、いつものように男性は帰っていきました。
女性は、裾に付けた糸を追って男性のあとを追いました。

そして着いた場所は・・・洞穴。
その洞穴にいたのは、・・・なんと巨大な蛇!

男性の正体はアカマターだったのです。
(アカマターは方言で蛇の事です。)

愛した男性が実はアカマター(蛇)だった・・。
男性の正体を知った女性は、嘆き悲しみました。

女性は海にいき、海水に浸かり身を清めました。
すると体からたくさんのアカマターの子がジャラジャラ、ジャラジャラと何匹も流れ出たそうです。
女性はもう一度海に入って、潮できれいにみそぎをして、もとのような身体になった。

その日が3月3日だったことから、
旧暦の3月3日は女性の厄除けの行事として「浜下り」が行われるようになったそうです。

私はこの伝承を読んで、誤解を恐れずに言えば、旧暦の3月3日は子堕しと口減しで命を全う出来なかった幼い命への供養の日ではないのかと直感しました。

歴史を紐解くのは、人間の闇に触れるのと同義であるくらい陰惨な不幸が人の数ほど積み重なっていて、暗部のページをめくる作業に似ています。
平時、自然環境が穏やかな時は子供は貴重な労働力になりますが、環境が悪化すると一番弱い立場に立たされてしまう。
島という限られた系に生きるのであればなおさらのことだったと思います。
私たちは飢えから解放された、人類史のほんの一瞬に生を受けているに過ぎず、歴史と伝統を継承する意義を忘れているのではないでしょうか。
その悲嘆の集合意識が伝統行事の一部に埋め込まれていたとしても不思議ではないと思っています。

沖縄ではニライカナイに命を産み出し、共同体を支える豊穣を讃える反面。海に対して畏怖の念と救済を同時に抱いていたのでしょう。終わりなき災厄に翻弄される、あまりにも小さい存在である人間はまた、最後の頼みに信仰を見出していたのだと思います。

あまりに辛い話ですが、全ての命を産み出す龍宮の神々に祈る人たちの物語が隠れているように思います。
海と人が一番近くなる大潮の日。海面から浮かび上がった珊瑚礁のリーフを、地上から海の果てまで続く霊道に見立てたのではないでしょうか。
様々な想い抱えた島々の女性は、可能な限りニライカナイのそばまで歩いていって祈りを捧げたのだと想像しています。

古の時、多忙を極めた女性を家事から解放する浜下りに、ウジュー(重箱)にご馳走を詰めて、女性たちだけで遊ぶ一日はどんなにか楽しかったであろうと思います。
その日、交わされた会話がどのようであったか、今では想像するほかありませんが、辛い話も心開ける癒しの機会であったと思います。

先祖の思いと重ねて現在の自分の足元を確認するのが、常に前へ前へと行き過ぎる人間社会への警告だと思っています。

楽しかった今日の思い出の忘れ形見なのか、波打ち際に小さな赤い島ぞうりがありました。
過去・現在・未来に培われた少女の記憶を呼び覚ます結び目のように、それは凛とした精気を放って語りかけてくるのです。










  

Posted by Moist Chocolat at 11:04Comments(0)

2017年03月27日

与那国島 陸自駐屯地発足から一年 最前線の活況と亀裂

明日で与那国島への陸上自衛隊配備から1年。
下に記事全文を貼り付けてあります。

先日、朝日新聞の記者が訪ねてきてインタビューを受けた際のコメントが、短いですが記事に載っています。
「村八分」という言葉が切り取られるとセンセーショナルに響きますが、それも真実である反面、実際に起こっていることは沈黙の連鎖です。
多くの人にとっては、語ることがタブーになりつつあります。
あまりにも小さな島であるがゆえに、職場であったり親戚関係であったり地域行事であったりと、人間関係があらゆるところに紐付けされて非匿名性で生きられないところに、この与那国島特有の苦しさがあります。

与那国島への自衛隊配備があまりに拙速であり、今更ながら急激な変化に驚いています。
配備までの住民の合意形成の過程で、知識も十分な情報もないまま、きちんとしたした議論がなされなかったことで、後々まで住民と家族連れで赴任してきた自衛隊員との間に消えない火種がくすぶり続けているのは、双方にとって不幸なことだと感じています。

私が「村八分」に「された」との表現は、客観的な事実はさておき、島内に「被害者」と「加害者」の関係を再び作り出すことになるので、そこは本意ではありません。
未だにこうして、自分の言葉遣いや振る舞いに気をつけて生きざるをえないのが与那国島のセンシティブな現状です。
付け加えると、行事に呼ばれなくなったと言うよりは、人が集まる場に自分が行きたくなくなった、または怖くなったというのが本音です。
自衛隊基地受け入れの賛否で、敵味方に分かれる分断を経験した与那国島の住民の中にも、私と同じように感じている人はいるはずで、地域共同体の緩慢な崩壊をどの程度止められるのかは、今のところ未知数です。

しかし、私が自らを「被害者」の立場に置き換えることが許されるのであれば、「加害者」は周囲の無関心であり、沖縄県の新基地建設に対する不作為であり、日本国の住民を無視した強硬姿勢であり、米軍の対アジア戦略であり、軍産複合体の金儲けにあります。

どんな傷からも人は立ち上がれるのかもしれませんが、実際に与那国島に投下された基地建設バブルの余波はまだ2、3年は続くのでしょう。
いわばお金という麻酔が効いているうちに進行する事態の深刻さに、今のうちにどのように向き合うかが問われています。
虚構を積み重ねれば積み重ねるほど落ちた時のダメージは大きく、それは経済だけではなく人間関係においても同様に言えることだと思います。
バブルの夢から醒めた時に、陸海空の基地を受け入れ人口減少に転じた対馬のように、ひとりまたひとりと島を去って行くのだと思います。

本当のところ、私が投稿しても島の人には読まれたくない、良からぬ噂が立たないように、そっとしておいてほしいという気持ちはあります。
実名入りのリスクにこれまで向き合いながら発信してきましたし、これからもこの島に住む限り、ギリギリの線で続けていくということをご理解いただきたいと思っております。
人間関係を壊さないようにコミュニティーに政治を持ち込まないというのが、ある種の島人の気遣いや優しさであったとしても、戦争態勢への具体的な一歩を踏み込まれた危機感を、現場から伝え続ける必要を感じています。
また、逃げ場のない島で、戦争リスクの最前線に立たされてしまったと言うのがリアルな実感であり、抑止力などに守られている安心感などはカケラもありません。

小さなこの島で生きて人生を平和に全うしたいと願うのが全島民共通の願いです。
時代の空気がファシズムから戦争へ一気に加速するのか、また平和への希求が時代の流れを変えるのか、そのターニングポイントはいつか訪れるのだと思っています。
時代の流れが変わるその時まで、島の中にある灯火を絶やさない連帯が何よりも求められていることを、一年経った今、再び強く感じています。
お金と権力のピラミッド構造に目を向けるとあまりに巨大すぎますが、それでも私が日本語を使って水平方向に呼びかける仲間が日本や世界にいることが希望です。
地球上にはカオスという可能性が無限に満ちていて、もしかしたら蟻の一穴が、ここ日本最西端の与那国島から起こらないとも限らないのですから。

与那国島、石垣島、宮古島、沖縄本島、奄美大島へ、自衛隊発足後最大の軍事シフトが起こっていることを全国の人たちに知ってほしいと切実に思います。
そして、それぞれの島で生活している人々のみならず、自衛隊員やその家族も巻き込んで玉砕の島にするような、日本政府が描く自衛隊配備計画へ反対の声が、日本中から沸き起こることを与那国島より願っています。

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(変わる安全保障)与那国に自衛隊、潤いと不安 配備1年

屋上から庁舎を案内する与那国駐屯地司令の塩満大吾2佐=16年12月2日、沖縄県与那国町、小山謙太郎撮影

 海洋進出を強める中国を念頭に置いた防衛力強化の一環として、日本最西端の与那国島(沖縄県与那国町)に陸上自衛隊駐屯地が開設され、28日で1年。誘致への賛否が二分した島は、どう変わったのか。

 ■建設工事や税収増・島離れた住民も

 今月23日、町立与那国小学校で卒業式があった。児童数は50人前後だったが、この1年で自衛隊員の子供たち13人が編入。全児童数が2割以上増えた計算で、複式学級が解消された。

 その前日、小高い丘を背に海原を望む与那国駐屯地では、隊員用の体育館や倉庫の建設工事が続いていた。島は今も建設業者らでにぎわう。「飛行機の席も民宿も予約が取りにくい。まだまだ続くよ」とレンタカー店長は話す。

 町が自衛隊誘致に動いたきっかけは財政への危機感だった。
 終戦直後の島は人口1万2千人。昨年2月には人口1500人を割っていた。島を二分した議論の末、一昨年の住民投票で誘致賛成が上回った。昨年3月以 降、約160人の隊員とその家族あわせて約250人が転入し、人口は1715人(今年2月末)に増加。住民税と駐屯地の地代の計約5800万円が町の新た な収入になった。

 隊員たちは積極的に島に溶け込もうとしている。島の3地区に宿舎を建て、自治会の祭りや運動会に参加。駐屯地司令の塩満(しおみつ)大吾2佐(39)は「今後進む南西諸島への配備の模範としたい」と話す。

 駐屯地の中はどうなっているのか。昨年12月に日本記者クラブの取材団に加わり、訓練などを取材した。 島への武装勢力の侵入を想定し、スクリーンに向けて模擬銃を撃つ。土地が限られているため実弾演習場はなく、訓練には屋内シミュレーターを使う。

 駐屯地には警備部隊と、東シナ海の中国軍などの動向を山上からにらむ高性能アンテナ5基などを運用する部隊が常駐する。塩満司令は「航空機や艦船からの監視と違い、24時間定点観測できる」と話す。

 ただ島には亀裂が残る。カフェを営む猪股哲さん(40)は反対活動を続けるが、賛同者は減り、祭りや運動会に呼ばれなくなったという。「村八分のような 状態です」。民宿を営む狩野史江さん(57)は「迷彩服姿の隊員が目立ち、雰囲気が変わったねとお客さんに言われる。島を離れた住民も多い」と話す。

 町の有権者約1300人のうち隊員とその家族で200票以上あり、町長選や町議選の結果を左右する可能性もある。反対派の田里千代基(たさとちよき)町議(59)は「島が自衛隊城下町になりかねない」と懸念する。

 有事の際、島民がどう避難するのかを示す町の国民保護計画は未策定だ。町は今月末から沖縄県と本協議に入り、計画を作ることにしている。(小山謙太郎)

 ■進む「南西シフト」
 対中国を念頭に進む「南西シフト」。今月19日の防衛大学校卒業式で、安倍晋三首相は「南西方面では外国軍機による領空接近も増加している」と言及し た。稲田朋美防衛相も3日の記者会見で「南西諸島などをめぐる状況を考えると、自衛隊の施設を置いていくことは重要だ」と述べた。

 防衛省・自衛隊は与那国島への陸自配備を皮切りに、宮古島市と石垣市にも警備部隊とミサイル部隊の配備を計画。昨年、両市に正式に要請した。新年度予算案では、宮古島市への陸自配備に向けて土地取得費や整備費など、約310億円を計上している。

 尖閣諸島がある石垣市では「中国公船が領海侵犯を繰り返し、危機感がある」と語ってきた中山義隆市長(49)が昨年末、配備手続きの開始を表明。宮古島でも、受け入れを表明した下地敏彦市長(71)が今年1月に再選された。

 だが、両市の反対派住民たちは「防衛省や市が建設地など具体的な配備計画を明らかにせず計画を進めている」として反発する。「石垣島への自衛隊配備を止 める住民の会」の上原均事務局長(63)は「基地があるから攻撃されるリスクもあるのに、国は不利な点を説明しない。これでは議論が深まらない」と語る。

 ◆キーワード
 <「南西シフト」> 政府は2013年の新防衛大綱で「南西地域の防衛態勢の強化、防衛力整備を優先する」と明記。500~800人規模の部隊を鹿児 島・奄美大島、沖縄・宮古島、石垣島に配置。離島を侵略された場合、戦闘機や護衛艦の支援を受けて上陸する「水陸機動団」も来年3月に長崎県佐世保市に新 設される。




  


Posted by Moist Chocolat at 16:46Comments(0)

2017年03月19日

山城博治さんの保釈に思う

山城博治さんが高裁那覇支部の決定により、約5カ月ぶりに釈放されたとの速報に喜びが絶えない。

しかしこれで一件落着という空気に満たされてはいけない。
それは獄中の博治さんがこの日までずっと考え続けてきたことでもあろう。権力の牢獄から出てきて、日の光と人間の温かさに触れる喜びを感じながらも、次なる運動の深化を課題にして戻ってきたのだと思っている。
問われているのはそれを受け止める私たちだ。

彼は英雄視されることを好まず、また市井の人々と共にまた現場に降りていくのであろう。
饒舌なようでありながら、語らずに伝える沖縄を体現しているのが現場に立ち続ける彼の姿でもある。
沖縄の一体感という稀有な現象の中心にいて、発し続けた山城博治という存在感は、もはや沖縄の運動に留まらない。
本土にも突きつけられた権力犯罪を白日に晒した記念日として、司法がギリギリ飲まざるをえなかったのだ。沖縄と日本の人々が覚醒に貢献した一人の人生を、歴史は後世に刻むに違いない。

この間、私たちのリーダーであるとされる翁長知事は彼に対して何をしてきたのであろうか。
また本土に比べて、健全であると言われてきた沖縄県紙は何を伝えてきたのか、実質的に進む沖縄全体の基地化に、実質的に歯止めをかけてきたのか、よくよく考えなくてはいけない。
翁長知事もタイムスも新報も、それを信じ続けてきた人も、政局論で口を閉ざしてきたオール沖縄とは何だったのか、封殺された言論から私たちが
一皮脱却しなくてはいけない。
彼の言葉にできなかった思いは山ほどある。それらを咀嚼して語り継ぐ、それが歴史になる。

山城博治氏が不在の間、まがい物の運動が跋扈し宮古島や浦添市での首長選挙を落とした。そんな遠因をとても身近に感じるのが先島への自衛隊配備が進む離島の島々から見た視点である。
博治さんも悔しく思っていたに違いないのは、個人的に語り合ったことがあるから。
まずはお帰りなさいとねぎらってあげたい。
そして博治さんが拘置所の中で本当に心から願っていたものは何なのか、一人一人が思いを馳せるところから次のステージは始まったのだと。
今日この日から、あの抵抗の日々の繰り返しではない分断を超えた新しい創造性が問われている。沖縄のみならず日本にも、沈黙の連鎖に囚われた負の終始付に打つ時は満ちて来ているのだと思っている。
喜びの共有と、次なる世界へ、私たちは確実に歩を進めている。









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2017年03月06日

与那国島に掃海艇が入港

本日与那国島の祖納港に掃海艇「ししじま」が寄港し、同時に船内の体験乗船を行った。
私はこのような体験乗船会のイベントを人づてに聞いて現場に駆けつけたが、「ししじま」の2等海尉の広報担当者によれば「私は質問に答える立場にないので、さらに上の者に質問して欲しい」とのことだった。

掃海艇は海にばらまかれた機雷を爆破し無効化する任務を負う。機雷とは言わば海の地雷のようなものである。海上自衛隊発足の歴史には、太平洋戦争後の日米共同での近海の機雷除去と、それに続く朝鮮戦争への派遣が、この掃海作業と密接に関わっている。海自が生まれた最初のスタート点が掃海作業であり、当初から米軍と一糸乱れぬ足並みを合わせてきたのは、空自や陸自にもない出自である。

普段この「ししじま」は第46掃海隊に属し、沖縄本島のホワイトビーチ(勝連)に日米共同の基地を有し、現在は「ししじま」「くろしま」「あおしま」3艇が就航している。2007年に与那国島の祖納港に米国の掃海艇が入港した時は戦後初ということで、島内でも騒ぎになった。掃海艇は他の海自艦艇がいつでも使用可能か、定期的な港湾調査を行っており、水深のデータや整備状況を把握する先見隊でもある。その一環として寄港した各地で体験乗船会を度々行っているとのことである。

「ししじま」体験乗船会には、与那国町長外間守吉氏と与那国防衛協会の金城信浩氏と与那国駐屯地の陸自関係者が、同時に車を連ねて表敬訪問する一場面もあった。この蜜月ぶりは、海上自衛隊が「海自への理解を深めるため、各地へ寄港の際は体験乗船会を開いております」との説明だけでは納得し難い宣撫工作への利用が透けて見えるのである。
最後に「ししじま」艇長の3佐に面会して話を伺うことが出来たので、無理を承知で質問をしてみた。
1点目は「昨年3月に陸自沿岸監視部隊が発足した与那国島で、来年8月の町長選挙へ立候補を予定している糸数氏が海自の誘致を掲げて関係者との接触もあるようだがどのように考えていますか?」
答えは「初めて聞いたのでびっくりして、なんとも言いようがない。私の知る限りでは何とも答えることはできません」
2点目は「集団的自衛権行使容認に伴って、例えばペルシャ湾などでの有事の際に、海自の掃海能力を米軍は真っ先に期待するはずだが、最前線に立たされることについてどのように感じているか?」
答えは「そのようなコアな部分については私のような下士官に聞かないで欲しい、できれば総監部に問い合わせして欲しい。私の一存では答えることはできません」とのことであった。

ルーティーンワークの日常を淡々とこなす隊員に期待以上の答えを求めるのも酷である。平時において人は人であるに過ぎない。
艦内を案内してくれた下士官が「海自はあくまでも領海内の国防を担当しますから。掃海艇は攻撃する艦艇ではないのです」と誇らしく語っていたのが、彼らのアイデンティティでもあるのだと現場の声を聞いてわかった。

中国脅威論に先導された対中強硬路線の最前線の声を少しでも聞きたいと思ったが、意外に無邪気に過ぎないか、と思うところもある。世論の沸騰を背景に戦場に命をさらすのは彼ら多くの下士官である。取材対応が紳士的なだけに、その背後の危機が認識されていないのではないかとも感じた。私は現場での自衛官のSOSに耳を傾けたいと思う。
常にこの国の危機は表層に留まり、無謀な作戦を戦時繰り返し、悲惨極まるまで隠蔽を続ける自己運動を止めない。かつてこの小さな島にも空襲があり、軍命の強制疎開に伴う戦争マラリアで360名もの死者を出した記憶がある。
この掃海艇の寄港に際して、与那国島の住民は反対の声をあげプラカードを掲げていた。1972年に沖縄が日本に復帰して以来初めて陸上自衛隊基地が日本最西端の与那国島に作られた。
小さき人々を押しつぶす戦争国家体制への遂行に、小さき島は今でも警鐘を鳴らしているのである。















前日に、与那国島駐屯の陸自がヘリ試乗体験会を、小学生から高校生までに限定して行っていた。

  

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2017年03月01日

シンポジウム「今こそ辺野古に代わる選択を」

ND(New Diplomacy)新外交イニシアチブは、その名の通り、新しい外交を模索して始まった民間シンクタンクである。今回はNDが主催する「今こそ 辺野古に代わる 選択を」と題されたシンポジウムに参加してきた。会場は立ち見が出るほどの満員御礼であった。

自治体外交権という概念があるが、国同士の交渉が必ずしも良い方向に進むとは限らない。その不幸な一例が沖縄に凝縮されている。対米追従に固執した日本中枢と、他国への軍事力の行使を正義の警察官だと勘違いしているアメリカ。この二つの国もまた思考停止に陥った不幸な一例である。

日本国内の認識では、沖縄にある米軍基地を何処かに移転することで解決を図ろうとしているが、これでは基地負担のツケ回しをしているだけで永遠に解決には至らない。事務局長の猿田佐世氏は「変わらなくてはいけないのは東京。日本政府は沖縄の声をちっとも聞かないので、アメリカに行ってワシントンに伝えていきたい」と語り、途中で嗚咽する場面もあった。

まず、日本においても米国においても、沖縄に海兵隊がいなくてはならない理由を論理的に説明することが出来る人間はワシントンにも日本にもいないという認識が必要である。
屋良朝博氏は、米軍再編で在沖海兵隊8000名が2000名まで縮小し、最終的に残る第31海兵遠征隊(31MEU)は半年以上はローテーションを繰り返し沖縄に滞在していない、そして沖縄の基地の7割は海兵隊の基地である事を指摘した。この航空機も輸送機も持たない31MEUは、佐世保の強襲揚陸艦に乗って移動するのであるから沖縄にいる必然性は無い。これから日米が協議するべきは海兵隊基地の返還であり、米軍が行っている人道援助・災害救援(HA/DR ハーダー)に自衛隊をどのようにジョイントさせるかではないかと提言した。また柳澤協二氏はこの31MEUの部隊をもって抑止力と呼ぶのは褒めすぎだろうとコメントした。

日本外交を機能不全にしている、その驚くほど狭いチャンネルがジャパンハンドラーと呼ばれる窓口であり、このボトルネックが両国の関係を狂わせている。NDでは両政府にとってall-winになれる政策提言を第三の立場から提案する事が出来るシンクタンクを目指す。沖縄においては、駐留する海兵隊の運用を変えることを日米両政府に納得させ、思考のパラダイムの転換を提唱している。
まずは正しい知識と世論形成を図る必要が迫られている。こうしたシンポジウムが開催されるということは、ある意味暗闇に差し込んだ光でもある。日本を代表する稀有な識者が参集し、沖縄を舞台に日本と米国との関係を転換する戦略的な提言を行った。次はNDのシンポジウムを日本各地で行う必要があるのは言うまでもないことだろう。問われているのは日本全体の問題であって、沖縄にこれ以上基地負担を負わせることは許されない。













  

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2017年02月25日

島々への自衛隊配備に対抗する、政府交渉&院内集会が迫る

13年ぶりに東京に行きます。
「陸自配備で南西諸島を標的にさせない 政府交渉および院内集会」と題された集会に参加することを決めました。4島合同でこその意義があって参加します。
与那国島で出会った、関東近辺に住む友人もたくさんいてこの機会に再開したいという思いもありますが、その前に上京に至った経緯にも耳を傾けていただきたいと思います。

私がこれまで発信し続けてきた与那国島の近況の背後には、昨年3月の与那国駐屯地発足のずっと前より続いていた、この島に基地を作らないでほしいという活動の報告も含んでいました。常に自衛隊配備によって脅かされる「標的の島」への危機感があったことはご理解いただけていると思います。

既に与那国島は人口の20%が自衛隊関係者で占められようとしています。そして同じような計画が他の島々でも進もうとしています。
2010年には6000人台であった沖縄の陸海空自衛隊の総数は、16000人へと大増強を図っている最中にあります。

沖縄の辺野古や高江への基地反対の叫びと、弾圧に抵抗する人々と、離島への自衛隊配備に反対する人々の心は同じところにあって、沖縄と日本本土が切り分けられているこの虚しさは言葉にし難いものです。

もちろん沖縄の全ての人が基地問題に関わっているわけではなく、観光客を受け入れて日々の生業の中で糧を得て喜びを共有しながら生きているのも事実です。

ですが、72年前に沖縄県民の四分の一が地獄の戦火で亡くなり、その後の米軍の占領下で辛酸をなめ生き残った人々の記憶は観光の華やかさの陰で容易に消えないトラウマも理解してほしいと思います。

私は与那国島に縁あって住んでおりますが、人の涙も乾かぬうちにもう一度、今度は自衛隊という名目で、実質的な軍隊を島々に配備することに社会が全く関心を払わないのは、かつて来た戦争の道を歩んでいるようにしか思えないのです。そんな報告を持って辺境の島から赴くのは、ハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」か?

たぶん、危機感過剰のアホウのたわごとだと感じている方もいるかと思いますが、不条理に対して沈黙を保つことは服従を意味します。それが日本や島社会の美徳であっても、外部の世界に対しては何らの力も持ち得ないことは日米関係も然り、沖縄と日本の関係に於いても同じです。

敢えて有言実行・知行合一を果たし与那国島から波風を立て続けていますが、私も今度は東京まで足を運びますので、関東近辺の方もこの機会にぜひ足を運んでいただきたいと思います。

また2〜3日は東京に滞在すると思いますので、個別にご連絡を下さればお会いすることもできます。13年ぶりですのでど田舎の人間にとって大都会は不慣れですが、怖い反面楽しみにもしています。

PS,ネットでの情報の発信方法は多岐にわたっております。Twitter、Facebook、Youtubeを同時進行しなくてはいけない状況です。このブログにあげている他、事細かに近況を別媒体で報告していることもご理解いただければと思います。
与那国島と南西諸島の各島で起きている危機感を全国に伝えるため南西諸島ピースネットの共同代表として、孤軍奮闘しております。
与那国島を始め、石垣島や宮古島や奄美大島の在郷会の方々も私のブログを見てくれていると思いますが、未来へ向けて何か応援したいと思っている方々には、ぜひ個人の発信を支えるカンパをお願いいたします。
ゆうちょ銀行 記号17010 番号14550421 ここにぜひとも力をお寄せください。


  

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2017年02月24日

与那国島に新たな基地負担。空自移動監視部隊が到着。

沖縄が日本復帰を果たした1972年以降初めて、与那国島に自衛隊基地が発足したのは昨年の3月28日のことである。以来、この島では迷彩服で島内を歩く隊員や、公道を走る自衛隊の車両を頻繁に目にするようにになった。その光景は与那国島住民にとっては初めて目にするものであり、一年経って変貌したリアルな現実は、島民の目に可視化されることとなった。それが一人一人の心に起こす波紋がどのようなものか私には計りかねている。
日本最西端に位置する与那国島は周囲27キロの小さな島である。およそ10年にわたり水面下で進められていた自衛隊の南西シフトが反対運動を押しつぶし、1500人の島は160人の隊員と94名の家族を受け入れて現在に至る。

今朝、フェリー『よなくに』から航空自衛隊那覇基地所属の第四移動警戒隊の車両が6台ほど降りてきたのを目撃した。与那国島に住んで自衛隊基地問題に関わっていた私にとっては「とうとう来たか」という思いであった。昨年与那国島に配備された部隊は陸上自衛隊であって、航空自衛隊所属の部隊がさらに配備される予定であったことを島民も沖縄の人も本土の人もほとんど知る人はいない。それは防衛省の2011年に概算要求に明記されている既定路線だった。1500人の島に250名ほどの自衛隊の新住民が移住し、地域の自己決定権のプレーヤーとして参画することが島の未来を左右することが問題視されていたのにもかかわらず、新たに部隊の増強が行われたのである。
この部隊の概要が不明なのは情報公開請求でも明らかにされなかったが、ある専門家はこの空自部隊の総数を50名、車両12両と見積もっている。
与那国島の人口構成のうち15%が自衛隊関係者であったのが、この50名(家族は不明)の移住で早くも20%に達する。

沖縄の基地問題としてようやく辺野古や高江が巷間に問題性が指摘されてきたつかの間。すでに事態は急激に進行しているのである。辺野古は陸上自衛隊が将来的に食指を伸ばしているのは公然の事実であり、出撃部隊の米海兵隊の基地を沖縄や新しく辺野古に置くのは地政学的に無意味であるのは、数々の識者が指摘している通りであって日本の防衛ではない。辺野古と高江を何よりも欲しがっているのは、従米路線を続ける日本政府であると見なくては本質を見失う。日米安保の矛盾が最も押し付けられるのは「新基地建設反対」を唱えている沖縄のお膝元で事態はまさに進行中であり、オールドファッション宗教団体と日本版オルタライトは歴史修正という忘却の時間の洗礼を通過する過程で米国のリバランスを自主防衛に置き換える見事な虚構を作り上げた。多くの人間が目にする情報などは現場から見ればザルですくい上げた欠片でしかない。
沖縄の二紙の論調だけが健全だと思うのは、あまりにもイノセントに過ぎる。スポンサーがあって広告収入を得ている本土のメディアが構造的に総崩れになったのと同様に、タイムス・新報も篭絡の可能性は否めない。もとい、資本と権力の蹂躙が辺境の島々で官邸も含めて高笑いをしながら進んではいないだろうか。

与那国島での軍備増強は静かに進んでいる。これから防衛省のターゲットになっている島は、石垣島、宮古島、奄美大島も同様である。オール沖縄という掛け声が寒々と吹き抜けて行ったのがこれらの島々であることをどれだけの人が知っているだろうか。
安倍政権の進める戦争遂行体制に対して違和感を覚える人は是非南西諸島への自衛隊配備増強の動きに注目してほしい。何もなかった島々に軍を配備するこの動きに注目してほしい。
災厄はいつも忍び足でやってくる。慧眼の者だけがその陰影を時代の狂気と照らし合わせて語りうることが可能である。いざ有事になれば避難もままならず軍民混交の戦場に置かれる運命は先の沖縄戦を彷彿とさせる。
与那国島から見れば二重三重の底辺に位置し現地から声を上げることは権威に依ることなく伝える民の言葉である。歴史にわずかな爪痕を残すに過ぎなくても、自衛隊の配備こそが自国の行為だけを愛国と正当化してきたかつて来た戦争の道そのものであると、私は書き残すことで知見を繋ぎたいと儚く思う。



  

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2017年02月21日

「標的の島 」石垣島先行上映会にて

石垣島での「標的の島 風かたか」の先行上映会の報告です。13時と16時の2回の上映で満員御礼の立ち見が出るほどで、計600〜700人が見に来てくれ大盛況に終わりました。
石垣島の人口の1%以上が足を運んでくれたのですから、これは事件です。これからの波及効果も期待できます。
会場が公民館だったので、映像のポテンシャルを最大限に発揮できなかったのが惜しまれるところですが、「これが最初ですが2回目3回目との上映をしっかりした会場で繋いで行きたいと」実行委員会は語っており、次の企画に動いて行きそうです。
沖縄の島々への自衛隊配備に関しては、当事者の島民ですら情報が欠除していて、潜在的な関心の高さはあると感じました。知らなかった人にわかりやすく伝えるという映画での表現方法に三上智恵監督の卓越した能力を感じます。
ここまで集客があった背景には、問題意識を持って関わった一人一人が1〜2枚から30枚まで、地味にチケットを販売して歩いた努力があったのだと打ち上げの会合に参加してわかりました。
また、受け付けを担当した人達は「上映会の終わりに視聴者がみんな笑顔でお辞儀をして帰ってくれた。用意した三上監督と小西さんの書籍も完売して足りなくなってしまった。カンパを寄せてくれる人も多く満足してくれたのが表情から伝わってきました」と語っていました。
三上監督はアフタートークで「太い命の流れを、石垣島、宮古島では祭りの中で再現している。石垣と宮古が持つ、まだ見ぬ力は沖縄本島と違った力を秘めている。それを映画の中で表現したかった。上映中に拍手がわき起こったり、会場全体が爆笑する場面に驚きました。こんなに一体感を感じて作品を見てもらえた事は最近では記憶にない。私の映画で伝えたかった事が響いてくれてうれしい。最高の上映会でした。」(コメントは要約)と語っていました。
この「標的の島 風かたか」の東京公開は25日からだそうです。沖縄の離島に配備される自衛隊基地の問題が全国的な「沖縄の基地問題」として、第二の沖縄戦の最前線として認知されるきっかけになることは間違いないと思います。
ぜひご覧になって下さい。

















  

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2017年02月17日

「標的の島 風かたか」捨て石と防衛の幻想


【最初に、この2分の予告編は見て欲しい】
石垣島に来ています。
明日は三上智恵監督の新作ドキュメンタリー「標的の島 風かたか」の先行上映会が石垣島で行われます。
与那国島から来た私は、同じ当事者として、この映画について現場からこの映画の上映に希望を寄せています。

タイトルの標的の島とは、まさにここ石垣島の事を指し、既に自衛隊が駐屯を始めた与那国島を皮切りに、宮古島、奄美大島へも陸上自衛隊のミサイル部隊が配備されようとしている現状を映し出します。

前作「標的の村」「戦場の止み」は米軍基地建設に反対する沖縄本島での辺野古と高江の抵抗運動の現状を、日本本土と海外へ広く知らしめる結果になりました。
前作に連なる延長にこの映画もある。大きく沖縄本島の問題の視点から始まり、カメラはさらに沖縄の南の島々にフォーカスして行きます。

そこに住む人々を置き去りにして戦場を想定し、人々の思惑を超えた国策に抗うリアルタイムの出来事は、この映画によって知る人も多いであろう。沖縄の離島の語りえぬ沈黙を映像表現は鮮やかに破る。
本作で描きだす世界は、米軍と自衛隊が一体となって、戦争遂行の為に再び沖縄全体を戦場に想定している不都合な真実を否応なく炙り出すに違いない。それを国防というマジックワードで思考停止に陥っているのが大多数であって、国防の名の下に戦争の惨禍を大多数の人々がくぐるのは、歴史の検証を俟たない事実です。

三上監督が先月の宮古島市長選挙に先立ち、宮古島での先行上映も行っている。その差375票「あと150人がこの映画を見てくれていたら、結果は変わっていたかもしれない」と肩を落としていた。歴史に「もし」はないけれど、過去から学ぶことはできる。
前々からこの映画の作製に身を削り、披露困憊ながら、上映を間に合わせたのは今度は先島が第二の沖縄戦の戦場になると、誰よりも三上監督本人が感じていたからに他ならない。私もそれに強く共感する。

日本本土のマスコミの報道は、自衛隊の大規模な南西シフトには口をつぐんでいる。米軍は反感情が大きいため、自衛隊にその肩がわりをさせるのが宗主国の要請であっても、報道が皆無に等しいのはおそらく自衛隊の南西シフトがトップシークレットなのだろう。米軍と自衛隊は違う物だと考えてしまう思考が危機の本質を見誤らせてしまう。この言い方がキツ過ぎたとしても、日米両国の中央は沖縄の島々を捨て石のコマとして考えていることに揺るぎはない。

沖縄のメディアですら南西諸島全域への自衛隊大増強の実相を理解して報道しているとは言い難いし、識者と呼ばれる人間の言説を追っても、とても理解しているとは言い難い。判断ベースの情報が本土メディアでは皆無である。これは私が与那国島に住んで現場で感じているどうしょうもなさである。

この「標的の島」は与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島、そして沖縄本島を巻き込んだ近未来の黙示録(Apocalypse)の進捗状況を伝えることになるのだろう。また同時にApocalypseとは、「覆いを取る」「開示する」「暴露する」ことを意味した単語でもある。「標的の島」はその両面に触れた映画になるのであろう。

そして世界地図からみれば米粒のような島に、文化の力で活き活きと戦う人々の姿が溢れるように描き出される。その輝きは灯台のように、暗闇に光る点となって未来を指し示すことになるだろう。 「すり鉢の底からは世界は見えないが、縁に立つと世界は良く見通せる」との至言は、この辺境の島々とこの映画「標的の島」にこそ当てはまる。
この映画が多くの人に見られることを願って止まない。




  

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2017年02月08日

与那国島の陸自基地誘致派の分裂。新たに海自の誘致も選挙の争点に。


「一度家に入れてもらったオオカミは全てを喰らい尽くすまで帰らない。」
昨年3月与那国島に陸上自衛隊の駐屯地が新設された。その衝撃も癒えないうちに「次は海自だと」気勢を上げ始めている。
一度でも足がかりを作ると際限なく自己運動を拡大し続けることの典型的な証左である。冒頭に挙げたこのオオカミの正体は、国民を食い物にする行政官僚組織が自衛隊に寄生して予算獲得に励んでいるにすぎないが、この『悪の凡庸』に支えられた下部組織のさらにその上には、日米合同委員会、在日米軍、ワシントン、軍産複合体の巨大な階層構造がある。
与那国島ではそんなことを理解している人が1%いるのかわからないのだが、帝国の無自覚なコンプラドール(操り人形)が新たな利を求めてあさましい分裂を始めたようだ。視野狭窄の果てに与那国島を売り渡すことも知らず、今度は自衛隊票を見込んで海自を誘致しようと囁かれていたのがようやく地元紙が記事にしたので紹介したいと思います。

現職町長の対抗馬である糸数氏は、立候補の動機について現町長の国防に対する認識は甘すぎると、ゆくゆくは「1000人の自衛隊員とその家族を受け入れ、人口を3000〜5000人に増やしたい。その理由は都市機能を持たせたい」と思いを聞く。チャンネル桜にも登場し、与那国島での中国脅威論がネット空間で拡散される際に氏の発言がベースになっていることが多い。さらに基地建設予定地であった「南牧場協会」の地権者で与那国町議でもあり、ステークホルダーのど真ん中で権力を行使したとすれば問題である。
与那国だけではなく、石垣島でも宮古島でも奄美大島でも「自衛隊が来ても、少人数であればいても構わないんじゃない」という甘い認識を変えるため、これから米軍の下請けになった自衛隊が他の島々に配備を画策する甘言の延長に、確実に規模の拡大は続く、他山の石として与那国の状況を受け止める必要を感じます。

与那国島では現時点で人口の15%が自衛隊関係者で占められてしまいました。さらに空自の50名前後が加わればそのパセンテージはさらに上がり、反比例して自己決定権が下がるのは明らかなことです。与那国島のような小さなコミュニティー(元々1500名)の場合は配備を推進する議員が基礎票を自衛隊に求めて自らの安寧を図ったというのが大きな動機であると私は考えています。与那国町議の最低当選ラインは150票前後。多かれ少なかれ議員の保身はそれぞれの島でも自衛隊票を見込むのが最大の関心事であることを理解すると、いかに国防の議論と南西諸島への自衛隊配備がかけ離れているかの参考になるかと思います。私は現場の島で自衛隊配備の経過を見ていて何度も同じことを言っていますが、てっきり島々から国防の議論が沸き起こるのかと思ったら人口増加、過疎対策、経済発展、災害救助のメリットを強調するだけで、それは防衛省も誘致する
地元議員も一緒です。
私は安全保障のジレンマに対する平和のバッファーゾーンとして沖縄を位置づけるのが、最も日本の安全保障に資すると思うのですが、防衛省も日本政府もネトウヨレベルの言説を超える議論を始めなくてはと思っています。

現職の外間町長は今頃になって「心情的には、人口や面積からもこれ以上、自衛隊の受け入れはいかがなものかと思っている。受け入れる環境にもない」とコメントしていますが、知らなかったはずもなく無知でなければ確信犯であると思います。
正直に言いますと未だ島内政治力学でしか事の重大性を計れていない革新側の動きは鈍いので、今年8月の町長選挙がどのような展開になるかはわかりませんが、防衛省の成功体験を積み重ねさせることを阻止する意味では、与那国島の選挙は、今後の沖縄も含む南西諸島全域への影響は少なからずあると思います。

南西諸島への自衛隊配備は、経済、外交で失敗した安倍政権がこれだけは何としてでも射止めたい三本目の矢であると思われます。戦後最大の軍事利権が繰り広げられる南西諸島での抵抗運動は、当面は沖縄島の米軍基地問題と切り離して語られる厳しいものになると思いますが、島々を不沈空母や軍艦島としか考えない中央の意思決定に従うことは、自分だけではない運命共同体の成員の命を売り渡すことに等しいと思います。
防衛官僚はトランプ政権の誕生を、利権を拡大する千載一遇のチャンスとして、防衛費の増大とマスメディアのコントロールに躍起になっていることでしょう。その矛先が沖縄と離島の島々に向けられています。

辺野古沖の大浦湾にコンクリートブロックが投下されました。オオカミに対抗する智恵と連帯の広がりこそが私たちの最大の力であると信じて止みません。
沖縄本土復帰後初めて自衛隊基地が新設された与那国島より、ここからしか見えない視点を日本に伝えたいと思います。



  

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2017年01月31日

「私たちは文化の力で闘う」石垣島の陸自配備反対1000人集会

与那国島に住む私が自衛隊配備計画の関連で石垣島を訪問するのはこれで20回を超えるだろう。
今回は「市民大集会『これでいいのか?ミサイル基地受け入れ』~住民無視の市政をみんなで考えよう!」と題した集会を行うと言う。
主催者は1000人規模の集会を行うと意気込んでいるが、その背景には昨年末、中山市長が「陸自配備受け入れ表明」は「防衛省から詳細な計画を出させるため」と詭弁を弄し、地元4公民館の反対を無視する手法への強い抗議があった。
石垣島の民草から沸き起こる力強さを何と表現すれば良いのだろうといつも迷う。内部に分け入れば実像は遠ざかり、表面上はてんでバラバラで頼りない印象は拭えない。眠れる獅子は目覚めるのであろうか?誇り高き佇まいと沈黙の壁にぶつかる。
そんな疑問を払拭するには自ら足を運び、場の空気を体感する他ない。22日の宮古島市長選挙の後、25日に与那国島に戻ってから、どうしても確かめたい衝動に導かれ、ほぼタッチアンドゴーの状態で再び石垣島の地を踏むことになった。

宮古島は開放的で人々の営みに神事が溶け込み、融合の世界観がおおらかに横溢している。対して石垣島は男性的な雄々しさを時に現す鋭い激しさ秘めている点は対象的でもある。
霊山於茂登岳を中央に抱き、水豊かな島には戦後の嘉手納で土地を奪われた農民や琉球政府の計画移民の末裔が、文字通り血と汗で切り開いた生活圏があって、再び政府の自衛隊基地建設によって土地を奪われようとしている。こんどはそれを差し出せという強権が米軍ではなく自衛隊とヤマト政府によってだ。
米軍は受け入れられないが、自衛隊なら受け入れるという根拠をひとつひとつ正すのは膨大な知的負荷を要するので難しい。「自衛隊だったらセコムみたいに置いててもいいよね」と。しかし、置かれようとしているのはミサイル部隊であって、自衛から攻撃能力への転換を果たした自衛隊のミサイルのボタンを押すのは日本ではなく、米国が口火を切る戦争の可能性を真剣に心配する島民は少ない。
沖縄島で米軍基地建設に反対し、大方は米軍はイヤだけど自衛隊ならOKと言う人々の大勢にプロパガンダが染み込んでいる。自衛隊への容認を示す曖昧な先島の状況判断は既に危険水域に達している。
沖縄の2紙ですらこの認知度はあやふや。そんな状況で全国紙は言わずもがな。先島が情報の空白地に置かれていることを承知で伝えるのに必死の人々がいる。ここは紛れもなく最前線だ。
石垣島は猛々しくも眠る獅子で、宮古島は女性的な開放の島というくくりは雑かもしれないが、ふたつの島を行き来しながら感じた全体性を、男性と女性の象徴として捉えても間違いないかと感じたりもしている。この差異の細部にこそ神々は宿るのかもしれない。

私の住む与那国島にはかつて「どぅーらい」と呼ばれるアテネの直接民主制にも似た制度があったと聞く。島の中で大きな問題が起きたときは成人男性だけではなく、女性も子供も同じ広場で意見を出し合い、最終的には議論を尽くし挙手で決する。小さなコミュニティーの顔の見える範囲で、他者の痛みを我が事と想像できる運命共同体の決定に委ねる。話し合いを尊重する最低限の良識があって、決して自己決定権を手放さない強さが島の歴史に息づいている。石垣島でもそれは例外ではないだろう。

今回の集会では神の依り代に扮する最高齢のセツおばあを先頭に、かつては御嶽で取り行われていたであろう神事が再現された。集会の前、郷土史家の大田静男さんと話をした際に「石垣島は文化の力で戦う」と不敵な笑みを浮かべて語っていた意味がこれでわかった。
上は90歳から下は高校生まで、ひとり3分の持ち時間でそれぞれの思いを語った。
宮古島補欠市議選で当選したばかりの石嶺香織議員も、まだ一歳にならないひなちゃんを連れて来島し「大丈夫、私たちは負けていません」と島々の連帯を訴えた。
また司会の宮良市議が「中山義隆石垣市長が会場入りしている」と伝え「驚きの心境だ、四地区の皆さんとは会わずに集会に来るのか、心の中を開けてみたい」と語気を荒げて語ると、会場では憤懣の行き場のない声に溢れた。
それぞれの訴えの背景には、歴史の重みを背負った100年200年先まで続く「ばがーしま」を愛して止まない人々の言葉で溢れていた。
その再確認を私が与那国島に持ち帰る意味は大きい。また、宮古島、沖縄島、奄美大島へと、この黒潮海流に抱かれた兄弟姉妹の島々はいつでも助け合える。営みの記憶の源泉に流れるのは共生の哲学と呼び換えても良いかもしれない。
私たちが島の伝統文化を守りながらどんな荒波に揉まれようともひとつになれる。その可能性を再認識するのは言葉だけではない。それをこの島々が神人に仮託しているのは政(まつりごと)の魂である。

安倍晋三も拡散される中国脅威論も、延々と続く沖縄、奄美の島々にとっては悠久の神々と共存する世界の階(きざはし)のほんのつかの間、猛威を振るう台風のようなものかもしれない。中央主導の全体主義ファッショと土着の抵抗がかくも対比されたのは、中央の文化的な脆弱さを知らしめる意味で最も好対照だ。
ほんの最近に煽られたものに過ぎない中国脅威論による分断も、歴史を紐解けばわかる大陸との文化交流も、潮流に棹さして生きようなどという事は、たとえ日本が忘れてしまったにしても、海流文明の島々にあっては愚かな事である。
シーレーン防衛などに国富を費やして斜陽の軍需産業に加担することが経済発展と真顔で言う首相もメディアも、それを映し出す100インチテレビを所有する豊かさもごめんである。

日本の端から中央の瓦解が起ころうとは思いもしなかったであろう。最も弱い地方を踏みつけたつもりが仇となることを想像し得なかったのが運の尽きだと、石垣島の古老たちは唄い、踊り、祈り、方言で話し、文化を継承することが力の源であると自信に輝いた表情を見せていた。力にまかせでパンドラの箱を開けた安倍晋三政権に、宮古島と石垣島の連帯が鮮やかに反旗を翻した一瞬を垣間見た。

波風と小々波を持ち寄り大きな波に声を乗せるには、まだまだ力を寄せ合わなくなてはいけない。そのスタートがようやく始まった。
その鍵は島々の人的交流と、沖縄の神々の交流が島を繋ぐのが鍵となるのかもしれない。

安倍政権の終わりの始まりは沖縄の神々の島に手をつけたところから敗退が始まったと、後世の歴史はそのように記述するのかもしれない。その予兆を感じられるのも辺境の島々ならでは。
安倍氏と自民党を取り巻く日本会議のイデオローグがくり広げる皇国史観の浅はかさを沖縄の離島から見れば、日本に取り付いたのはタチの悪い憑依霊に過ぎない、神々と共に生きる太古神道の霊統の格の違いとも言うべき自信の源泉はここにあるのかもしれない。
祈りは唄となり、大地への感謝が踊りとなる。生きることへの喜びの表現こそが、生を踏みにじろうとする者への最大の抵抗になりうる。
「祈りだけでは世界は変わらないけれど、祈りなくして世界は変わらない」とは、石垣島の古謡の継承者でもある山里さんの言葉である。

私が直接足を運び見たかった正体はおぼろげながらつかめたかもしれない。それは、文化という武器を手にし立ち上がる人々の姿に、太古から現在に重なる歴史のゲシュタルトの投影を見たこと。その全体像を文化と呼ぶにふさわしいのかもしれない。平和を願う島々の抵抗はこれからも続く。

































  

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2017年01月19日

宮古島市長選挙に翁長雄志県知事が来島!


宮古島市長選挙に翁長雄志沖縄県知事が奥平一夫候補の応援に来島しました。
保守革新が2:2に分裂する選挙とメディアでは伝えられていますが、最大の争点は安倍政権が目指す辺野古・高江の裏ミッションである陸上自衛隊の宮古島配備にあるはずです。
奥平一夫候補だけが自衛隊の配備に明確に反対の意思を示しており、賛成2名、条件付き賛成の曖昧な候補と一線を画しています。
翁長知事の言う「沖縄に新しい基地はつくらせない」という宣言と、オスプレイ配備反対の建白書の理念は、日本版海兵隊の運用を想定された南西諸島司令部と位置づけられた宮古島にも重なるのは言うまでもない事実です。
オール沖縄が日本の民主主義の萌芽となった選挙のモデルが、ここ宮古島市長選挙でもう一度試されています。
中央政府に揺さぶられ続けているオール沖縄の軸と日本の民主主義の未来がかかった選挙が沖縄のさらに南西端の宮古島で繰り広げられています。











  

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2016年12月27日

宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉

12月22日15時より参議院議員会館において、宮古島市民会議が主宰する「宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉」が行われ、福島瑞穂参議院議員と沖縄県宮古島より猪澤也寸志氏が交渉人として参加した。

すでに日本最西端の与那国島には陸上自衛隊が今年3月より駐屯を始めている。160名とその家族94名が新住民として入っており、沖縄の本土 復帰後自衛隊の基地が新設されるのは初のことであった。一方宮古島には地対艦・地対空誘導弾部隊、警備隊など700〜800名の配備計画が同様に持ち上がり標的の島になるとの住民の懸念と中国脅威論がせめぎあっている。

宮古島はかつて終戦末期に陸軍と海 軍およそ3万人が駐屯した歴史を持つ南西諸島の司令部が置かれた島である。今回の宮古島への配備にも再び南西諸島の要としての指揮所が置かれる計画があり、石垣島と奄美大島 には500〜600名規模の地対艦・地対空誘導弾部隊、警備隊を含む陸自配備計画の中枢に位置付けられている。九州から沖縄の西南端までを俯瞰してみると、2010年には混成団から昇格した第15旅団が那覇に司令部を置 いている。佐世保では西部方面隊の水陸機動団、別名日本版海兵隊3000名(水陸両用車52両、オスプレイ17機、2018年装備調達完了予定)がまさに編成中であり米軍とともに合同演習を行っている。同じく那覇基地では航空自衛隊第9航空団が新設され2個飛行隊40機に増強されており、軍民共用の那覇空港滑走路発着の過密化や騒音の激化が進んでいる。辺野古新基地の米軍と自衛隊の共同利用はすでに織り込み済みであってその重大は報じられないが、その利用目的の思惑は他ならぬ日本政府にあって米軍の代替機能を果たすことは明確である。高江のヘリパッドも辺野古もいずれ自衛隊が使うことになり、自衛隊配備が災害救助のための自衛隊や地域活性のために作られたプランではないことは、一つ一つの事象をつなげていけば想像に難くない。離島の島々に配備される基地がいざ有事になれば、軍民混交の最 前線の戦場になることも同様に明らかである。「全ての戦争の悲惨さを集めた沖縄戦」を現在に蘇らせるのか否か、中央権力が沖縄という地方自治体のさらに小さな島々に対して国の専権事項を振りかざして従えと自治を潰しにかかっている。日本の基地問題の圧力を最も受けているのはいるのは沖縄であり、その多重的圧力の最前線は辺境の島々に伸びてきている。宮古・石垣・与那国の声は新基地建設反対と言っている県内県外の人々に届いているのだろうか。かつて捨て石にされた沖縄の歴史のデジャヴを南洋の島々に垣間見る、そんな緊迫した当事者の交渉に立ち会った。

「宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉」では事前通告されていた質問事項に防衛省側が答えるという形式で進められた。質問の趣旨は、陸自配備に係る用地取得費、来年度概算要求の内訳、候補予定地、地元部落の反対決議、市議会や地域民意の軽視、宮古島市長の防衛省への斡旋行為と利益供与に 関わる疑い、などが出されている。また、過去5回の質問主意書で示された政府見解と宮古島及び石垣島住民説明会に関して出された有事の際の国民保護等の質問に対する回答を防衛省側にも重ねて答弁を求めた。

政府交渉の冒頭、今月の10〜12日の日程で宮古島と石垣島を視察した福島瑞穂議員より、現在執行中の28年度予算と来年度に盛り込まれている南西諸島に係る予算案の内訳についての質問を行ったところ、29年度予算案で、宮古地区への陸上自衛隊配備に関し約310億7000万円、奄美大島へは397億円が計上されている との答弁を得た。28年度予算については、27年5月若宮防衛副大臣が下地敏彦宮古島市長と面談を行い陸自配備計画を伝達し、8月には来年度の防衛予算概算要 求に用地取得費、敷地造成費など108億円を計上するという異例の速さで予算案化された。当初候補予定地であった大福牧場へ基地機能を集約した陸自基地のプランは、地下水審議会により陸自施設建設は「認められない」との結論が出され、配備による地下水汚染の懸念が払拭できないことから、防衛省 は今年9月大福牧場への配備断念を表明している。

その第二案として宮古島市市長が分散配備として提案した千代田カントリークラブの買収計画が水面下で進行している。しかしながら本年度中に執行する予定であった用地取得が宙に浮いていると思われた108億円の予算について質問されると、「来年の3月までに執行しようと考えている、年度内は入札公告を行っている最中です」との答弁に対しては会場からも信じられないといった反応が広がった。現在、千代田カントリークラブに隣接する二つの自治会から相次いで反対決議が出ており、今月10日にも千代田への陸自配備計画撤回を求める陳情書 が宮古島市総務財政委員会で採択されたばかりのタイミングであった。福島議員が「地元の該当自治体が説明を求め、反対と言っているのに、進めるというのは 民主主義の破壊である」とまで発言したが、防衛省との議論はかみ合わず平行線をさまよった。

国民保護法制と防衛白書が想定する、いわゆる離島奪回作戦に話が及ぶと会場はいっそう熱を帯びてきた、宮古島からまさに南西諸島の島々を代表して霞が関へ赴いた猪澤氏が熱弁を振るい、後ほど「熱くなりすぎました」と語っていたが、ことはそれほど冷めて見ていられる状況ではなかった。あたかも無人島で戦端が開かれるような防衛省の物言いに対して、島に住む人々の命の熱量が溢れ出した瞬間を感じた。その時不覚にも「一寸の虫にも五分の魂」という言葉が私の脳裏をよぎってしまったが、中央政府に顧みられない小さな島々に宿る命は、奄美大島にも先島諸島と呼ばれる沖縄の辺境の島々にも確かに宿っているのだと感じた。島に根ざす営みから発するまつろわぬ抵抗の魂は文化の中に生きている。琉球もアイヌも日本帝国主義の単一民族として蹂躙された歴史を再び再現している。激しく感情を揺さぶられてしまったのは根底にある怒りの再沸を見てしまったからだ。

オスプレイの配備に関しては、南西諸島の離島への戦闘員輸送を前提としている西部方面隊の活動があるにも関わらず、防衛省は「私の一存ではわかりません」との答弁であった。佐賀空港から南端の与那国島まで1200キロあり、航続距離600キロを売りにしているオスプレイだが空中給油訓練は必須であって、つい最近の12月13日沖縄県名護市安部の海岸にオスプレイが墜落した事故と同様に繰り返されるリスクにさらされていることは間違いなく、普天間に24機、横田10機、自衛隊17機の計51機がこの南西諸島も含めて日本中を飛び回るのは既定路線であると言わざるを得ない。同様の欺瞞的言説を防衛省は繰り返す。千代田カントリークラブには「隊舎は作るが、火薬庫は作りません、近くに作るのが適当だとは思いますが、今の所、場所は決まっていません」と言うが、実際に詳細な設計図面にはミサイルの発射台が3ヶ所書かれている。抑止力のために置くのですと地元では説明するが、弾なしで羊の皮を被るつもりなのだろうか。中国脅威論に後押しされた抑止力というマジックワードは方便か虚構か全くの嘘をついているのか、少なくとも国を守るという矜持は全く感じられない。「すみません。繰り返しになってしまうのですが」という幾度ともなく繰り返す防衛官僚は自己催眠が習い性なのか、平和ボケにも国防にも使えない代物だった。

とうとう宮古島市民の激昂。「宮古島全住民5万人を逃す、これは国の責任でもって県を支援するなり、市を指導するなり、これだけの予算をつぎ込むのなら国家プロジェクトですよ。こんな基地の建設、工事の進め方が東京や首都圏でできるんですか。これは沖縄どころか、先島だから既成事実さえ作っておけば後の内容はどうであれ進めるという ことですか。陸自というのは地上戦を行う部隊であり、最後に専守防衛なので領土で戦うんですよね。宮古島は領土ですよね、ひょっとして領土は本土であって、先島は戦場であると考えているのではないでしょうか。領土と考えているのであれば、そこに住む住民をいかに逃がすかということができて初めての用地取得ですよ。それもないのに、来年の3月に用地取得の計画ですよ。びっくりしました。これを見ている宮古島の住民は怒ってますよ。かつての沖縄戦のように島民が巻き込まれないようにして欲しいと思います。」との猪澤氏の発言には命の熱量に溢れたものであった。

一時間の政府交渉はあまりに短かった。やはり現場の島からの言葉が最も胸に突き刺さった。これは昨今沖縄差別として繰り替えされる言説の、さらに奥深く弱き沖縄の離島に向けられた構造的な差別を端的に表していたからだ。辺野古や高江と同様に取り組むべきは島々への自衛隊基地配備である。まさにこのような状況から出てきた島々の叫びを代弁しているようだった。実際「オール沖縄」という体制の中では陸の孤島 高江に対しても足並みが揃っていない、ましてや海の孤島先島における自衛隊配備の問題には「オール沖縄」は反対を明言してないのである。これは全国紙や沖縄の二紙ですら追求されていないことで、まさにこのような状況から出てきた島々の叫びに耳をかたむける時が熟し始めてしているようだった。

新基地建設反対の埒外に置かれている、防衛の空白地ならぬ情報の空白地で米軍から自衛隊へと実質的な国内移転へと事態は進んでいるのである。議論の進捗に連れ防衛官僚が描いていた防衛の欺瞞性はかなりの程度示されたと思っている。しかし、もしかしたら自衛隊員に対して人を殺させることではなく、災害救助隊への変換を提起できる議論の土壌があるのは、この小さな島々からではないだろうか、同様に平和の緩衝地帯としての役割を明確に打ち出すのも沖縄の役割であろう。玉砕の島に家族連れで赴任する自衛隊員を私は与那国島で見ている。沸き起こる悩み苦しみも、お互いの弱さを理解した先に共通の光は見えているのだと思う。
歴史を最もちいさな視点から垣間見たその時、沖縄のさらに辺境の島々 から見通すパースペクティブは現代の日本が思っているより、ずっと深い視座に根ざし未来を見通しているではないか、最辺境と中央との接触は互いに可能性を探りだす創発を起こしたのかもしれないとは考えすぎだろうか。なぜならこれほどまでに矛盾が露呈したこともないところにある種の逆説的な希望は感じている。この度の「宮古島への陸自配備で標的の島にさせないための政府交渉の波紋はじわじわと広がっていく可能性に満ちたものであったと深く感じている。


  

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2016年11月10日

日本のビーチクリーンは黒潮が出会う最西端の与那国島から

先日は2日にわたり、ビーチクリーン兼漂着物調査に参加してきました。
与那国島に漂着するゴミを木材(自然物・人工木)、プラスチック、ゴム、ペットボトル、ブイ、漁網、金属、発泡スチロール、ガラス(電球・ビンなど)...に仕分けして重量と容量を測定します。
毎回注目しているのが、ペットボトルに残っているラベルやバーコードなどで判別するデータです。
今回は以下の通りになりました。
日本 21本
中国 65本
ベトナム 19本
韓国 7本
台湾 5本
マレーシア 3本
インドネシア 2本
オーストラリア 1本
シンガポール 1本
タイ 1本
スイス 1本(興味深い!)

黒潮が北上して最初に出会う日本最西端の与那国島は、国内や島内の影響が最も出にくいモニタリングには最適の島です。
今回の観測では、いつも島の北側に漂着物が多いのですが、今回はその逆で南側に漂着物が多い状況でした。
おそらく9月19日台風16号がもたらした風速66mの後半の風向きが(体感的には昨年の風速81mより強烈でした)南寄りであったため、南側にゴミを押し寄せ、北側のゴミを海に流し去った結果ではないかと思います。
全体的に漂着ゴミの量は少なかったのですが、誰かが拾って減ったわけではないので、いつもより少ない北側の漂着ゴミを見た最初の感想は「あぁ〜ここで拾いきれなかったゴミがまた世界に流れ出してしまった」というなんとも切ない思いでいます。
今年はゴミが少なくて海岸が綺麗だねと人は言うかもしれませんが、そう感じるのとは別に、人間が作り出したゴミは海流に乗って誰が拾うまで漂流を続けています。
特にプラスチックは自然消滅することなく、誤食した海洋生物への影響が心配されます。
ペットボトルの調査から国別のデータが出やすい与那国島ですが、日本が出したゴミは逆に海流に乗って別の国にたどり着く長い旅を続けています。
与那国島の漂着物調査の結果は中国からのゴミが多かったのですが、環太平洋の視点で見れば日本からの漂着ゴミがダントツで多い地点があるのだろうと思います。
国を超えた漂着ゴミの問題は自国の問題に留まらず、国際的な課題として日本の立ち位置を捉えるきっかけになります。国境を越えて誰かが捨てたゴミを拾う小さな一歩を踏み出す行動が、正にここから世界へつながる最初のスタートになるのだと願って止みません。











  

Posted by Moist Chocolat at 22:07Comments(0)

2016年09月16日

台風16号が与那国島に直撃⁉︎昨年の記憶が蘇る。

昨年の9月28日。日本観測至上4番目の風速81mを記録した台風の記憶が生々しく蘇ってくる。確か、昨年の21号も925hPaあたりで与那国島に突入してきたと記憶している。今回も前回同様に、甚大な被害を出す台風に匹敵する大きさに成長する可能性がある。毎年毎年、自然災害に見舞われなければどれほど島の暮らしが楽であろうかと呪いたくもある。
しかも今回は昨年でも経験できなかった、10年ぶりくらいに与那国島が台風の目の中に突入しそうだ。どストライク。
台風の目が通過することほど未知数な危険が孕むことはない。四方八方から予測不能な暴風が与那国島を襲うのだろう。
しかし、台風の目の中に入ると数時間だけ、雨が止み、空が晴れる。
台風の目の中では、視覚・聴覚・触覚の全てが麻痺するつかの間の静寂に投げ込まれる。10年ほど前の台風でそれを経験した。台風の目を、ラピュタが存在する龍の目にたとえて、災害ユートピアと称しても言い過ぎではない。自然の奇跡であっても、現実に存在する、良い意味でも悪い意味でも。
この強烈な経験は体験を通してしか伝えられないのがもどかしい。
宮崎駿は、例えば与那国島のような、周囲27キロの吹きっさらしの島が体験する異次元の台風を経験したわけではないだろうが、リアルに台風のイメージを捉えているなと感心する。
「龍の巣に、行こうおばさん!ラピュタはあの中だ!」と僕は間違ってもは言いたくないが、向こうから来るものには抗えない。
巨大な目に睨まれた今は、刻々と迫る台風に「逝ってきます」そして「さようなら」としか言えない。
いろんなものが破壊されるかもしれませんが、その時はまた僕も立ち上がるのことができるのか...。被害が少ないことを願っている。
ランランラー♪ランランラン♪ランランラララー♬
心の激甚災害中です。バルス!







  

Posted by Moist Chocolat at 20:50Comments(0)