与那国島に新たな基地負担。空自移動監視部隊が到着。

Moist Chocolat

2017年02月24日 00:14

沖縄が日本復帰を果たした1972年以降初めて、与那国島に自衛隊基地が発足したのは昨年の3月28日のことである。以来、この島では迷彩服で島内を歩く隊員や、公道を走る自衛隊の車両を頻繁に目にするようにになった。その光景は与那国島住民にとっては初めて目にするものであり、一年経って変貌したリアルな現実は、島民の目に可視化されることとなった。それが一人一人の心に起こす波紋がどのようなものか私には計りかねている。
日本最西端に位置する与那国島は周囲27キロの小さな島である。およそ10年にわたり水面下で進められていた自衛隊の南西シフトが反対運動を押しつぶし、1500人の島は160人の隊員と94名の家族を受け入れて現在に至る。

今朝、フェリー『よなくに』から航空自衛隊那覇基地所属の第四移動警戒隊の車両が6台ほど降りてきたのを目撃した。与那国島に住んで自衛隊基地問題に関わっていた私にとっては「とうとう来たか」という思いであった。昨年与那国島に配備された部隊は陸上自衛隊であって、航空自衛隊所属の部隊がさらに配備される予定であったことを島民も沖縄の人も本土の人もほとんど知る人はいない。それは防衛省の2011年に概算要求に明記されている既定路線だった。1500人の島に250名ほどの自衛隊の新住民が移住し、地域の自己決定権のプレーヤーとして参画することが島の未来を左右することが問題視されていたのにもかかわらず、新たに部隊の増強が行われたのである。
この部隊の概要が不明なのは情報公開請求でも明らかにされなかったが、ある専門家はこの空自部隊の総数を50名、車両12両と見積もっている。
与那国島の人口構成のうち15%が自衛隊関係者であったのが、この50名(家族は不明)の移住で早くも20%に達する。

沖縄の基地問題としてようやく辺野古や高江が巷間に問題性が指摘されてきたつかの間。すでに事態は急激に進行しているのである。辺野古は陸上自衛隊が将来的に食指を伸ばしているのは公然の事実であり、出撃部隊の米海兵隊の基地を沖縄や新しく辺野古に置くのは地政学的に無意味であるのは、数々の識者が指摘している通りであって日本の防衛ではない。辺野古と高江を何よりも欲しがっているのは、従米路線を続ける日本政府であると見なくては本質を見失う。日米安保の矛盾が最も押し付けられるのは「新基地建設反対」を唱えている沖縄のお膝元で事態はまさに進行中であり、オールドファッション宗教団体と日本版オルタライトは歴史修正という忘却の時間の洗礼を通過する過程で米国のリバランスを自主防衛に置き換える見事な虚構を作り上げた。多くの人間が目にする情報などは現場から見ればザルですくい上げた欠片でしかない。
沖縄の二紙の論調だけが健全だと思うのは、あまりにもイノセントに過ぎる。スポンサーがあって広告収入を得ている本土のメディアが構造的に総崩れになったのと同様に、タイムス・新報も篭絡の可能性は否めない。もとい、資本と権力の蹂躙が辺境の島々で官邸も含めて高笑いをしながら進んではいないだろうか。

与那国島での軍備増強は静かに進んでいる。これから防衛省のターゲットになっている島は、石垣島、宮古島、奄美大島も同様である。オール沖縄という掛け声が寒々と吹き抜けて行ったのがこれらの島々であることをどれだけの人が知っているだろうか。
安倍政権の進める戦争遂行体制に対して違和感を覚える人は是非南西諸島への自衛隊配備増強の動きに注目してほしい。何もなかった島々に軍を配備するこの動きに注目してほしい。
災厄はいつも忍び足でやってくる。慧眼の者だけがその陰影を時代の狂気と照らし合わせて語りうることが可能である。いざ有事になれば避難もままならず軍民混交の戦場に置かれる運命は先の沖縄戦を彷彿とさせる。
与那国島から見れば二重三重の底辺に位置し現地から声を上げることは権威に依ることなく伝える民の言葉である。歴史にわずかな爪痕を残すに過ぎなくても、自衛隊の配備こそが自国の行為だけを愛国と正当化してきたかつて来た戦争の道そのものであると、私は書き残すことで知見を繋ぎたいと儚く思う。