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2017年03月19日

山城博治さんの保釈に思う

山城博治さんが高裁那覇支部の決定により、約5カ月ぶりに釈放されたとの速報に喜びが絶えない。

しかしこれで一件落着という空気に満たされてはいけない。
それは獄中の博治さんがこの日までずっと考え続けてきたことでもあろう。権力の牢獄から出てきて、日の光と人間の温かさに触れる喜びを感じながらも、次なる運動の深化を課題にして戻ってきたのだと思っている。
問われているのはそれを受け止める私たちだ。

彼は英雄視されることを好まず、また市井の人々と共にまた現場に降りていくのであろう。
饒舌なようでありながら、語らずに伝える沖縄を体現しているのが現場に立ち続ける彼の姿でもある。
沖縄の一体感という稀有な現象の中心にいて、発し続けた山城博治という存在感は、もはや沖縄の運動に留まらない。
本土にも突きつけられた権力犯罪を白日に晒した記念日として、司法がギリギリ飲まざるをえなかったのだ。沖縄と日本の人々が覚醒に貢献した一人の人生を、歴史は後世に刻むに違いない。

この間、私たちのリーダーであるとされる翁長知事は彼に対して何をしてきたのであろうか。
また本土に比べて、健全であると言われてきた沖縄県紙は何を伝えてきたのか、実質的に進む沖縄全体の基地化に、実質的に歯止めをかけてきたのか、よくよく考えなくてはいけない。
翁長知事もタイムスも新報も、それを信じ続けてきた人も、政局論で口を閉ざしてきたオール沖縄とは何だったのか、封殺された言論から私たちが
一皮脱却しなくてはいけない。
彼の言葉にできなかった思いは山ほどある。それらを咀嚼して語り継ぐ、それが歴史になる。

山城博治氏が不在の間、まがい物の運動が跋扈し宮古島や浦添市での首長選挙を落とした。そんな遠因をとても身近に感じるのが先島への自衛隊配備が進む離島の島々から見た視点である。
博治さんも悔しく思っていたに違いないのは、個人的に語り合ったことがあるから。
まずはお帰りなさいとねぎらってあげたい。
そして博治さんが拘置所の中で本当に心から願っていたものは何なのか、一人一人が思いを馳せるところから次のステージは始まったのだと。
今日この日から、あの抵抗の日々の繰り返しではない分断を超えた新しい創造性が問われている。沖縄のみならず日本にも、沈黙の連鎖に囚われた負の終始付に打つ時は満ちて来ているのだと思っている。
喜びの共有と、次なる世界へ、私たちは確実に歩を進めている。










山城博治さんの保釈に思う



Posted by Moist Chocolat at 00:11│Comments(0)
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