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2017年02月17日

「標的の島 風かたか」捨て石と防衛の幻想


【最初に、この2分の予告編は見て欲しい】
石垣島に来ています。
明日は三上智恵監督の新作ドキュメンタリー「標的の島 風かたか」の先行上映会が石垣島で行われます。
与那国島から来た私は、同じ当事者として、この映画について現場からこの映画の上映に希望を寄せています。

タイトルの標的の島とは、まさにここ石垣島の事を指し、既に自衛隊が駐屯を始めた与那国島を皮切りに、宮古島、奄美大島へも陸上自衛隊のミサイル部隊が配備されようとしている現状を映し出します。

前作「標的の村」「戦場の止み」は米軍基地建設に反対する沖縄本島での辺野古と高江の抵抗運動の現状を、日本本土と海外へ広く知らしめる結果になりました。
前作に連なる延長にこの映画もある。大きく沖縄本島の問題の視点から始まり、カメラはさらに沖縄の南の島々にフォーカスして行きます。

そこに住む人々を置き去りにして戦場を想定し、人々の思惑を超えた国策に抗うリアルタイムの出来事は、この映画によって知る人も多いであろう。沖縄の離島の語りえぬ沈黙を映像表現は鮮やかに破る。
本作で描きだす世界は、米軍と自衛隊が一体となって、戦争遂行の為に再び沖縄全体を戦場に想定している不都合な真実を否応なく炙り出すに違いない。それを国防というマジックワードで思考停止に陥っているのが大多数であって、国防の名の下に戦争の惨禍を大多数の人々がくぐるのは、歴史の検証を俟たない事実です。

三上監督が先月の宮古島市長選挙に先立ち、宮古島での先行上映も行っている。その差375票「あと150人がこの映画を見てくれていたら、結果は変わっていたかもしれない」と肩を落としていた。歴史に「もし」はないけれど、過去から学ぶことはできる。
前々からこの映画の作製に身を削り、披露困憊ながら、上映を間に合わせたのは今度は先島が第二の沖縄戦の戦場になると、誰よりも三上監督本人が感じていたからに他ならない。私もそれに強く共感する。

日本本土のマスコミの報道は、自衛隊の大規模な南西シフトには口をつぐんでいる。米軍は反感情が大きいため、自衛隊にその肩がわりをさせるのが宗主国の要請であっても、報道が皆無に等しいのはおそらく自衛隊の南西シフトがトップシークレットなのだろう。米軍と自衛隊は違う物だと考えてしまう思考が危機の本質を見誤らせてしまう。この言い方がキツ過ぎたとしても、日米両国の中央は沖縄の島々を捨て石のコマとして考えていることに揺るぎはない。

沖縄のメディアですら南西諸島全域への自衛隊大増強の実相を理解して報道しているとは言い難いし、識者と呼ばれる人間の言説を追っても、とても理解しているとは言い難い。判断ベースの情報が本土メディアでは皆無である。これは私が与那国島に住んで現場で感じているどうしょうもなさである。

この「標的の島」は与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島、そして沖縄本島を巻き込んだ近未来の黙示録(Apocalypse)の進捗状況を伝えることになるのだろう。また同時にApocalypseとは、「覆いを取る」「開示する」「暴露する」ことを意味した単語でもある。「標的の島」はその両面に触れた映画になるのであろう。

そして世界地図からみれば米粒のような島に、文化の力で活き活きと戦う人々の姿が溢れるように描き出される。その輝きは灯台のように、暗闇に光る点となって未来を指し示すことになるだろう。 「すり鉢の底からは世界は見えないが、縁に立つと世界は良く見通せる」との至言は、この辺境の島々とこの映画「標的の島」にこそ当てはまる。
この映画が多くの人に見られることを願って止まない。







Posted by Moist Chocolat at 20:45│Comments(0)
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