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2019年12月16日

石垣市の自治基本条例廃止案、議会で否決!


本日、沖縄県の石垣市議会で自民系与党市議らが提出した、石垣市自治基本条例を廃止する条例案の採決が行われ、ギリギリの10対11でなんとか否決に持ち込むことができた。

まずは最悪の結果を回避できた喜びもある反面、なぜこのような事態になっているのか、その経緯を検証しなければならない。
今回は反対に回った市議でさえ、条件が変われば賛成、支持母体の反発が弱くなればひっくり返る可能性は大いにあるからだ。

もともと「市政の最高規範」として市民などの熟議を積み重ねて2009年に制定に至ったその条例は、住民自治の到達点を目指したもので、こういった条例の制定の運動が結実したことがそもそも少数の成功体験であり、全国的にも価値があることなのだったはずだ。

そして今、突然廃止の動きが起こったのは、石垣市で計画されている陸上自衛隊ミサイル部隊の配備問題と無縁ではない。

石垣市での陸上自衛隊ミサイル部隊の配備を巡っては、昨年12月に「石垣市平得大俣への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票」の実施に向けて「石垣市住民投票を求める会」を中心に署名活動を展開した結果、署名1万4844筆でなんと有権者の約4割にあたる署名を集めることができた。

しかし、この住民投票はこれだけの数の住民の意思の表明があるならば、普通の民主主義国家であればすぐにでも実施されるはずだったし、その実施のタイミングは、奇しくも2月24日に沖縄県で行われた「辺野古移設住民投票」と同日に行われる計画があったのだが、石垣市でのこの住民投票が同時に「行われなかった」ことについて沖縄県でも全国でも知る人は少ない。

つまり、沖縄県の県民投票は県内や全国的な批判など、世論の後押しによって、県民の投票する権利は奪われなかったが、沖縄県の離島の石垣島では依然奪われたままであることを強く訴えたいし、構造的な差別が沖縄県内にあることをこれほど表している事例はないんじゃないでしょうか?

話を自治基本条例まで戻すと、中山義隆石垣市政が頑なに拒否する住民投票を、実施しない無理筋の理屈を明確に打ち破る一点が、この自治基本条例にあったのはまさに戦争を経験した先人達のレガシーであったと思います。

この解釈を巡って、同条例の解釈を争点に、陸上自衛隊配備を巡る住民投票の実施義務付けを求めて「市住民投票を求める会」は市を提訴している真っ只中で、議会に自治基本条例の廃止が提出されたという文脈を踏まえて全体像を見る必要があり、代表の金城龍太郎代表は「ただ単に廃止を目的にした動きにしか見えず、乱暴だと思う」「圧力だと思うと残念」と述べている。

今回の騒動の本質は、石垣市での中山義隆市政の長期政権による腐敗が前面に出た結果だということを見過ごしてはならない。
与党市議を束ねるのは中央からのパイプを自認する中山市長であり、官邸からの指示に殉じて最も現在の安倍自民党政権と足並みを揃えて来た結果であって、現在の石垣市議会ででの自民党議員は石垣島の住民を向いた政治はしていない。

彼らが見あげて服従しているのは石垣市民ではない。永田町の金と権力がどう自分に流れてくるか、それにしか関心がないパペットが今回全員賛成に回った自民党市議であることを覚えておいてください。
小さな地縁血縁でつながる地方選挙は政策がどうこうよりも、個人を信頼して投票する傾向がすごく強い、だから自民党から立候補して歴史も知らず流されて、みたいな輩の裏切りは罪深い、だけど一番バカにされてるのは何も知らないと思われてる支援者だからな、島んちゅとかのアイデンティティーに安住してるんじゃなく、利用するアホにおだてられて搾取される、お前怒れよ。

石垣島の現状は、安倍と酷似した異形の王権であり、キメラのようにイデオロギーを金権で異種複合しながら、左右の両翼は公明党と日本会議・幸福実現党をウィングに広げているまるでコピーだ。
だが、この落日も中央に連動して、地方が離れ始めていることもタイムリーに感じている機運は高まっている。
そういった経緯を、石垣市の歴史に刻み込み、白日に晒すことで得ることがあった。
後世の歴史が書き換えられることがなければ、石垣島の民主主義はギリギリのところで踏みとどまり、恥ずべき日本会議、極右、幸福実現党、カルト、にも飲み込まれる事なく新しい一歩を踏み出した歴史的な日であると、いつか宣言したらいい記念すべき日だ。/span>  

Posted by Moist Chocolat at 23:02Comments(0)

2019年11月28日

来月から突然、与那国島を戦場に想定した訓練しますって、聞いてないんですけど!

とうとう来たかという思い、与那国島に住んでいて陸自駐屯地が配備され、日々首がしまるような着実な戦争準備の状況を沖縄や全国につぶさに見ていて、南西シフト全体の軍事計画を知っていればただの与那国沿岸監視部隊の配備で留まるはずがなかったからだ。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ【せんじょうのつつみもろうぎのけつをもってついゆ】
というのは、蟻の一穴を逆から見たことわざで、嘘偽りに満ちた説明で、ちょっとでも入れてはいけないものを入れると際限なく広がっていく例えだ。

南西諸島への自衛隊配備は戸締りだとか災害救助だとかその本質を見ないふりをして、誘致に積極的に動いた与那国町長、政治家、グルになった行政にもこの訓練発表に説明責任を求めていかなくてはならないほど重要な事態に直面したと思う。
防衛省の一方的な通達で済ませてはいけないし、こんな新聞の片隅に書くのではなくマスコミも大きく取り上げるべき問題だ。

機動展開というのはそこが戦場であることを想定して行なう訓練であって、逆に与那国島の住民は戦場になることを想定した「国民保護計画」に基づいた避難訓練は実施されていないし、住民に周知もしなければ、最後は想定外というマジックワードに最初から逃げ込むつもりでいる。これほど責任を放棄した自治体のあり方が許されるのだろうか、沖縄戦の教訓はどこに行ってしまったのだろうか。

だからどうか与那国島の住民もこのような既成事実の拡大を許さない声を上げて欲しい。そして沖縄島の人たちには気づいて欲しい。
沖縄から見ればさらに南の、人口約十分の一の小さな島々に、こうして実質的な軍拡が現在進行形で押し付けられるのは、なにも辺野古だけではないことを。
これこそが最も辺境に負を追いやって、人の目に触れないところに強者が押し付ける日本の構造的差別のメタファーが突きつけられていることを直視して欲しいと願います。
与那国島の住民として一緒に考えて解決していきたい問題がここにあります。

2019.11.27 八重山毎日新聞の最期のページにちらっとこんな小さな記事が。知り合いの西表島の田中さんがシェアしてくれて気がついた。沖縄の地元新聞は最も重大性感じないといけない。

この防衛省の資料では石垣島止まりで、与那国島が入っていませんが、先遣部隊や即応機動部隊の展開も含めた訓練や離島奪還作戦の島嶼地上戦の実質的な訓練を始めると捉えています。

つい最近も陸自のヘリCH47が与那国島一周マラソン大会の災害訓練という名目なのか、飛来して驚いたのが記憶に新しいところです。  

Posted by Moist Chocolat at 00:15Comments(0)

2019年11月22日

与那国島の周回道路にラウンドアップを撒く行政に化学物質過敏症の視点はない

NNNドキュメント「化学物質過敏症~私たちは逃げるしかないのですか~」

https://www.dailymotion.com/video/x73bm7o

先日、与那国島の周回道路にラウンドアップを撒くとのことで投稿したところたくさんの人がシェアしてくれてコメントをいただきました。
与那国町役場に行ってまちづくり課と交渉して、一番気になった点が科学部質過敏症への視点でした。
私が与那国町で質問したのが、島内にいる化学部質過敏症過敏症患者を把握してますかという点と、与那国島を訪れる観光客にラウンドアップを散布することを告知しないと命の危険に関わる事態がありますと伝えましたが「国は安全と言っているの一点張りで」明確な答えはもらえませんでした。
農薬に関する関心は程度の差こそあれ、必要悪に考えているのが一般認識のボトムだと思っています。
そこまでの認識ができてきたのも、長い時間がかかって被害者が声を上げ続けた結果、負の累積が生み出した中での一つの救済なのです。
今回知って欲しい「化学物質過敏症」を追ったこのドキュメンタリーもぜひ広まって欲しいと思っています。

農薬の危険性は散布する際に吸い込んだり肌がただれたりする直接被害よりも、農作物を経由して体内に取り込まれることで健康被害が出ることが、語弊を恐れず言えば、心配の中心にあるのだと思います。
だけど農薬に関しては当事者ではない限り、ある程度の選択で回避できる可能性があって、言い換えれば能動的な行動で被害を避け、コントロールできる自由が個人に残されています。
一方、「化学物質過敏症」はかなりの部分、環境に左右されてしまう受動的な側面が強く、ラウンドアップ(グリホサート)が撒かれた農地を能動的に避けることはできるが、公共の道路に撒かれてしまっては移動することができなくなり、ライフラインである道路の移動自体が断たれることを意味します。
平成27年度の環境省の「環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務報告書」によれば人口の7.5%がこの予備軍とされています。厚生省は平成21年にようやく化学物質過敏症を病名リストに追加し、カルテに記載できる病名として認めました。

例えば花粉症というのは認識が始まったのが40年ほど前で、今では誰もが知っていて国民病のように爆発的に増えてしまっているが、化学物質過敏症が同じような道を辿らないと誰が断言できるでしょうか。
むしろ個々人の差はあれ許容量を超えて発症するプロセスは、コップに水が限界まで溜まった後はあふれ続けるほかない現象に似ていると言われています。
一度溜まりきってしまえば、微量な因子に反応して症状が出続けてしまうのがこれらの病状に共通している。
花粉症について化学物質との因果関係を付け加えると、都市化が進み車の排気ガスに含まれる化学物質が花粉アレルギー反応の閾値を下げて、反応を増加するとの影響が指摘されていて、交通量の多い幹線道路ぞいの住民の花粉症の発生率が高いことが報告されています。

私たちはあまりに多くの化学物質をこれまでの生活で世界中で自然界に放出してきました。それらはここ数十年で現代病という形で次々と顕在化してきたし、これからも起こりうると考えて行動しなければいけないのではないでしょうか。
公害は過去のものではなく現在進行形で、より生物濃縮を繰り返しながら反応の閾値を下げながら容易に発症しやすくなってきていて、その最大の被害者は負の遺産を受け取った子供たちです。
香害だけではない、グリホサートもネオニコチノイドもマイクロプラスチックも関連する問題を数え上げればきりがない。もはや科学的に証明できないという企業と政府の見解を待つまでもなく、複合汚染は始まっているのではないでしょうか。
化学物質過敏症はおそらく複合汚染の極まった最終的な形態ではないかと思っています。一度発症してしまえば、生活も住まいも全て人権が、個人的な行動にかかわらず受動的に奪われるという避けがたい問題があります。
私はこの度、自分の周りに起こったラウンドアップの問題から、化学物質全般に目を向けることによって、「化学物質過敏症」発症者が全ての人類に警告している「炭鉱のカナリア」の声なのかもしれないと、どうしても考えてしまうのです。
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与那国町役場まちづくり課に行って質問と要請をしてきました。役場の入り口で外間町長とすれ違ったのでラウンドアップのことを伝えました。彼は全く知らないようです。音声のみですが、YouTubeにアップしておきました。
与那国町まちづくり課 ラウンドアップ交渉 2019/11/18 音声のみ
https://www.youtube.com/watch?v=SerzsZ15VEE&t=351s







  

Posted by Moist Chocolat at 22:10Comments(0)

2019年11月17日

与那国島がラウンドアップに汚染されます。どうか力を貸してください

急を要する問題です。なるべく簡潔に書くつもりですが、どうか最後まで読んで、与那国島のために力を貸していただけないでしょうか。
結論だけ先に述べると、与那国島の周回道路に世界中で危険性が指摘されているラウンドアップを除草目的で散布する計画があり、これをなんとか止めたいと切実に思っています。

今年の7月に突然告知された張り紙を見て、これは止めなければいけないと思いSNSを使って発信したところ、多くの人が協力して与那国町のまちづくり課に掛け合ってくれて、検討するとのことでこれまで止まっていたようです。

すっかり安心していたのもつかの間、木に巻き付けられていた張り紙が何か新しく交換されているように見えて、よく文面を読んでみたところ、明日11月18日から散布作業に入ると、日付だけを入れ替える形で再度告知されていました。(これを書いている17日から20頃まで、天の恵みのようにまとまった雨が降っていしかも風がかなり強い状況です。乾かないと散布出来ないのでこの間になんとか力を貸してください)

私が今回の再開を許せないのは、与那国町が一時的にでも止めていた対応を評価していたからであり、その過程で判断基準になる様々な危険性の事例を伝えられていたから、グリホサートの認識があったと思っていたから、総合的にどんな判断があったかは聞き取りする必要がありますが、再開に踏み切るということは、無知ではない知りませんでしたでは済まされない、確信犯以外の何物でもないと感じたからです。

ほとぼりが冷めたらしれっと気がつかないようにすればいいんだという姑息な判断が行政にあるのだとしたら、余計に住民として裏切られた気持ちでもあり、この住民の健康を無視した対応を取るならば、責任の所在を明確にさせて堂々と予防原則を守らせる交渉しなければ、かつての公害が引き起こした被害と同じ道をたどるだろうと考えています。

モンサント社(現バイエル)はラウンドアップの主成分であるグリホサートは「すぐに分解されて尿から排出されるので、人間に蓄積することはないと」これまで主張してきたのです。しかし、当事者に起こりうる発がん性のリスクの因果関係は米国の裁判所で判決が下されたのみならず、体内に蓄積される特性もあり、世代間を超えて病理が劇的に増加することをワシントン大学の研究チームが発表しています。これはつまり子や孫の世代の方がより多くの被害を受けることを意味しています。

日本は残念なことに、2016年グリホサートは安全であるという評価基準を出してしまっています。それに伴い2017年12月に農産物の残留基準値を品目別で最大で400倍引き上げる法決定をしました。しかし一方、世界の流れはというとフランス、ドイツをはじめEUでは禁止の方向に、アメリカでは3例目の裁判で2200億円の賠償命令が出されて、担当した弁護士(ジョンFケネディ大統領の弟、ロバートケネディのジュニア)の話では今やこのような裁判が5万件起こされているそうです。しかもその因果関係を裁判所に認めさせた医学データーを日本にも提供するとの発言もあります。日本政府も与那国町も、知らなかったということで逃げ切るれるつもりなのでしょうか。

つまり、世界の趨勢で見ればグリホサート系の農薬を使うことはEUではもはや無理であり、アメリカでは裁判で常に負け続けるのですから、これを無批判に使用し続けるのは世界ではほとんど日本しかないという状況です。これを指して前回のFBでの発信では、日本を多国籍企業の在庫一掃処分のゴミ箱にするなと私は言いました。この認識は農薬の問題だけではなくあらゆる社会問題に通底している企業優先のコーポラティズムが原因なので、メディアが報じない原因も同じくここにあって、個別の社会問題に取り組んでいる日本中の人々がつながれるきっかけになる場を共有して、情報を発信していくことに協力できればと願います。

元農水大臣でグリホサートの問題を発信し続けている山田正彦さんのブログから気になった点を引用させてもらいます。
『怖いのは、ラウンドアップは各国が禁止、制限しているのに日本では 畦道、道路、学校の校庭等の除草、家庭菜園などでも使われています。
報道されませんが、私は聞いたことが起こり始めているのではないでしょうか 。
大村湾漁協の組合長の話ですが「除草のためにラウンドアップを撒いたら、いっぱいいた猫がどこに行ったのかいなくなってしまった」と。
先日、テレビのワイドショーでもある島で猫が原因不明の死を遂げて激減しているとの報道が。
千葉県 茂原の猫好きな夫婦が6匹飼っていた猫のうち2匹が泡を吹くなど不審な死を遂げたので、除草剤を撒いた道端の草を食べたからではないかと。�それ以後は夫婦は一切猫を家の外に出さないそうです。
水俣病も最初は猫の変死から始まりましたが、私には不吉な予感がいたします。』

僕がこれを読んで思ったのが、背の高い大人のあなたではなくて、猫とか犬も子供も地面からすごく近い距離にいる弱い命をこそ守ってほしい、それが人間に大切な命への視座だということ。
この問題に関わっている小樽の人が、「農薬散布している近所で、散歩していると犬の鼻が爛れるんです」と集会で発言していて、僕が与那国島で9年間生活を共にしたルートという犬も、そういえば鼻の奥に悪性リンパ腫が出来て死にました。確かに散歩で地面に近いところの匂いを嗅ぐことが多い犬は農薬大国日本では最もリスクが高くなっていたのかと、思い至り申し訳ないと思いました。

自分が知らないうちに、命がだんだん消えていくという危機感は僕にもあって、今年は蝉が少ないとかカエルが少ないとか、ちょっとした自然からのメッセージがあって、日本全国同様におかしいなと思う人たちはまだギリギリ自然への手触りの感覚があって救われていると思います。
僕が少年時代に山や川で遊んでより自然の様相が深くなればなるほど、キラキラと心がときめいた感覚を覚えている。多分それはセンスオブワンダーとも言われる可能性に開いた世界なのかもしれない、未知へのわくわくが僕の心にとってかけがえのない経験として今に生きているのだろうと思います。

だからどうか、次の世代の子供達へ残すのが生き物が消えた後の公害が蔓延した後の「沈黙の春」であってはならないんです。かろうじて豊かな自然の中でそのすばらしさを知った大人が沈黙して、立場に縛られて、金に縛られて、もの言えなくなっているのは見て見ぬ振りをしている人も含めて最悪だと思う。今なんとかしないと命と生き物と自然の関係性を実感として全くわからない。バーチャルな感性で代替された子供たちがどんな人生を送るのだろうか、資本主義のモンスターみたいな考え方する子供が出てきて、全く何の文化の継承も、命のつながりもなくなる前にできることがある。それは自然破壊を止めて政治を自分たちの元に取り戻すしかないんです。
中央政府は動かなくても地域からできることの可能性はまだあるから、共に繋がって地方の問題解決から世の中変えていきませんか、日本で一番端にある島を応援してください、もしかしたらそこがオセロの端っこかもしれません。







  

Posted by Moist Chocolat at 23:20Comments(29)

2019年11月04日

山本太郎が与那国島で語るれいわの日本再編と島の未来

れいわ新選組代表山本太郎 おしゃべり会 与那国島 2019年11月3日

れいわ新選組の山本太郎代表が、この度沖縄ツアーのスケジュールの中、与那国島まで来ていただきました。距離感で言ったら東京から2100kmの日本で一番端にある国境の島。沖縄那覇からですら520kmもあって、台湾が110kmだからそっちの方が近い、与那国島はそんなところなんです。

人口も少なくて1750人ほどだから、スタッフも連れて行くと交通費も経費もばかにならないくらいだから、辺境など切り捨ててしまって、もっとたくさんの人がいるところで訴えかけた方がよっぽど効率がいいのは確かだ。しかし、人を使えなくなれば容易にコストとみなす弱肉強食が極まった日本社会でこの島に足を運んでくれたことは、山本太郎が年末の炊き出しに通ったり、重度障害者の人を国会に送る姿とつながる。

この絶海の孤島と言ったら言い過ぎなんだが、日の当たらない存在である。普通の人が知りようもない地元の人が愛してやまない文化や自然があって、なかなか通えない島の事情に耳を傾けてもらうべく、この機会をとらえて僕が質問したのは2点ある。だけど質問の内容は少ない時間でピンポイントを指すことを考えた。

1点目は消費税増税の影響が都市部ではなく、地方の最も遠い所が影響を受けている実例を話した。自営業者である私の店での仕入れに、いま膨大なコストがのしかかっているという実体験である。

私の店の仕入先が増税を機に軒並み料金を上げてきた、それは商品価格ではなくて送料にである。これまでたとえば一万円まで買うと送料無料だった店が、ごめんなさい増税分を吸収できなくなり、購入金額にかかわらず送料1500円くださいという話だ。自分が払った金額は総額なので、送料を別の金額で領収書をもらってはいないので、本当の実態はわからない。でもこれ、新規15%増税です。だけど、ここの取引先を切って他のところに移ろうとしても、選択肢がなくなっているギリギリの状況だから、離島はできないんです。

仕入れ先の2ヶ所から週一で購入して1500円を8回新しく払うようになると、もう自動的に12000円出て行く。これは物流から日本全国一律のサービスという公共性が新自由主義下の競争原理では維持できなくなった特異点、つまり切り捨てのきっかけになったのがこの度の増税だったのだろうと感じている。今やネットで物を買って自宅まで運んでもらう物流が定着しつつあるのだから、物流ももう一度公共的なインフラとして、特に切り捨てられる遠隔地での価格維持の必要性を伝えました。
これはロクでもない小泉・竹中が郵政民営化で端を発した出来事のツケがじわじわと回って地方を疲弊させている実態を報告した上で議論が深まったと思っています。

2点目は新住民問題を提起しました。これは2016年の与那国島の陸上自衛隊駐屯地開設に伴い、自衛隊員とその家族がどっと入ってきたことの問題点です。この問題に関しては同じ島に住んでいる人々のことなので言いにくいことはありますが、根源的に地方自治が早くも崩壊している実態を伝えて認識を会場の与那国島の人とともに共有できたと思っています。

この問題の中心にあるのが選挙のことです。自衛隊員とその家族が入ってきてからと、それ以前の選挙の投票行動を比較して分析した結果を伝えました。2013年と2017年の町長選挙では、人口のおよそ17%が自衛隊の関係者に置き換わっています。これだけでもどれだけ大きな変化をもたらしたのか、この文章を読んでいただいた人には想像していただきたいと願います。

2013年の、自衛隊員と家族がかかわらなかった与那国島の選挙は投票率95.48%でした。一方、比較対象にした2017年の選挙では、新たな自衛隊員とその家族が入ってきて全体の投票率が押し下がるのかな、と思ったら、92.93%で高止まりしてるのでこれは多くの新住民が選挙に関与しているのだとわかり、元の住民がそれまでと同じ投票率であったと仮定した計算では、79.53%でした(私の数学が正しいのかは、選挙結果の数字はホームページで出ているので検証してください)。
若干補足すると2017年の選挙は、保守vs保守の選挙でもあったので棄権した革新側の話は聞いていて、新住民の投票は8割を超えたという実感があったということを伝えました。

この現状を山本太郎代表に解説した上で、わずか2〜3年で転勤していく自衛官とその家族が、もはや右も左も分からないまま島に来て、80%以上の投票行動をして、その背景には動員がなければこの数字は出ないと伝えた上で、憲法92条の住民自治の本旨に関わるのではないかとの問題提起をしました。
簡単に言うと、ある団体が集団で住民票を移した場合、地方自治を凌駕した前例があります。その前例は僕の知るところでは宗教団体の例がいくつか当てはまりますが、ここでは言及しません。
つまりちょっと難しい考え方かもしれませんが、私は自律的自己決定権の喪失は憲法違反に当たるのではないかという指摘をして。それから後に続く議論は有意義であったのでないかと思います。
やっぱり、もごもごしてないで問題の本質に触れたときから、太郎さんもエンジンかかりましたね。

太郎さんが、今回の与那国行きの途中、那覇で自民党の議員にあって与那国に行くことを伝えたら、鼻で笑われて、5人集まればいい方さ。と言われたそうです。
閉塞感はある、だけど笑い返すほど人は集まる流れってあり、結果は残念。自民党さん沖縄の特に高齢の頭の硬い人のね、時代は変わってて、予想外れてたくさんの人集まってしまいましたから。
そして何より明るかったし、最前列で太郎さんの人となりに共感して楽しんでいる中学生たちが質問したりして、一番輝いていましたね。

最後に、与那国町長も、保守系の議員も一人も参加していただけませんでした。本当に残念でした。ワクワクする政治と市民との交流と対話の場面とを生み出したいのなら、こんなふうに市民が出てくる場に顔を出して問題意識を共有できたらいいのに、利権のみで政治を放棄している気がしてならない。
今回、人が集まって話し合う機会を作ってくれたこと、大きなムーブメントを与那国島に吹かせてくれたことに感謝いたします。

この模様はYouTubeに動画が上がっているので下のリンクから飛んでいただいて見て欲しいと思います。
山本太郎(れいわ新選組代表)おしゃべり会 沖縄県与那国島 2019年11月3日
https://www.youtube.com/watch?v=NLG8g6sAyuU













  

Posted by Moist Chocolat at 21:38Comments(0)

2019年07月22日

「令和」を解体した「れいわ新選組」の挑戦


選挙運動の最終日である本日、れいわ新選組による「新宿センキョ」の中継をネットで見ていた。新宿西口に詰めかけた大勢の人々がバスターミナルやデッキ側に溢れていて、まさにセンキョ=オキュパイの様相であった。そして、20時のマイクオフの後もコールが鳴り止まず、いつしか「れいわ!れいわ!」の大合唱になっていた。これは単純な社会現象ではないとの直感がある。

山本太郎氏の言によればこの一連の活動は、市民からの国政政党を作る初めての試みで、それに賛同する人々は歴史的転換を現在進行形で共有しながら、同時代に経験し体験したことを積み重ねて記憶し続ける一人一人を当事者として育てている、私とあなたのスタート地点はここからなのだと強調する。この選挙で新しい経験も知識も積み重ねた僕もその一人だ。その重みを知っているからこその緊張感を忘れずに次の世代に引き継いでいきたいと思った。

私たちは無力ではない。なぜなら安倍が天皇を徹底的に政治利用して選定にまで介入して作った『令和』を封印し、元号以外の意味を持って自然発生的に人々の口から「れいわ」と発せられたのは真逆への価値移行であり、それを成したのは一人一人の湧き上がる言霊の力だ。例えばオセロの角に白を置いた瞬間からパタパタと様変わりしていく必勝の一手を見たようだった。

現在、魂の荒廃した人々が政治の中枢にいて、それを象徴する「令和」の統治機構が下からの「れいわ」に解体され、口々にする現象と無心の朗唱の広がりをともに目の当たりにして、思い浮かべたのが日本的であり仏教的に言えばこれまでの時代的価値観への「浄化」や「成仏」という感覚であった。恐れることはない、山本太郎の元に集まった人々が生み出した熱は冷めることなくこれから大きく育って行くに違いない。



  

Posted by Moist Chocolat at 23:15Comments(0)

2019年04月01日

島々を慰撫する天皇と自衛隊の琉球処分 

昨年2018年3月27日から29日まで、明仁天皇の在位最後の沖縄訪問が行われた。その中、沖縄が戦後初めて自衛隊基地を新設させた「与那国駐屯地」が発足した3月28日のちょうど2年目に天皇皇后が与那国島を訪れたのである。

平成という時代は、かつて人々が戦争に狂った昭和初期の惨劇を伝える証言者が息をひきとり、再びファシズムへの回顧が起こり始めた戦間期なのかもしれない。
天皇と沖縄、天皇と軍隊、そのどちらも沖縄にとっては負の遺産がつきまとう。歴史的には1879年3月27日、内務大丞の松田道之が警官160名、熊本鎮台分遣隊400人の武装兵力をもって首里城へ向かい、琉球藩を廃して沖縄県を設置することを一方的に布告した。
140年前に行われた琉球処分が琉球王朝を終わらせ、以後明治政府は天皇の名の下による皇民化を行っていく。
天皇と軍隊の融合は権力と権威が交じり合いながら國體を形成して太平洋戦争の終結まで国民を狂わせた。
沖縄に至っては、昭和天皇が1947年9月にマッカーサー元帥に沖縄を50年以上の長期にわたって占領することを希望する旨の文書が「沖縄メッセージ」として残っている。

3月27日、天皇皇后が沖縄本島を訪れているまさにその時、全国5つの陸自方面隊(北部、東北、東部、中部、西部)を一元的に指揮・監督する「陸上総隊」が新設された。再編によって陸上総隊司令共同部は米陸軍キャンプ座間に置かれ、事実上の指揮命令系統は米軍と一体化してしまい、独立した国の軍隊ではなくなった。
そして「陸上総隊」の直轄部隊として、水力両用作戦の専門部隊である「水陸機動団」も発足させた。このいわゆる日本版海兵隊と呼ばれる部隊は、当面2000人規模で長崎県相浦駐屯地をはじめ九州に置くが、2020年代の前半には沖縄県のキャンプハンセンにも追加で1000人ほど配置する方針を固めている。

これらの部隊が展開するのは南西諸島の島々である。そのために陸上自衛隊が発足以来初めて、外征型の軍として運用可能にするために作り直した大改革であり、米国の手となり足となって動くことができる新生自衛隊の発足に他ならない。この水陸起動団が米軍とともに繰り返し訓練しているのが離島奪還作戦で、その離島とされるのが事前配備部隊の駐屯を計画中の石垣島、もしくはすでに配備が完了した与那国島であり、先日26日に発足した宮古島、奄美大島への陸自ミサイル部隊ということになり、ひと時戦端が開かれてしまえば、軍民混交のまま、かつての沖縄戦の悲劇を繰り返すことになる。

残念なことに、この日の全国の報道は沖縄に寄り添う天皇皇后という賛美報道一色で、沖縄の新聞2紙にしても、その重大さも、「陸上総隊」と「水陸機動団」の運用先である島々の危機意識についても深く取り上げることはなかった。
いわば陸上自衛隊が戦争のできる軍隊に作り変えられた日に、メディアはスピン報道に終始し、その材料を天皇皇后が提供していたと言えるのではないだろうか。
明仁天皇がどこまでそれを意識もしくは自覚しているかは別にして、天皇・皇后がこの重要な局面で与那国島を訪れたことは、中国脅威論を背景にした住民無視の島嶼防衛を、祝賀ムードに包まれた天皇が追認しているように見えるし、メディアはそのように見せるだろうことは予想していたが、まさに機動隊を大量動員した報道管制の元、その通りになってしまった。
また先日26日に陸自ミサイル基地が発足してしまった宮古島、奄美大島の二つの島と現在配備計画が進む石垣島で、不安を抱えている人々や、反対している人々の危機感情を抑え慰撫する役割を、天皇皇后は、軍国化を進める安倍政権によって日程をコントロールされ、結果的に担わされてしまった。

もちろん現行憲法において天皇と自衛隊に直接の結びつきはないが、自民党の憲法改正草案では天皇を国家元首と位置づけ、自衛隊の明記とともに、自衛隊が忠誠を誓う対象として作り変えようという意図が見受けられる。
その背景には、防衛大学校卒業者の任官拒否の増加などからも見られるように、自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣や自民党政権への不信や不満が表面化していて、新しい求心力としての天皇を再び渇望しているように見えてならない。

「自衛隊のなかには、内閣総理大臣のために死ぬというのでは隊員の士気があがらないので、ふたたび天皇を忠誠の対象としようとする動きがあり、天皇と自衛隊との結びつきは、特に一九六〇年代以降、深まっている」(横田耕一氏『憲法と天皇制』)※1 という指摘と、明仁天皇が皇太子時代から「公的行為」として沖縄を訪れている意味を、瀬畑源氏(長野県短大助教)はこう指摘します。
 「皇太子の行動の特徴を分析すると、国民統合の周縁にいる人たちを再統合する役割を担う意思を感じる。天皇や指導者に対してわだかまりを持っている人が一定数いる戦没者遺族・戦傷病者や、公害や災害などの被害者を『公的行為』を利用して慰撫している。これらは、天皇即位後の活動が注目されているが、皇太子時代から行っていたものが多い」
 「米軍基地問題など、『本土』に対する反発が強く残る沖縄は、国民統合の周縁にあって、『国民』として括られることに反発する人たちが数多く存在する。皇太子の活動は、その沖縄の人たちを『日本国民』として国家の中に統合する役割を、結果的に果たしてきた。皇太子のまなざしは、あくまでも『国民国家』の枠内に『国民』を統合する点が徹底されている」(『平成の天皇制とは何か』岩波書店所収)※2

311以降メディアは加担して、復興に携わる自衛隊と傷ついた人々を見舞う天皇を、それこそ「象徴」の両軸のようにして扱ってきたように見える。
自衛隊の映画やテレビ番組への積極的な参加も、利益を共有するかのような蜜月ぶりが最近よく目立つ。これはかつての戦争で販売部数を大幅に伸ばし巨大化したメディが、戦争協力の総括をなおざりにしたままであるからだろう。
また自衛隊に服務している隊員の中には純粋に国を守りたいという気持ちがあることを否定はしない。ただし、この「国」が何を指すのかは曖昧としていて、守るものは日々敬礼を捧げる日の丸なのか、領土・領海であれ、国民の生命であれ、国民国家の支配層や体制であれ、もしくは天皇を含んだ國體であっても、曖昧であるがゆえに天皇が影響を及ぼす領域は、今なお色濃く残り、いつでもファシズムが膨張する可能性を内在している。

天皇皇后の沖縄訪問の二日目は与那国島では、予定の一週間前から全国からの機動隊車両が6〜7台、機動隊員を中心にして300名が来島し島を闊歩した。これは機動隊員に聞いた人数なので、海上保安庁、皇居警察、私服で行動する人間も含めればもっと大きな人員が動員されていたのだろうと思う。
これら国民の税金で賄われている官吏がわずか人口1700名の周囲26kmの島に膨大な経費をかけて押し寄せてきたのは、島民を厳重に管理して、天皇皇后を諸手を挙げて歓迎する巨大なフィクションを作り上げるため、としか形容できない状況であった。

来島の準備のために島内では小学生がプランターに花を植えて、天皇皇后の巡行する道は入念に掃き清められて、ある種見慣れた風景でもあった薄汚れた廃船などの巨大なゴミは、重機の圧倒的なパワーで一気に浄化された。
島の人々の会話から聞いたのが「天皇陛下が来るから美容院で髪を切ってきた」とか「失礼がないように一番上等な服を洗った」とか、天皇皇后の迎え方に国民的なコンセンサスやマニュアルはないんだろうと思うが、一様に不浄を排する感覚が共有されていたのには驚いた。
ほとんど全ての与那国島の島民は、選ばれた人間でなければ、沿道で配られた日の丸の小旗を振って、特別仕様の車の窓から手を振る天皇皇后とすれ違う一瞬に、「私と天皇の目があったとか」「皇后が私のお辞儀に反応してくれたとか」たわいのない感想を甲高い声で話し合う様を目の当たりにして、下からのファシズムはいつでも準備可能になってると、めまいがして、国境の小さな島ですら中央に飲み込まれていく様を認めざるをえなかった。

平成の中で今年の3月ほど、沖縄の南西諸島の島々で、日の丸が振られ、天皇を言祝ぐ言葉が溢れた時もないでしょう。
また「言挙げせず 和の心」を笑顔で体現するあのお二人こそ、天皇制に人権を奪われたままであり、行動はするが言論の自由がない特殊な檻の中にいることも忘れてはならないと思う。

最近なぜかよく目にする、キング牧師の言葉で締めようと思います。
多分それは、私がとても小さな島に生きていて、天皇のことなどあらためて書くと、ますます厄介なことになることは間違いないでしょうが、言うべきことは言う、そこからは逃げたくないと思うからです。

 「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。
  沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。」マーティン・ルーサー・キング・ジュニア


※1 明仁天皇の沖縄・与那国訪問と“日本版海兵隊”創設(アリの一言)
※2 明仁天皇の「沖縄・与那国訪問」と福沢諭吉(アリの一言)






















  


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2018年12月31日

絶望の淵から、与那国の海に助けられた今年の終わりに

今年は海に助けられた一年になりました。

これまで与那国島に住みながら全く海には関心がない生活を続けてきた私ですが、心身が疲弊しきっていたとき、海を泳いでいて、たまたま拾った貝を持ち帰ったのが始まりでした。
タカセガイという大きめの貝を、どう殺したら良いものか苦悩しながら、その小さな生き物の死と向き合いながら最終的に食べるという行為がきっかけになり、海と深く関わるようになりました。
それまで鶏や魚は絞めたことはありましたが、自分自身の手でその命を終わらせた食物を口にすることが、ここ数年ほとんどなくなっていたことに気づかされました。

そこから数日後、手銛を手に入れてから生活が変わり始めました。魚を手銛で突くということは、単身で自然と向き合い、命のやり取りをするということに他ならず、生と死は自然の中でコインの裏表のように分かち難く結びついていて、殺した獲物への敬意や愛情すら湧いてくるものだということを知りました。
人類はそうして自然と向き合う中で、何万年も何十万年も命を繋いできたはずなのに、近年になって手に入れた暴力的な力で自然と対峙するようになっていき、あっとう間に感謝の心を忘れてしまったように感じます。
人間は水と塩以外は、生き物を殺して食べることで生命を維持しています。もし命の光が見えるとするなら、人間の体は無数の光の粒が集まった集合体に見えるだろうな、とよく考えることがあります。
さらに言うなら、生命を全うし納得して死を受け入れた命と、ただの食物としてしか見なされない、快楽のために製造・消費された命とは、人の血肉の中に溶け込んだ後も光の輝きや作用が違って見えるのだろうと考えたりしてしまいます。

食事前の挨拶が言葉としてない国もあって、戸惑った経験があります。日本語の「いただきます」には、「命を頂き、自らの命にさせて頂きます」という意味が込められているようです。
まさに、私が魚を突く刹那、頭に去来するのも同じ「いただきます」という感覚で、自らの手で命を殺め、最初から最後までしっかり命に責任を取ることを含めて「食」が内包している文化の中心を、言葉の含意は貫いているのだと思います。
いわば私がやっていることをハンティングと言い換えても間違いではないですが、人種や文化を超えて、アドレナリンを全開に出しながら獲物を過剰に獲ったり、狂喜するのを映像で見たりすると、生理的に受け付けられない私がいて、これは多分、命の扱い方への不満なのだろうと思います。
だから、生きるための狩猟、命との向き合い方は、本来は慈愛に満ちた行為であってほしいと願っています。
その「食」の根源への向き合い方が、人を良くしたり、命を活かしたりするものではないかと、ここ一年の経験を通して考えるようになりました。

冬の与那国は北風が吹き荒れるので、海に入れる機会はほとんどなくなりますが、来年の春、海が穏やかに温まる時期が待ち遠しくなります。
与那国島に住んでいて、これほど豊かな海をもっと大切に守り続けたいと思うほんとうの守り人が増えて欲しいと願っています。
私は奇跡の海に感謝しながら、これからもここで海の幸と共存しながら、時折情報発信して生きたいと思います。















  

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2017年08月26日

基地建設の分断が引き起こした犯罪。店の看板が酷いことに...。

残念なお知らせですが、うちの店の看板が複数、スプレーで塗りつぶされていました。
すべて手作りで一つ一つに思い入れがあるので、こんなことをされたのは残念でなりません。
これまでにも自衛隊基地建設をめぐって反対の態度を表明している僕の店の看板が、選挙翌日に壊されたり、何度も倒されたりと、小さな嫌がらせはこれまでもありましたので、今回も同じ政治絡みの犯行だと思っています。
しかし、これまでは被害を表沙汰にすることを控え、報告しないでいましたが、今回のは度が過ぎているため、警察に被害届を出しました。
かつて「歌と情けの島」と呼ばれた与那国島は、分断を乗り越えるどころかますます亀裂を深めていくように感じます。ここ10年ほどでたくさんの人が島を離れていきました。
理由は多々ありますが、人口減少の問題は経済的な理由だけではなく、人間関係の悪化でもあったりします。
警察の事情聴取でも聞かれましたが、特別に人に恨まれていることはありません。
このような人間の怒りや腹いせが僕のような個人事業主でもあり移住者でもある、攻撃しやすいマイノリティーに及ぶところが、基地問題と合わさってヘイトクライムの様相を見せているのが問題の深刻さを物語っているように思います。
この事件の犯人は見つからないのだろうと思いますが、こうした人間をこの島が生み出すその背景は、政治や行政だけで解決できる問題ではありません。
今回、私に向けられた攻撃を個人的な問題に矮小化せずに、もし同じことを自分がされたらと、我が事と捉える地域共同体の在り方として考えるべき問題ではないかと思っています。
これはあまりに小さな出来事かもしれませんが、人口わずか1700名の与那国島にとってこの問題をどのように捉えるかは、それぞれの未来に突きつけられた課題でもあると思っています。












↑銀色のスプレーで塗りつぶされた店の看板。
下は塗りつぶされる前の状態












  


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2017年08月06日

与那国町長選挙で再び問われる「自立ビジョン」

8月1日から始まった与那国町長選挙は5日間の選挙活動を終え、6日の今日に投開票を迎える。
今回の町長選では、有権者(7月31日現在)が1399人と島外から移住した自衛隊とその家族を中心に、前回より271人増えている。
今回立候補したのは、現職で4期目を狙う外間守吉氏(67)=自民公認、公明推薦=と、前議会議長で新人の糸数健一氏(63)の二人である。
これまで保守系候補に一騎打ちを挑んできた革新の側は「票を取りまとめても、新たに加わる自衛隊員の票を考えると、候補者を擁立しても勝機が見込めない」と町長選は勝てないと諦めがあり、候補者の擁立を断念している。
今回の選挙は「保守分裂」の選挙であって、革新候補に投じてきた有権者達の投票行動と自衛隊票の行方がキャスティングボードを握る。与那国島が「自衛隊城下町」となって以来始めて、民意を問われる選挙に位置付けられる。
前回2014年の選挙では投票率95.48%で、当確票差はわずか47票であった。

現職の外間町長の3期12年で深く分断を引き起こした自衛隊誘致の問題は、昨年の陸上自衛隊与那国駐屯地の発足を持って事実上終了しており、今回の争点ではなくなってしまい、今後の基地の拡大を懸念する住民の声を聞く場にもなっていない。これまで基地建設に反対してきた住民は、推進の先頭に立ってきた両候補に対して、白票や棄権などを検討している人もいるのが事実である。また白票や棄権が増えると当選確率が高まるのが現職の外間候補で、革新支持者に対して白票を投じるよう呼びかけていると聞いた。

革新側は保守分裂のチャンスを活かせず、候補者を擁立できないのは残念だと言う意見が当初は大半を占めていた。しかし、選挙戦に入ってから風向きは大きく変わってきた。「これは保革の戦いではない」「保守を徹底的に分裂させて膿を出させた方がいい」「もう外間町政をこれ以上続けさせてはいけない」と、保革の対立構造よりは建設的に手を組めるチャンスと捉える向きが浸透し始めている。
革新が出ない選挙であらわになった保守の腐敗を白日のもとにさらし一掃することこそが、お互いにとってのチャンスだと、現職打倒に未来を託して糸数候補と革新が手を組む動きが出てきたのは与那国島にとって新しい共闘体制の確立とも言えるだろう。
陸上自衛隊誘致に奔ったこの12年間に、町政をなおざりにしてきたツケが溜まりに溜まって、内部では現職が作り上げた独裁的な町政への批判が高まっている。
対立候補の糸数健一氏は「公正公平に、現町政を変える」ことを訴えて、現職への不満の広がりを背景に支持を集めている。
革新派の議員や4年前の町長選挙を戦った改革会議の崎原正吉議長が、糸数候補の街宣にマイクを持って参加していたのは、これまでなら絶対に見られない光景であった。
苦渋の決断やわだかまりがあったとしても、これは与那国島版の野党共闘の新しい一歩として後世に特筆されるのだろう。そして自民党の錦の御旗が沖縄の離島でも陰ってる、わけても安倍政権への支持率低下と連動していることは伝えなければならないと思う。

政局で見れば継続か刷新かが問われているが、今回の選挙での争点はあくまで「産業振興、観光振興、まちづくり、子育て支援、など」平時より長期的な視野で行なわれるべき行政の施策であった事にあらためて驚く。
今回の保守分裂選挙の実相は、いわば自衛隊配備と虚構の経済発展を旗印に掲げ、共に沖縄県初の自衛隊新基地建設に手を取り合った基地誘致の二人が、与那国島にもたらした停滞の12年は脇に置いて、これからその後の始末を開始すると宣言しているに等しい。
陸自基地は残り、失われた12年の与那国町政は、ここにきてやっと住民自治の振り出しに戻ったと言わざるをえない。選挙結果の何如に関わらず、町民の評価や反応を確認し、あらためて陸自配備のリスクは問われなければならない。石垣島、宮古島、奄美大島のみならず、沖縄全体が米軍から下請けの自衛隊へと急速にシフトしている危険性を最前線の島から浮き彫りにする必要があるからだ。

しかし、ここにきて再浮上したのが、2005年に策定された台湾との航路を結ぶ「与那国・自立ビジョン」である。糸数候補は再びこの自立ビジョンを掲げてきた。
当時、与那国町は台湾に事務所を置きながら粘り強く国境交流特区構想を国へ申請していた。町側はなかなか構想を認めようとしない国と交渉を重ねてきたが、軍事問題と並行し暗礁に乗り上げた与那国島未完のプロジェクトである。
与那国島の活路は台湾との交流以外にはないとの思いは、隣の島、台湾まで111kmの日本最西端に位置する与那国島民にとって望郷に近い悲願なのであり、国境で引き裂かれた与那国島の近代史は衰退の記憶とに完全に重なるのである。
外間町長が2015年に行った施政方針演説では、陸自配備を踏まえ「与那国・自立ビジョン」を見直し、島の骨格を自衛隊基地に合わせて再編するとの施策が発表されたが、自治体運営の上に自衛隊組織を持ってくるもので、地方自治の本旨に反するものであると否定的に捉える意見が多く聞かれる。
外間町長が代表社員を務める海運会社一社に補助金が流れる仕組みを政治利用し続けたために、富と権力の一極集中を招いたこの腐敗の構造を与那国島の島民はよく知っている。
与那国島にとってはまさに海こそが生命線であり、海の道を閉ざすことは与那国島の衰退につながる。そして、海流文明の入り口を閉ざすことが島民のアイデンティティーの根幹に触れたのかもしれない。
そして与那国島は東アジアへ開かれた南向きの玄関口としての役割が最もふさわしい。
「与那国・自立ビジョン」は崖っぷちに立たされた与那国島の希望であったことを、この失われた12年で再確認したということなのだろう。
本日6日の与那国町長選挙の結果は、遅くても21時までには判明することになる。












  


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2017年07月28日

優等生が戦争を待望する

八重山毎日新聞に載った投稿に、このままいけば日本はまたやるんだろうと、僕は思った。沖縄の戦争の警鐘はかくも儚く、嘆き悲しむのは時が過ぎればただのポーズに没落するのだと、この投稿には如実に表れている。
「しかし私は石垣島に自衛隊を配備することについては反対です」の一文を切り取って「よくぞ言ってくれた、あなたも私たちの仲間入りだね」と、盛り上がる空気感が、既にファシズムの部分を形成してることに気がつかないのだろうか。

僕はこの戦争国家体制を日々国会で整備しながら、立法テロを行っている連中に個として反撃したいと思っている。その立ち位置は希望の日本を見据えているからではなく、圧倒的な力に対して全く無力な個が蟻の一穴を開けるが如く牙を研ぎ澄ましているつもりだ。
その中で僕が幾らかでも覚えた先人の言葉を継ぎ合わせながら、自分の言葉足らずを埋めるのであれば、魯迅は「聖人君子の輩から大いに嫌われる文を書く」という儒教社会に喧嘩を売ってたことを評価するし、レヴィナスはユダヤ人の哲学者で第一次世界大戦も第二次も経験しホロコーストを生き延びた人物で「人間の知性とは戦争の可能性が永続することに気がつくこと」だと述べている。この言葉を借りれば、知の最たるものは戦争の可能性を嗅ぎつけることである。

僕は南西諸島への自衛隊配備に関しては一貫して戦争の凄惨さを繰り返してはならないという立場を崩すつもりはない。オスプレイがうるさいとか、911の後に沖縄に観光客が減ったとか、環境破壊の問題以前に、もっと恐ろしいものが口を開けて待っているということを告げたいだけなのだ。
それが、直感であれ、本能であれ、論理であれ、格言であれ、日々迫り来る戦争に対しては徹底的に争う。
戦争という巨悪の凄惨に対して、言葉の選び方を変えて、人々のマスボリュームの中心に対して共感を得ようなどと姑息な扇動はしたくない。僕は戦地に送られたら、戦場の優等生として振る舞うだろう。暴力と同調圧力の恐怖に抗えずにいられない弱い自分を自覚しているからだ。

この「論壇」に投稿した中学校教員はおそらく、優等生的な中立を装い多くの共感を得る立場を目指しているのかもしれない。こうした個人の資質をあげつらうつもりはないが、こうした人はかつての隣組の監視社会の盟主のような立ち位置に豹変するに違いないだろうと思っている。平時と非常時とで人は、嬉々として大勢を礼賛し寄り添う恐ろしさがある。それが人間の恐ろしさであり、その匂いは特攻礼賛と中立的な物言いにすでに充満している。
文中に現れる伊舎堂中佐は1945年3月26日午前4時、誠第17代飛行隊の隊長として隊員3人と特攻機で石垣島の白保飛行場を出発。同日午前5時50分、慶良間郡西海上の米航空母艦に体当たり攻撃24歳で戦死した。出発前、「指折りつ待ちに待ちたる機ぞきたる 千尋の海に散るぞたのしき」と辞世の句を残している。
戦死後に2階級特進して陸軍中佐となった。白保飛行場からは計31人が突撃死している。

この先の未来はわからないが、ここ先島諸島では戦争の足音が近づいていることは間違いない。
むのたけじは「日本人にないのは希望ではなく、絶望がないこと」だと語った。その通り。戦争体験と切り離された希釈がこれほどまでに歴史の断絶に浸透するようになると、僕の絶望の淵からの抵抗も終わりも近いのかなと思っている。
この投稿から漂っている妖気はファシズムへのいざないの端緒そのものである。
どれだけの人が読み解けるのかわからないが、かすかな抵抗の手がかりでもいい、警鐘を鳴らさざるを得ない。



  

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2017年07月14日

蓮舫氏へ向けられるレイシズムの視線は戦争国家への準備である

民進党の蓮舫代表は11日の党執行役員会で、台湾籍と日本国籍の「二重国籍問題」をめぐり、日本国籍の選択宣言をしたことを証明するため、近く戸籍謄本を公開する方針を明らかにした、という。確認しておきたいことは、蓮舫氏の場合は、日本が中国との関係から台湾(中華民国)を国家として承認していないということであって、台湾籍は存在していないというのが日本政府の見解である。 従って「国籍を放棄しろ」と言われ、国籍放棄の手続きをとろうとすると「受理できない」と突き返される矛盾のループがこの国にある以上、蓮舫氏には現在のところ日本国籍しかないというのが客観的な事実である。
もし二重国籍という問題を真剣に論じたいのであれば、それは最終的に日本と中国と台湾の外交問題に発展するということである。それを敢えて議題に乗せて、重国籍者の人権問題を語ろうという機運から発したものであれば、それは様々なミックスルーツを持ち日本に住んでいる人々にとっては、待ち望んだ朗報になるのは間違いない。そもそも重国籍者が人々の信頼を得て国政に上がるのであれば、それは国際色豊かな民主的なプロセスであって、多角的な視野を持った人材は日本と世界の架け橋になる可能性を多分に秘めている。そして蓮舫氏が戸籍謄本を公開するということは、他の重国籍者に対して同様の踏み絵を迫る悪しき前例になり、それら人々の生存や人権を脅かす結果になることを想像しなくてはならない。そのことは蓮舫氏は最もよくわかり苦しんだ一人であろうと思う。蓮舫氏に向けられているのは、メディアと権力が作り出したレイシズムの視線を通して国民が視ているのである。
しかし、議論の全体を眺めるとそうなってはいない。 東京都議選の結果を受けた民進党が敗退の原因を二重国籍問題にすり替えて語るのは、民進党に巣喰う日本会議系の隠れ補完勢力がまたも動き出したということではないだろうか。また、結果的には日本の国益を損ねて分断統治するジャパンハンドラーの手先が、死に体の自民党を利する衛星野党として、このタイミングで暗躍している構図も見て取れる。
これは多くの日本人が理解しなくてはならないことだが、無自覚にこの流れに身を委ねてしまうのならば、それはレイシストが作り出す、蓮舫氏への私刑(リンチ)の末席に自らの名を連ねるということなのである。それを最も喜んでいるのは、安倍晋三を筆頭に辺境な愛国心を煽り戦争へとひた走る、最も唾棄すべき集団を利することになるのを忘れてはならない。

「すべての戦争は差別から始まる」この言葉を根本に据えて考えなければならないと思っている。今年3月、道徳の教科書表記が書き換えられた。「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」という点が足らないと指摘を受けて、「パン屋を和菓子屋に、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を和楽器屋に」と教科書会社が修正したところ、検定をパスしたという報道があった。
その時に思い出さざるを得なかったエピソードがある。『戦時下のドイツで、ナチスが政権を取った年のある日、ドイツ人の経営する商店の店先に「ドイツ人の商店」という札がさりげなく張られたとき、一般人は何も感じなかった。またしばらくしたある日、ユダヤ人の店先に黄色い星のマーク(ユダヤ人であることを示す)がさり気なく張られた時も、それはそれだけのことで、それがまさか何年も先の、あのユダヤ人ガス室虐殺につながるなどと考えた普通人は一人もいなかったろう』
この歴史の相似形の反復こそが、心層の深くにある生体の本能が警鐘を鳴らしている。そして今回の蓮舫氏に対する内外からの突き上げは、まさにこの文脈に沿って行われた時代の空気である。現在の事象を過去に照らし合わせて読むことは、戦争の歴史を読み解くことでもあり、戦時や非常事態でジェノサイドやポグロム、関東大震災で朝鮮人が虐殺された歴史がある。それらがマイノリティーの魂を怖気さす恐怖であり危機感だということに、大多数の側が無知であることが無自覚の暴力の源泉になっていることを忘れてはならないのだ。

脅威に駆り立てられた人々が自然発生的に増幅させる不安は、同調圧力を背景に、レイシズムからファシズムへと昇華して戦争の凄惨へと結実する。このプロセスはかつて日本が歩んできた道であり、歴史の深層から再び沸き上がりつつある。 この国には透明な残忍さを美しい言葉で語りながら、下から蠢めく正体不明の鵺が常に潜んでいる。その指先で、舌先でくすぐられ、生ぬるく反応してしまう生理的な情動に、全身で拒否しなくてはならない。その鵺の正体は日本版ファシズムであり、それを醸し出す情動的な基盤に重ねなければ全体が見えない。日本人とは何か、という定義が喧しく語られるとき、そこには既に小さな声の圧殺が始まっているのである。
「日本人」は既に自らがファシズムの一部であることを理解できない、それこそが「日本人」なのである。メディアは語らないだろうが、狂喜乱舞する人の群れを見よ、戦争は既に始まっている。蓮舫氏に戸籍公開を迫ることは、差別を政治利用した「日本人」の集団動員であり、人倫を駆逐するファシズムの別名に他ならない。 そして、自分自身が狂気の一部になってはいないか、誰しもが内面に問わなくてはならない「私たちは正気なのか?」と。
この国のファシズムは麻酔をかけるように「日本人」たれと、透明な残忍性を帯びて侵食してくる。踏み絵は内面の自殺であり、魂の死亡証明書である。それが歴史の教訓ではなかったのだろうか。
ファシズムの語源は葦をひとくくりにして束ねることから来ているようだ。括弧に括られた「日本人」は束ねられてしまった人々の総称を指す記号のことである。この「日本人」から括弧を外して語りうる日本人ならなくては、「日本人」が記号化した存在まで凋落することは、避けられないであろうと危惧している。

写真は山下清 作
◆放浪へと導いた戦争◆観兵式 貼絵 1937年
角川文庫『完全版1★9★3★7(イクミナ)』辺見庸著
この本の装丁にもなった作品から引用させていただきました。




  


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2017年07月08日

下地島空港が米軍の要求を満たしている。沖縄県民は踊らされていないか。

稲田朋美防衛相は、辺野古新基地建設が進んだとしても、それ以外の返還条件が満たされない場合は、普天間飛行場が返還されないと明言したことが波紋を呼んでいる。しかし、これらの報道のあり方には問題提起をしたい。
那覇空港の滑走路は2本になっても飛行機の発着はわずか1・17倍にしかならないのは計算上わかっている、それは翁長知事にしても知事公室長にしても、在沖米軍にしても、日本政府も当然知っていることだ。
県民の反発を考えれば、沖縄を恒久的な基地の島としてみた場合には県民反発が強ければ、そもそも那覇空港を大規模には使えないことは自明であろう。

5日の県議会で、県内の1カ所の民間空港について問われた謝花公室長は、日米両政府は特定の空港を明示していないとした上で「普天間飛行場の滑走路が約2800メートルなので、2700メートルある那覇空港を指しているのではないかと推察している」と述べ、「那覇空港は過密。自衛隊も使用している。観光への悪影響もある。決して認められない」と使用に反対する姿勢を示した。平良昭一氏(おきなわ)の質問に答えた。那覇空港の(米軍による)使用は絶対に認められない」(琉球新報7/6)と報じている。

そこでなぜ、県紙が宮古島の西に位置する下地島空港に触れないのか、発言がなく追求がなかったことに強い疑念を感じている。この言質を取り付けたことは、一つの前進と認めるにしても、明確に語ったことと、あえて語らなかったことの間には断然があり、政治の世界では免罪符のように機能している。それが沖縄への差別と一向に解決できない基地問題の底流にあって、表層の約束に右往左往してきたのがこれまでの教訓ではなかったのだろうか。
米軍との共同使用を前提にした航空自衛隊の専用基地を作るのであれば、今更沖縄のどこかに巨大な滑走路をつくることは難しいのだから、それを満たすのは3000mの滑走路を持つ下地島空港を於いて他にないと考えるのが最もありうべき論理である。それが全く抜け落ちて指摘されないでいるのは、戦後より耐用年数の過ぎた米軍基地を、米軍の下請けになった自衛隊基地に置き換えていくという大きな視点であって、それを見抜けないメディアであれ政治家であるのならば、完全にその資質に欠けている。

沖縄県の人口の90%以上が沖縄本島に集中している。当然のことながら新聞というメディアは最大公約数から経営を成り立たせているのだから、残りの10%にはそれほど力を注がないのが現実的な処世術としては致し方ない。その証左に、沖縄の米軍基地問題の影に隠れて進行する自衛隊基地配備の問題になるとほとんど全国的に知られていないし、沖縄県内でも関心が高いとは言えない。実質的な県内基地移転に等しい状況には警鐘を鳴らしているのであろうか。
私が住んでいる与那国島には昨年陸自の基地ができた。これから宮古島、石垣島、奄美大島へと新基地建設は進もうとしている。軍民共用の那覇空港の過密状態にしても、これまでの航空隊を2倍増させて航空団に昇格したことが背景にある。自衛隊の軍拡が根底にあって、この認識のギャップに無知なのであれば救いようはあるが、無自覚に加担しているのであれば、やはりその質を問わなければならないだろう。それが如実に現れたのが今回の報道であろうと思う。

中央の経済発展を餌にして、地方に迷惑施設を押し付けるといったやり方に対して矛盾が表出し、本当の豊かさとは何かを問われているのが資本主義の末期的な実相である。前時代に針を戻すような、辺境を侵略する帝国主義の焼き直しと同様の横暴を、消極的であれ容認するのであれば、全ての人が離島住民に対して再び軍事的な加害者になりうる可能性を秘めているのである。
現実の軍拡化は今もなお島々で進行し続けている。ここで語られている那覇空港の使用の有無が問題なのではなく、何が語られていないのかが最も問題視されるべきである。沖縄の問題を南西諸島を戦略の拠点として演繹的に俯瞰して見たとき、その視座は広がって、何が語られていないかに目を向けることが同じ設問の裏表になる。米軍基地問題に苦しんだ沖縄は再び騙されようとしているのではないだろうか。裏の下地島空港案が選択肢として用意されていて、すでに維新の会をはじめ利権の亡者が密室で島を売り渡そうとしている。報道のあり方と政治家の蜜月が、市民をないがしろにして沖縄県民の分断を作り始めていることを見落としてはならないと思っている。












  


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2017年07月08日

玉響(たまゆら)

玉響(たまゆら)という言葉に惹かれ、その深遠を探りたい衝動に駆られました。
古くは万葉集の柿本人麻呂の歌に現れる古語です。

玉響(たまゆらの) 昨日の夕 見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか

歌の意味は「昨日の夕方逢ったばかりのに今朝にはもう恋しいなんて、いいはずがない・・。」となります。

本来は「たまかぎる」と詠んでいたのが、いつしか「たまゆらに」と変わったようで、諸説ありますがここでは踏み込みません。その壮大な宇宙観をこの言葉がどれほど大きく表しているのか、自分が感じたように書きます。

玉響の元々の意味は、勾玉(まがたま)同士がゆらぎ触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」、あるいは「かすか」を意味しています。
その言葉の深層に潜むのは時間への感性の違いだと感じました。時間はある種植え付けられた概念であって。現代のデジタル化された刻みに苦しんでいる現状からは解りえない、悠久にゆだねていた人々の命の営みを想起させます。
おそらくその世界観に身をゆだねていた人々は、今よりは幸せであったのではないかと思っています。

勾玉は日本の縄文時代の遺跡から発見されるものが最も古く、勾玉が果たしていた役割が定かではないにしても、古来は通信の道具であったという説があります。今だからこそ、その可能性を考えてみるのは、私たちが次のステップに向かうパラダイムシフトを模索する手がかりとしての意味があるかと思います。

この幽かな響きあいを、現代の超ひも理論に当てはめて考えると「物質の究極の最小単位は粒子ではなく、ひも(弦)の響きあいが音色になっていて、それぞれの要素を構成している」という説明原理に至ります。

現在の世界が置かれている状況は、この響きあう魂の退行であって、ありとある異なった「質」の響きを、お金という同質の「量」に還元するシステムに世界が飲み込まれつつあるという危機感と重なります。
人間の五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は全て接触を契機として発生する感覚です。第六感は五感では知覚不可なこの揺らぎを感じることではないかと考えています。それを端的に表現するのに玉響ほど合致する言葉はないと思いました。

資本もお金も量的に溢れ、響きあう体感も音もない世界は、千態万様の世界の生き物全てを死滅させます。特に人間同士自然との関係においては命の理も知らず、感覚が狂った個が、希薄化した地平でお互いに魂をすり減らしているように思えてなりません。

憎しみを増幅させて殺しあうより、魂を揺らし合う方向を目指したいと思っています。僕の玉響に対する渇望は、もしかしたら前世や、もっともっと前から響き合わせていた太古の記憶が、私たちのDNAに刻み込まれているからなのかもしれません。

それを日本では言霊(ことだま)と呼ぶのかもしれません。玉響(たまゆら)という命ある言葉の一つを殺さずにもう一度口にして響かせていきたいと思います。

玉響(たまゆら)の 昨日の夕(ゆうべ)に 見しものを 今日の朝 (あした)に 恋ふべきものか

通信が発達するはるか以前に、地球(ほし)に育まれ魂を震わせていた人々の記憶の源泉は、ここにあったのだと受け止めています。




  

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2017年06月23日

八重山の戦争マラリアと隠された住民虐殺計画

沖縄では、組織的な戦闘が終結した6月23日を「沖縄慰霊の日」と定めている。壮絶な地上戦を体験した沖縄本島の他に、八重山諸島でも、この日には特別な意味がある。

「潮平くんねえ、君は僕に殺されていたかもしれないよ」当時鉄血勤皇隊に召集された経験を持つ潮平正道さんは、兄の同級生にそう言われた。石垣島では、敵軍が上陸して来た場合は住民虐殺を計画していたという、貴重な証言である。

沖縄の西南端に位置する八重山諸島でも、戦争の惨禍がある。それが「戦争マラリア」である。

八重山諸島の中心にある石垣島では、およそ9000名の陸軍・海軍が終戦の前年に住民を陣地構築に駆り出し、地上戦に備えた布陣を敷いた。
それはサイパン、グアム、アッツ、硫黄島などと同様に「玉砕の島」として想定されていたのだ。

軍民混交の統制下に置かれた島では、軍命により、石垣島・西表島の山中への集団疎開を強行し、島々の住民はマラリアの有病地帯に追い込まれた。
その結果、当時の人口31,701名のうち3,647名が命を落とした。全体の罹患者数は16,884名で、実に人口の半数を超える。

「軍隊なんて、秘密を守るということが最優先ですよ。国民の命よりも、命を犠牲にしてでも軍隊の秘密を守ることが第一義ですよ。秘密が漏れちゃいけないから、軍の背後に、有病地帯とわかっていながら避難小屋を作らせていた。」と潮平さんは語る。

つまり、進駐して来た日本軍は、沖縄の離島住民を守ると言っておきながらスパイ視し、死んでも構わないと考えていたのではないと考えていたのだろう。
撤退した後の将校の家の押入れからは、マラリアの特効薬「キニーネ」が入った箱が大量に出て来たという。

「その証拠に、僕の兄の同級生ですけども、石垣島での軍隊生活を経験していたわけですが。」
「潮平くん、どこに避難していたの?」と聞かれ。
「白水に避難していた」と言ったら。
「じゃあおまえ、僕に殺されていたかもしれんな。」
「敵が上陸して、捕虜になって、情報がばれるおそれがあるから、住民を虐殺しなさいと、(銃の)弾が配られていたと言うんですよ」

それは戦闘時の混乱の中で悲劇が起きたのではなく、軍隊の駐留によって起きうる本質を曝け出している。
潮平さんの証言は「戦争マラリア」そのものが、あらかじめ住民虐殺を前提としたものであり、米軍侵攻後は避難小屋に集めた住民を虐殺する計画に繋がる、全体として構築された可能性を示唆している。
そこに貫かれているのは軍隊の本質である。

「沖縄慰霊の日」に八重山の戦争も合わせて語り継がなくてはならない。
石垣島では陸上自衛隊の配備計画が進もうとしている。
果たしてあれから、軍隊の本質は変わったのであろうか、またそれを日本全体で考えたことがあるだろうかと、問わざるを得ない。
中国脅威論を背景にした配備など、そもそも侵略した加害者の立場で語るところに議論が抜け落ちている証左である。
現在に現れた陸自配備問題は、同じ構造で繰り返されてはいないだろうか。
「沖縄慰霊の日」日本と共に過去を振り返って考える必要を感じる。




疎開場所があった白水を潮平さんに案内していただいた。住民を監視する小屋の近くには慰安所らしき場所もあったという。


井戸の跡


日本軍が調理台にしていた石。今では木が根を張って割れていた。


戦争マラリアの碑。このデザインと設計も潮平さんが手掛けたという。






ドキュメンタリー映画「標的の島」(三上智恵監督)での証言

  

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2017年06月21日

京都、大阪、神戸、連続講演会の初日を終えて

京都教育文化会館での講演会が終わりました。
南西諸島全域にわたる基地問題を、現場の人間が語ることは全体性の大小はあれ、ひとまず大きな絵を描いたと思っています。
島々の端から端まで自らの足で歩いて確かめた感触を元に、自分がどのようにひとに伝えるのか、そんな表現の場を京都でセッティングして頂いたのだと思います。
自分が当事者でもあり、出会った人達の思いを伝えるメッセンジャーを本格的に意識したのは初めての試みで、それを受け取る京都の側にも初めてのチャレンジだったと思います。

会場の反応を受けて、あらためてそこに大きな意味があったと驚いています。
「評論家のそれとは比べものにはならない深いものでした」
「ともすれば沖縄本島に目が行ってしまいますが、個々の島々は多様であり、これも含めて基地の問題を考えてゆかねばならないと思いました」
「沖縄の美しい自然と人々の生活が、様々な理由をつけられ破壊されていくことに怒りを覚えます。自分と同世代の彼がこうしたメッセージを発されていることに勇気と希望も感じました」と。
会場で寄せられた20枚ものたくさんの手書きのメッセージを読んで、これだけ充実したスタートを切れたことに驚いています。

会場は満員になりました。
これはお互いに違う時間と歴史と地域と距離を超えて成し得た、ひとつの成果だと思っています。
私は沖縄から被害者の立場で糾弾するつもりはなくて、そもそも全体が分断された存在が対立することが不幸の根源であると感じています。
ひとりひとりは1%に対する99%の存在であって、私たちの共通認識が結びつけた糸は強靭なネットワークに、次第にゆるやかな理解を通して織り上げられていくのだと信じています。
こうした場に足を運び関心を持って集まる人がいることは、現在に命を受けた私たちが再確認するべき道であって、先祖代々から子々孫々に確実に繋ぐ過去・現在・未来へと続く共存共栄の命脈の本流に他なりません。
争い奪い殺し合う道は傍流であって、それを邪道とか外道の生き様と云い、保守本流などと声高に叫ぶのは全くの倒錯です。

この異常がまかり通る社会が常態化する昨今、日本の一番端の与那国島から来て京都で発するメッセージが共有できた事を嬉しく思っています。
様々な人達に支えられて、まずは関西講演会の第一回目を無事に終了できましたことに関係者各位、感謝申し上げます。
明日からまた、大阪(箕面市)、神戸、京都と計四回、講演会が続きます。
本当に口下手なんで、こんなにハードル上げて宣伝して大丈夫か〜と思いますが、皆さん大満足だったようです(^_^)
(追記)
プロジェクターの電球が途中「ボン」と爆発して煙を上げてしまいました。こんなことは初めてと言いますが、それも含めて新しいことだらけです。なんか前途洋々(笑)


















  

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2017年06月17日

陸自ミサイル基地に飲み込まれようとする観光農園

陸自ミサイル基地の敷地に組み込まれた農園。農園主は新聞記事に自分の土地を赤く塗って訴えた。

僕がとある石垣島の農園主のブログを目にしたのは、南西諸島の端の馬毛島から端の与那国島まで、新基地建設に晒される島々を巡る旅の途中のことだった。「藍を植えましょう、この島へ」と題するブログに添えられた写真にとりわけ引きつけられてしまった。
石垣島で進められようとしている陸上自衛隊のミサイル部隊駐屯地にすっぽりと農園を囲まれた様子は、今まさに荒波に飲み込まれようとする孤島が発しているSOSに重なって見えた。
日常が無残にも壊される事態がこのように降りかかってくるとは夢にも思っていなかったに違いない。他人事ではない憤りを感じながら、帰路の予定を変更して石垣島の農園主を訪ねることにした。

農園主の木方(きほう)基成さんとお会いすると、開口一番「実はね、与那国島で一回会ってるんですよ、僕は人と会うと顔もその時の会話も記憶してしまう人なんで」と10数年前の会話の内容を再現してみせてくれた。
むろん僕は覚えてなかったが、旧知の間柄であったことを教えられた。寡黙な風貌の奥底には人の心を開かせる柔らかな才能を秘めた、感受性の強い不思議な人。それが僕の第一印象だった。
「自分の畑に来てもらった方が話しやすいし、何よりも自分が築き上げてきたものを見て感じてほしい」「これからも人が訪ねてくるかもしれないけど、防衛省の人間も含めてこの森の中で話をしたい」と言い。そして僕はその一人目の訪問者として、彼の「ダハズ農園」でお話を伺うこととなった。

候補地に隣接する4公民館は基地建設によって生活の基盤を脅かされることに対して、集落は一致団結して反対の決議を上げている。この農場主の畑は、この4公民館のうち開南と呼ばれる、道路を一本隔てた場所に基地が建設される地区に当たる。
この畑は、もともと1990年に岡山から来たおじいが観葉植物を育てるために切り開いた畑だった。そのおがげで於茂登岳の麓に自生した巨木の所々に、先人が植えた樹が30年近い歳月をかけて育ち、石垣島の森林よりもさらに南国風の色鮮やかさがあった。巨石や石積みが所々にあって庭園のような雰囲気を醸し出している。
木方さんは、一旦は放置されジャングル同然になっていた3653㎡のこの畑を、2年かけて重機を使わずに人力だけで整備したという。
「将来はここを観光農園にして、石垣島に訪れる都会の疲れた目をした人たちが輝きを取り戻すような農園にしたい。そんなファーミングガーデンという、畑でもあり庭でもある人が集まる場にしたい。散策しながら野菜の収穫を楽しんでもらう、地に足をつけた生活を通して人を癒す場にしたい」と。現在は、花、野菜、藍を中心に育てており、この島に藍を植えて、藍を使った染色家になりたいと将来の夢を語ってくれた。

木方さんに突如訪れた陸自基地建設の話は、これまでに2月と5月上旬と5月下旬の計3回あった。防衛省の担当者とのやり取りで始まる経緯を追う。
最初2月の訪問の際に、自衛隊と沖縄防衛局の渉外担当者3名が自宅を訪ねてきた。
担当者は「土地の調査協力の依頼に挨拶に来ました。具体的な場所の選定などは未定です。」と説明したという。その時は確定はしていないが、入る入らないに関係なく調査をするとの一点張りで、自分の農園がこの候補地に入るのか不安になった木方さんは、訪問後に担当者に連絡し、自分の立会いのもとに調査をして欲しいと伝えた。しかし、連絡はなかったという。
それから3ヶ月後、5月上旬の訪問のときには「明日、調査に入ります」と突如告げられた。「明日も仕事なので日を改めて出直してほしい」と伝えたのは、どのような気持ちで自分がこの農園を作っているか現場で話したほうが伝わるかもしれないから、一緒に農園で話しましょうと考えて、重ねて立ち会いを要望した。しかしそれからも何の連絡もなかったという。
その時木方さんの奥さんは臨月に達しており、次女の出産を抱えて多忙を極めている最中での出来事だった、と回想する。

そして5月18日の地元紙「八重山毎日新聞」の紙上で自分の農園が組み込まれている、初めての具体的な配置案を知ることになった。
5歳の長女と生まれたばかりの娘を授かったタイミングで、これからも生計を立てていく土地が予定地であることを告げた防衛省の描いた青写真は、あまりにも身勝手で、私たちはこのような計画であるから進退はあなたが決めなさいと、出産後すぐに防衛省が押しつけられたことに、怒りを通り越して呆れたという。
木方さんはこの新聞報道に接した数日後、3回目に訪ねてきた渉外担当者とのやり取りを、自身のブログでこう語っている。
『私はこの非情な人権を無視した配備計画の進め方にあまりにも、おかしかことが多すぎること(物事の進め方の順番、調査を受け入れないと計画の情報が提示できない、議論が深まらないという市長と防衛局の、なんとも奇怪な論理)。市長の配備に向けた手続き開始の容認は、とうてい民意を反映したものとは言えないこと。市長及び議会推進派の独裁、独断であり市民同意の最終決定ではないこと。それを、あたかも厳然とある、曲げたり、引き返したりできない決定した事実であるかのように思わせるような雰囲気に私は添えないこと。全然、諦めていないこと。そもそも私は石垣島への陸自配備計画以前にアンチ・ミリタリズム(反軍国主義・反軍備・反軍拡競争)であること。これらのことを自分が極力、熱くならないように努めながら、渉外担当者に伝え、土地の調査の協力も、できないことを伝えて帰ってもらいました。』
その担当者に「新聞に載って知ったんですけど」と伝えると「そうなんですよね」と答えが返ってきて、「順番が違うでしょう」と言うと、「意見は拝聴しました。そのお立場なんですね」と尻尾を巻いて帰るようだったと語る。
こうして木方さんの農園は突如、地権者である本人の事前調査の同意も得ないまま、強制的な土地接収に等しい状況で予定地に組み込まれていった。

この農園にはインド菩提樹の木が一本植えてある。それは2011年にこれから生まれてくる長女の誕生を記念して植えたものだ。今では小さかった長女も5歳になり、菩提樹とともに育って10mを超える樹に成長している。
木方さんは「この農園の象徴の樹みたいな存在だね」その間家族は「いろんな季節に家族の肖像を、たくさんの写真の中に記録しました。写真の中の私たちは、いつも笑っている。いま長女は農園に行く度に大きくなっていく木を見て、わたしの木また大きくなったと、いつも無邪気に笑っている。この木を切るとき、私の木を切らないでと叫ぶ子供にどう向き合いますか。子供に説明できないことを大人がやるっておかしくないですか?」と訴える。
ある人は防衛省に売れば、土地価格が10倍になるかもよ、と囁いたりするという。しかし、木方さんはこれは自分に課せられた人間性テストかもしれない、正直生活もあるのでお金で魂を売りますか?という踏み絵のようで気が重いと語る。
でももし、木方さんが拒否したら、この場所は飛び地のようにして石垣駐屯地に刺さる平和の礎として残るかもしれない。残ったとしてもこの農園は、フェンスで囲まれた場所になると思う。だけど今はどうなるかわからない。
その時はどうしますかと、あえて僕が問いかけると、フェンスに向かって毎日歌い続けるかもと笑って答えた。彼が敬愛する人物はボブ・マレー、ジョン・レノン、忌野清志郎だという。
自分は考え得る限りの普遍的な言葉で伝えたい。子供たちには「パパは楽な方を選ばなかったよ」と、未来への責任を果たそうとしている。

前回4月の説明会に参加した木方さんは、防衛省側の広報に終始した説明会には心底絶望し、気持ち悪くなったという。
ただのCMに過ぎない防衛省が用意した災害救助などの映像を見せられた後での賛否の応酬には心底疲れた。わけても国の専権事項という言葉の横行には、なぎ倒されていく個人の尊厳に対してこれほどの侮辱があるだろうかと、防衛省の配った資料を会場で破って捨てたという。だからなるべくは行きたくないんだけどねと、苦しそうに語った。
先のインタビューの後、6月11日に行われた防衛省の「石垣島への陸上自衛隊配備について」と題された住民説明会に、再び僕は現地に足を運んだ。

防衛省、沖縄防衛局、陸上幕僚監部が出席し当局主導の説明会が行われる会場に赴くと、前回の説明会であれほどの嫌悪感を表した木方さんに出会った。カブで会場に来た彼は僕を見かけると手を上げて満面の笑みで挨拶してくれた。
戦いたいだけの人々に不信感を持っていたと、先に述べたように感受性が強すぎるという第一印象があったが、質疑応答の場ではマイクを持ち防衛省に果敢に質問を投げかける木方さんの姿があった。
しかし、防衛省の回答を要約すれば、法制上住民の同意に従う義務は制度上必要ない。「これまでと同じく、地元の方々に丁寧な説明をして、ご理解を得ながら進めて参りたい。住民投票その他での民意の表現があったとしても推進の方向を転換するかというような、仮定の話にはお答えできません」と述べるに留まった。
説明会に参加した中山義隆市長は囲み取材で「これまで以上に具体的に踏み込んだ内容だったと思う。住民が不安に思う点については、今後議論を重ねる必要があると思う」と、行政の長としては具体的に踏み込んだ発言を避けながら責任の所在を丸投げしていないだろうか。
2014年から続く中山石垣市長の市政は一事が万事このような対応で、この間に防衛省と蜜月を重ね、受け入れの下地準備に奔走してきたかのような疑念を感じる。
来年の3月には石垣市長選挙が行われる。ここで問われるのは、石垣島の100年先200年先の未来の姿を、人々が想像力を持って描けるかにかかっているのだろう。さらには沖縄や南西諸島全域への軍事シフトは、東アジアの平和までも内包した、大きな視点が日本国民にも問われている。

この農園主にある日突然降りかかった火の粉は、ひとりひとりの幸せや夢ってなんだろう、という問いを私たち自身に引きつけて考える契機ではないだろうか。
「漠然とだけれども、自分のところに来なければいいという気持ちがあった。卑怯かもしれないけど、自分の畑に手がかかってから真剣に考えるようになった。大雑把な平和主義を信奉していたのかもしれない。」
こう語る木方さんには、生後一月に満たない娘を抱えながら、これから先いろいろな心境の変化が訪れそうな予感がしている。
苦境に立たされた状況を彼はポジティブで想像的に解決していく道を模索している只中なのだと思う。それは家族への愛を通して、想いは力強く広がっていくのかもしれない。
木方さんは「子供に説明できないことを大人がやるっておかしくないですか?」と、少年のような眼差しでひとりひとり問いかけ続けるのだろう。魂の枯渇した大人に未来を決めさせてはいけない、そう思っている。




石垣駐屯地に組み込まれた木方さんの農園


防衛省の資料に重ねた図


正式名称は「ダハズ農園(仮)」右下に小さく(仮)と書いてある。文中では「ダハズ農園」と表記しました


生まれてくる娘のために植えたインド菩提樹。元氣がなくなってしまっている。


ストレチア


防衛省による陸自ミサイル部隊配備の説明会6/11




説明会で質問する木方さん


「藍を植えてください、この島に」と頼まれたので一本植樹して来ました

南西諸島全域に渡る軍事基地化の実態を調べるため、与那国島を出発し、辺野古、伊江島、鹿児島を経由して屋久島、種子島、馬毛島、奄美大島、石垣島と巡る二週間に渡る取材になりました。
南西諸島の島々がつながるネットワーク作りも同時に大きな課題になっております。休業しながら経費が15万円以上かかっています。
全国の皆さま、メディアが報じない自衛隊基地問題へのご理解とカンパでのご協力お願いいたします。

ゆうちょ銀行17010-14550421
他の銀行からは
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イノマタ テツ







  


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2017年06月04日

奄美大島 切り開かれる希少種の森 陸自駐屯地建設現場

奄美大島へ来るのはこれで2度目になる。昨年のちょうど今頃、沖縄からフェリーで北上して向かったのが初めてで、今回は鹿児島から南下して、再び奄美大島を訪れた。
奄美大島は総土地面積の84%が森林で覆われた緑の島である。同時に日本国土の0.3%に過ぎないこの島には、国内の13%の動植物が認められ、実に多様な生物たちが息づいている。
6月の梅雨に入った奄美の森は美しい。春の命咲き誇る輝きから、霧雨に烟る霧にしっとりと包まれる森は、幻想的な深みを湛えている。
前回に引き続き、私が向かったのは陸上自衛隊の駐屯地建設が予定されている、大熊地区と節子(せっこ)地区の2カ所である。
昨年はまだ工事が始まっておらず、大熊のゴルフ場と節子の養豚場跡地は、人間が人工的に作った場所とはいえ、まだ自然に囲まれた緑の空間を残していた。
その記憶の残像と現実を一年経って確かめることが必要だと思った。奄美大島が向かう世界自然遺産への道と、軍事基地化への矛盾に満ちた光と影を、たとえ定点観測に過ぎなくても、見て感じて記録に残すことだけは出来る。現実を受け止めることからしか未来は見えない。

鹿児島から朝5時にフェリーが名瀬港に入港して直ぐに大熊地区に向かった。名瀬の港を臨む高台にあり、市街地からは近い。
ここには警備部隊、地対空ミサイル部隊の350名が予定されている。
自衛隊基地計画が浮上してから3年、昨年防衛省による住民説明会が一度開かれたに過ぎない。「最近になってダンプの走る姿を頻繁に見るようになって初めて、この計画を知った、軍靴の音が聞こえるようだ」と、地元の大熊地区の人は語った。直線距離にして1km、住宅地背後の山上で進む基地建設を全く知らなかったのである。

人口増や経済効果を理由に、漠然と歓迎している島民は多いが、その詳細を知る人は驚くほど少ない。私が住む与那国島でも、石垣島でも、宮古島でも同様な計画で進められようとしているが、少なくとも多少の幅があれ、地元選挙での争点にはなっている。
昨年の参院選の際、奄美大島に来島した鹿児島選挙区の自民現職と野党統一候補の両者とも、奄美大島の自衛隊問題には一言も触れずに帰ったという。
今年の11月には奄美市長選挙が控えている。私が地元の新聞記者に「次の市長選挙で、この陸自配備の問題は、争点にすらならない可能性がありますが、どう思いますか?」と質問したところ、「そうですね、ならないかもしれませんね」という答えが返ってきた。

奄美大島の基地建設予定地には、国指定天然記念物の生き物たちも生息している。
アマミノクロウサギ、トゲネズミ、ケナガネズミ、オーストンアカゲラ、アカヒゲ、オオトラツグミ、ルリカケス、カラスバト、オカヤドカリ、などである。
防衛省は環境アセスメントを行ったというが、情報公開請求で出てきた分厚い資料は全て黒塗りであった。
「東洋のガラパゴス」と呼ばれる希少種の宝庫は、生命の進化の鍵を握る世界共通の遺産である。それが故に世界自然遺産登録への道を目指すのであれば、国民の税金を投入した学術調査も共通の財産である。基地建設有りきの既成事実のアリバイにしてはならない。

奄美大島への陸自配備に伴い、生態系へ与える多種多様なネガティブインパクトが想定されるが、多くは未知数の広がりをもって悪影響を与えるだろう。
車載式ミサイル部隊が走れる道幅確保のための拡幅工事、ロードキルの増加、自衛隊基地を照らす夜間照明(自衛隊側はテロ対策と称して基地内外を隈なく照らす)による夜行性生物への影響。基地内で使う洗浄薬品や各種油脂・塗料などの土壌浸透が懸念される。

早朝の工事現場を確認した後、瀬戸内町にある節子地区に向かった。ここには警備部隊と地対艦ミサイル部隊合わせて200名が駐屯する予定だ。大熊地区よりももっと森が深く、険峻な山道を切り開いたであろう道路の道幅は狭い。木々が覆い被さり、緑のトンネルを走るようであった。太古の森を連想させるヒカゲヘゴの群生が張り出し、田中一村が愛し好んで描いたと言われるイジュの花が濃い緑の中に白いアクセントを添えていた。

節子の工事現場付近に差し掛かると「奄美新駐屯地 敷地造成工事 入口」とそっけなく書かれた看板があるのみだった。
造成中の現場の周囲は防護壁で囲われてていて、中の様子はうかがい知れない。ここの道路を通る誰もが、ここに基地が作られるとは思いもしないであろう。奄美の深い山中で秘密のベールに包まれたまま、事態は進行している、そんな雰囲気を醸し出していた。
工事現場の入口から堂々と入って行くと、意外にも止められず、中に入ることができた。
かつて緑に咽ぶような、ある種の妖気を孕んだ森の姿はそこに無かった。
前回ここを訪れた時は、カエルや鳥のさえずりが聞こえていて、養豚場の廃墟が森に飲み込まれるかのような感覚を覚えたはずだった。
剥き出しの大地は赤茶けた土を晒し、新緑の森との極とのコントラストが痛々しかった。あまりに眼前に広がった広大な土地を見て言葉を失う。その空間だけぽっかりと音もなく、生命の気配は完全に失われていた。人間の進入を容易に許さなかった森の威厳は打ちのめされていた。
そこにはたくさんの重機と、ロボットのような人影が点々と、えらく鈍い動作で動いていたのが確認できた。

沖縄県では「赤土等流出防止条例」があって裸地を長期間野ざらしにすることは禁じられている。赤土が海洋に流出すると細かい粒子は粘液状のヘドロを形成する。それらの堆積がサンゴや藻類を死滅させるからだ。
奄美大島の行政区である鹿児島では「赤土等流出防止の進め方、防止対策方針、実施要領集」があるが、県条例ほど強い効力があるとは言い難いのが現状だ。鹿児島県は未来への責任を果たすために、早急に厳しい条例を作る必要があるだろう。

奄美大島は辺野古の埋め立てに使う岩ズリの搬出先でもある。実際に奄美を走れば、山が丸ごと削られている光景を目にすることが多い。これらの採石場から海洋に流れ込む赤土の被害は深刻な環境問題を引き起こしている。
奄美大島は世界自然遺産登録と、環境破壊が同時進行する矛盾を抱えたまま漂流し続けるのであろうか。

今年3月「奄美群島国立公園」が誕生し、2018年に「奄美・琉球」世界自然遺産登録を目指しているが、どちらも軍事施設と保護地区が隣接するモザイク状の分布になっている。
かつて「アマミノクロウサギ訴訟」と呼ばれる「自然の権利訴訟」が日本で初めて行われたのは、ここ奄美大島である。
アマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギ、ルリカケスが原告になって、住民と生き物たちが協力し、結果的にはゴルフ場建設を断念に追い込んだことがある。
今この時に人間が立ち上がらなければ、自然との共生を学ぶ生きた機会は永久に訪れないと感じている。
生き物たちからすれば、いったい何に対して、誰が、何を守ろうと言うのか?と、叫びたい気持ちでいっぱいであろう。
主体と客体がゴチャゴチャになったまま、空虚な掛け声に人が流され続けるのも、ファシズムの時代の空気を再現している。
それよりはもう一度、自然や生き物たちと手を携えて生きる方が良かろう。共存共栄に未来を探すほか、今のところ答えは見いだせていない。




大熊


大熊


大熊予定図




節子


節子


節子


節子


節子


節子


節子予定図


奄美大島にはこのようなむき出しの採石場が沢山ある。


中部採石場からの赤土流出に怒る地元の看板


イジュの花


ヒカゲヘゴの群落


防衛省のアセス








  


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2017年06月02日

乱開発と軍事化に翻弄される馬毛島

与那国島を出発し、沖縄島、伊江島、鹿児島から屋久島へフェリーで渡り、種子島から漁船をチャーターして30分、無人島の馬毛島に臨んだ。
馬毛島は米軍の空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)の候補地として狙われている。
米軍再編の日米合意に伴い、防衛省が新しい基地を米軍に「恒久的」に提供するという構図なのである。
自衛隊が大規模な南西シフトを展開する中で、南西諸島の南端の与那国島から1000kmの距離を移動して北端の馬毛島まで飛んだのは、北から南まで島々の非戦のネットワークを作らなくてはならない、そんな理由からだった。

馬毛島は鹿児島の南端と、種子島、屋久島に囲まれた周囲16kmの黒潮海流に浮かぶ小さな島である。
馬毛島の碑文によると「巨亀の背をあらわすが如きもの」と形容され、海岸線からなだらかに立ち上がる島影には、風雨に耐えた生命の力強さが感じられる。
島の標高は71mに過ぎないが、真水が湧き出し小川となって流れる不思議な島でもある。その命の水によって、固有亜種のマゲシカは繁殖し、渡り鳥や蝶の飛来地として憩いの場を提供している。
この生き物たちの中継地としての役割は、ウミガメやサンゴや藻類魚類など海洋生物にとっても同様である。
馬毛島は近接する世界自然遺産の屋久島や、南へと連なる島々の多様な生物層を支えている、生態系のクロスポイントとしての重要性を認識する必要がある。
離島というのは独自の生態系を作り出す傾向が顕著に見られるが、この島に関してはそれが豊かに色濃く再現されている。南洋の宝石のように命輝く島である。
漁獲も豊富で、地元の漁師は馬毛島を「宝の島」と呼んでおり「私たちは馬毛島に育てられた」と、子々孫々この島への感謝を忘れない。

最盛期の1959年に人口528名を数えた馬毛島の歴史は古く、市教育委員会によれば弥生時代後期に人が住んでいた「椎ノ木遺跡」が確認されており、中世に遡ると言われている三層の石塔もある。しかしながら遺跡などの実態調査は進んでおらず、歴史のタイムカプセルに封じ込められたままである。
島の頂点には海軍が作った防空監視所があって、かつて周囲を睥睨していたであろう面影を忍ばせている。戦争をきっかけに島は一旦無人島となってしまった。
その監視所は戦艦大和の沈没を見送ったと言われている。

現在の馬毛島は南北の背骨を貫かれ、東西に走るむき出しの大地を無情にも晒している。
この馬毛島に背負わされた4000mと2500mにクロスした滑走路の十字架は、2006年環境アセスメントが未実施のまま、全島の4割近い面積の森林が地権者によって皆伐された事による。
貴重な照葉樹林が伐採されてしまった結果、マゲシカにも苛烈な生存競争が起こり個体数を減らしている。
同時にむき出しの土壌から海に流れ込む土砂は北限のサンゴを死滅させ、豊かだった漁場からは魚の姿が消えつつあるのだ。
馬毛島の十字架は乱開発に翻弄され続けた悲哀の刻印であり、それを刻みつけたのは間接的に私たちの責任でもある。馬毛島クロスは聖痕(スティグマ)のように、人間存在のあり方への問いを無言で突きつけていると感じざるを得ないのだ。

馬毛島の悲劇は平和相互銀行の目論んだ石油備蓄基地構想に始まる。
1973年、高度経済成長に伴い人口減少が始まった島で、島民の頬を札束で叩くような土地買収が横行し過疎化に拍車をかけ、土地を騙し取られたと証言する住民もいる。
1980年には再び無人島になるが、島民の不在こそが最終的な目的であったのかと疑わざるを得ない。
1983年、防衛省へ自衛隊のレーダー基地に売り込みを持ちかけ暗躍。
1986年、馬毛島事件と呼ばれる政界を巻き込んだ汚職事件に発展する。
1995年、住友銀行系の太平洋クラブから立石建設株式会社(現在はタストン・エアポートに社名を変更)へと馬毛島の所有が移る。
1999年、核燃料中間貯蔵施設建設の噂が囁かれ始めた頃、馬毛島の行政区である種子島から福島県への原発ツアーに500名余が参加する。
2007年、米空母艦載機の離発着訓練の候補地としての可能性が報道される。
2016年、陸上空母離着陸訓練(FCLP)に「馬毛島が合意」という見出しで新聞各紙が報じる。しかし、地権者との金額交渉が現在のところまとまってはおらず不透明なまま現在に至っている。

以上歴史を振り返ると、島をまるごと投機対象にするという異様な土地ころがしに馬毛島は翻弄され続けている。まさに金による金の為の投機が地権者の本音であって、踏みにじられるものたちの痛みは届いていないようだ。

この再び浮上した陸上空母離着陸訓練(FCLP)の背景には、日米双方の思惑が透けて見える。
日米安全保障協議委員会(2プラス2)合意文書「在日米軍の再編の進展」によると、厚木飛行場から岩国飛行場へと空母艦載機部隊の移駐に伴い、馬毛島が検討対象となる旨が記されている。加えて、同施設は通常の訓練等のために使用され、併せて米軍の空母艦載機離発着訓練の「恒久的」な施設として使用される、とあり、維持管理は自衛隊が実施する。

防衛省の資料によれば、自衛隊の訓練地となる馬毛島での内容には、着上陸訓練やパラシュート降下訓練、陸上での展開訓練等が行われる予定だ。
また陸海空自衛隊の集結・展開拠点として物資倉庫、滑走路、港湾施設、隊員の宿舎の建設が予定されている。しかも丁寧に「大規模災害時における展開・活動」というタイトルが付けられている。
災害時馬毛島に陸海空揃い踏みで集結する必要があるかと、普通に考えればこのような嘘に騙されるはずがないのだがと疑ってしまう。
そもそも大規模災害時に、陸海空の集結場所が必要であるという議論が全国で起きていないことからも明らかである。
日本が憲法9条の専守防衛の枠を超え、自衛隊が空母を手にしたとき、ここで訓練を積んだパイロットが他国へ進攻することも視野に入れて考えなくてはならない。
いずれにしても、日米共用の基地が馬毛島に作られれば、自然海岸での着上陸訓練や陸上訓練や各種施設の建設、戦闘機の騒音などで、馬毛島の生き物たちや自然が壊滅的な被害を被ることは、火を見るよりも明らかである。
この馬毛島の問題が外に伝わりにくい一因に、米軍のために防衛省が新しく犠牲となる国内訓練地を探さなくてはならない、やましい事情があるからなのではないだろうか。
日本のメディアは、米軍の対アジア戦略や、それと並行して進む自衛隊の南西シフトの核心に触れる度、その本質を隠そうとする傾向がある。

馬毛島を違法に開発したタストン・エアポート社の責任を問うことなく、その土地を国が買い上げることにも問題があるだろう。原状回復を命じてからでなければ環境アセスメントも出来ないはずだ。そもそも林地開発法に係る鹿児島県や、森林法に係る地元自治体のおざなりな放置の責任もある。また国が指導を怠っていると、馬毛島問題に関わる西之表市議は指摘している。
未だ行政の調整や指導がないため、地主による越権的な入島拒否があって、馬毛島の有する文化や自然価値の基礎調査にすら入れない状況なのに金額交渉など、法律のプロセスを無視していると言わざるを得ない。そもそも順番が逆であることを政府に対し突きつけなければならない。

私が馬毛島で感じたある種の怒りは、島をまるごと売買の対象にすることである。それが国の一組織であれ、私企業であれ、そこに監視とモラルがない限り、密室の暴力に晒されるのは島の自然であるからだ。
それが誰にもわからないまま失われていくことに、本当の恐ろしさを感じる。
しかも、馬毛島には歴史もあり、世界に誇る沿岸生態系保全のため、国立公園に指定しようとの動きがあったほど自然豊かな島である。
豊かな自然の営みに頼りながら糧を得て来た漁師の言葉を今一度思い返してみなければならない。
「馬毛島は俺たちを育ててくれた、宝の島だ」と。
あの美しい馬毛島に戻って欲しいと、多くの人が願っているのは間違いないはずだ。




















立石神社


採石場


滑走路北側、土砂流出防護壁などの対策は見えない。[










  


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2017年05月25日

島々の軍事基地化を許さない。世界自然遺産の屋久島より。

鹿児島から高速フェリーで屋久島に着いた。フェリー乗り場で人待ちしているあいだにブラブラしていたら「屋久島 世界自然遺産登録の碑」があった。
世界自然遺産登録(ユネスコ)から連想するのが、日本政府が「奄美・琉球」として目指している奄美大島と沖縄北部などの登録である。
しかし同時に、軍事基地新設と基地機能強化の流れが並行して起きていることに目を向けなくてはならない。いち早く世界自然遺産登録を果たした屋久島から、島々の自然保護と軍事基地化の両極を問う意義がある。

昨年より高江へのオスプレイパッド建設強行が続いているし、辺野古の海大浦湾への土砂搬入が市民の反対を一顧だにする気配もなく強行している。
大浦湾への埋め立てに関しては、ユネスコの諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)が外来種の混入の危険性を指摘している。そして何よりも自然湾を埋め立てる暴挙と、やんばるの森を切り開き低周波の騒音を撒き散らすオスプレイの存在が共存できるかのような政府の姿勢がそもそものダブルスタンダードなのだ。
メディアはこの矛盾を厳しく追及し、北部訓練場変換の欺瞞を白日の下に晒すべきなのだ。

また奄美大島への陸上自衛隊新基地建設の問題も大規模な環境破壊を伴う。新基地の建設だけでも環境負荷があり、環境アセスは闇の中に隠されている。
自衛隊のミサイル部隊の大型車両が島中を走り回ることに伴い、あらゆる道路の拡幅工事が付随して起こることは想像に難くない。奄美の険峻な山道を切り開いた道路では狭すぎるからだ。
そして大浦湾埋め立ての土砂の搬出先として奄美大島の山は日々削られている。
これら軍事基地新設に伴う環境破壊は別々の場所で起こっているのではない。全て近接した自然圏での出来事なのである。

世界自然遺産登録は世界の厳しい目をもって判断される。官邸と防衛省と外務省のゴリ押しする新基地建設に、環境省が主導権を握っているとは、この国を俯瞰すれば、政府が目指していますなどという戯言が通じるはずもないのだ。
現に日本はIUCNの勧告を4度無視している。
このダブルスタンダードを平然とやってのける日本の態度は、世界が寄せている日本への信頼を失墜し続けている。この認識がなければ日本が世界を語る資格がないものとみなされる。これが世界基準の判断であろう。

「世界自然遺産登録の碑」からすぐ見えるところに自民党のポスターが貼ってあった。
自然遺産へ思いを馳せた直後、屋久島であの首相の笑顔に迎えられるとは思いもしなかった。
「おい君。自然遺産も金儲けの方便だぜ」と、薄ら笑うような笑顔に思えたのは錯覚だろうか。
気づいた人は行動しなくてはいけない。でないと、この薄ら笑いに人々が追笑で返す荒廃した社会が到来してしまうのだから。

与那国島から、基地建設に揺れる島々を巡る旅の途中 屋久島で。







  

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