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2017年01月31日

「私たちは文化の力で闘う」石垣島の陸自配備反対1000人集会

与那国島に住む私が自衛隊配備計画の関連で石垣島を訪問するのはこれで20回を超えるだろう。
今回は「市民大集会『これでいいのか?ミサイル基地受け入れ』~住民無視の市政をみんなで考えよう!」と題した集会を行うと言う。
主催者は1000人規模の集会を行うと意気込んでいるが、その背景には昨年末、中山市長が「陸自配備受け入れ表明」は「防衛省から詳細な計画を出させるため」と詭弁を弄し、地元4公民館の反対を無視する手法への強い抗議があった。
石垣島の民草から沸き起こる力強さを何と表現すれば良いのだろうといつも迷う。内部に分け入れば実像は遠ざかり、表面上はてんでバラバラで頼りない印象は拭えない。眠れる獅子は目覚めるのであろうか?誇り高き佇まいと沈黙の壁にぶつかる。
そんな疑問を払拭するには自ら足を運び、場の空気を体感する他ない。22日の宮古島市長選挙の後、25日に与那国島に戻ってから、どうしても確かめたい衝動に導かれ、ほぼタッチアンドゴーの状態で再び石垣島の地を踏むことになった。

宮古島は開放的で人々の営みに神事が溶け込み、融合の世界観がおおらかに横溢している。対して石垣島は男性的な雄々しさを時に現す鋭い激しさ秘めている点は対象的でもある。
霊山於茂登岳を中央に抱き、水豊かな島には戦後の嘉手納で土地を奪われた農民や琉球政府の計画移民の末裔が、文字通り血と汗で切り開いた生活圏があって、再び政府の自衛隊基地建設によって土地を奪われようとしている。こんどはそれを差し出せという強権が米軍ではなく自衛隊とヤマト政府によってだ。
米軍は受け入れられないが、自衛隊なら受け入れるという根拠をひとつひとつ正すのは膨大な知的負荷を要するので難しい。「自衛隊だったらセコムみたいに置いててもいいよね」と。しかし、置かれようとしているのはミサイル部隊であって、自衛から攻撃能力への転換を果たした自衛隊のミサイルのボタンを押すのは日本ではなく、米国が口火を切る戦争の可能性を真剣に心配する島民は少ない。
沖縄島で米軍基地建設に反対し、大方は米軍はイヤだけど自衛隊ならOKと言う人々の大勢にプロパガンダが染み込んでいる。自衛隊への容認を示す曖昧な先島の状況判断は既に危険水域に達している。
沖縄の2紙ですらこの認知度はあやふや。そんな状況で全国紙は言わずもがな。先島が情報の空白地に置かれていることを承知で伝えるのに必死の人々がいる。ここは紛れもなく最前線だ。
石垣島は猛々しくも眠る獅子で、宮古島は女性的な開放の島というくくりは雑かもしれないが、ふたつの島を行き来しながら感じた全体性を、男性と女性の象徴として捉えても間違いないかと感じたりもしている。この差異の細部にこそ神々は宿るのかもしれない。

私の住む与那国島にはかつて「どぅーらい」と呼ばれるアテネの直接民主制にも似た制度があったと聞く。島の中で大きな問題が起きたときは成人男性だけではなく、女性も子供も同じ広場で意見を出し合い、最終的には議論を尽くし挙手で決する。小さなコミュニティーの顔の見える範囲で、他者の痛みを我が事と想像できる運命共同体の決定に委ねる。話し合いを尊重する最低限の良識があって、決して自己決定権を手放さない強さが島の歴史に息づいている。石垣島でもそれは例外ではないだろう。

今回の集会では神の依り代に扮する最高齢のセツおばあを先頭に、かつては御嶽で取り行われていたであろう神事が再現された。集会の前、郷土史家の大田静男さんと話をした際に「石垣島は文化の力で戦う」と不敵な笑みを浮かべて語っていた意味がこれでわかった。
上は90歳から下は高校生まで、ひとり3分の持ち時間でそれぞれの思いを語った。
宮古島補欠市議選で当選したばかりの石嶺香織議員も、まだ一歳にならないひなちゃんを連れて来島し「大丈夫、私たちは負けていません」と島々の連帯を訴えた。
また司会の宮良市議が「中山義隆石垣市長が会場入りしている」と伝え「驚きの心境だ、四地区の皆さんとは会わずに集会に来るのか、心の中を開けてみたい」と語気を荒げて語ると、会場では憤懣の行き場のない声に溢れた。
それぞれの訴えの背景には、歴史の重みを背負った100年200年先まで続く「ばがーしま」を愛して止まない人々の言葉で溢れていた。
その再確認を私が与那国島に持ち帰る意味は大きい。また、宮古島、沖縄島、奄美大島へと、この黒潮海流に抱かれた兄弟姉妹の島々はいつでも助け合える。営みの記憶の源泉に流れるのは共生の哲学と呼び換えても良いかもしれない。
私たちが島の伝統文化を守りながらどんな荒波に揉まれようともひとつになれる。その可能性を再認識するのは言葉だけではない。それをこの島々が神人に仮託しているのは政(まつりごと)の魂である。

安倍晋三も拡散される中国脅威論も、延々と続く沖縄、奄美の島々にとっては悠久の神々と共存する世界の階(きざはし)のほんのつかの間、猛威を振るう台風のようなものかもしれない。中央主導の全体主義ファッショと土着の抵抗がかくも対比されたのは、中央の文化的な脆弱さを知らしめる意味で最も好対照だ。
ほんの最近に煽られたものに過ぎない中国脅威論による分断も、歴史を紐解けばわかる大陸との文化交流も、潮流に棹さして生きようなどという事は、たとえ日本が忘れてしまったにしても、海流文明の島々にあっては愚かな事である。
シーレーン防衛などに国富を費やして斜陽の軍需産業に加担することが経済発展と真顔で言う首相もメディアも、それを映し出す100インチテレビを所有する豊かさもごめんである。

日本の端から中央の瓦解が起ころうとは思いもしなかったであろう。最も弱い地方を踏みつけたつもりが仇となることを想像し得なかったのが運の尽きだと、石垣島の古老たちは唄い、踊り、祈り、方言で話し、文化を継承することが力の源であると自信に輝いた表情を見せていた。力にまかせでパンドラの箱を開けた安倍晋三政権に、宮古島と石垣島の連帯が鮮やかに反旗を翻した一瞬を垣間見た。

波風と小々波を持ち寄り大きな波に声を乗せるには、まだまだ力を寄せ合わなくなてはいけない。そのスタートがようやく始まった。
その鍵は島々の人的交流と、沖縄の神々の交流が島を繋ぐのが鍵となるのかもしれない。

安倍政権の終わりの始まりは沖縄の神々の島に手をつけたところから敗退が始まったと、後世の歴史はそのように記述するのかもしれない。その予兆を感じられるのも辺境の島々ならでは。
安倍氏と自民党を取り巻く日本会議のイデオローグがくり広げる皇国史観の浅はかさを沖縄の離島から見れば、日本に取り付いたのはタチの悪い憑依霊に過ぎない、神々と共に生きる太古神道の霊統の格の違いとも言うべき自信の源泉はここにあるのかもしれない。
祈りは唄となり、大地への感謝が踊りとなる。生きることへの喜びの表現こそが、生を踏みにじろうとする者への最大の抵抗になりうる。
「祈りだけでは世界は変わらないけれど、祈りなくして世界は変わらない」とは、石垣島の古謡の継承者でもある山里さんの言葉である。

私が直接足を運び見たかった正体はおぼろげながらつかめたかもしれない。それは、文化という武器を手にし立ち上がる人々の姿に、太古から現在に重なる歴史のゲシュタルトの投影を見たこと。その全体像を文化と呼ぶにふさわしいのかもしれない。平和を願う島々の抵抗はこれからも続く。




































Posted by Moist Chocolat at 13:39│Comments(0)
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