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2017年06月17日

陸自ミサイル基地に飲み込まれようとする観光農園

陸自ミサイル基地に飲み込まれようとする観光農園陸自ミサイル基地の敷地に組み込まれた農園。農園主は新聞記事に自分の土地を赤く塗って訴えた。

僕がとある石垣島の農園主のブログを目にしたのは、南西諸島の端の馬毛島から端の与那国島まで、新基地建設に晒される島々を巡る旅の途中のことだった。「藍を植えましょう、この島へ」と題するブログに添えられた写真にとりわけ引きつけられてしまった。
石垣島で進められようとしている陸上自衛隊のミサイル部隊駐屯地にすっぽりと農園を囲まれた様子は、今まさに荒波に飲み込まれようとする孤島が発しているSOSに重なって見えた。
日常が無残にも壊される事態がこのように降りかかってくるとは夢にも思っていなかったに違いない。他人事ではない憤りを感じながら、帰路の予定を変更して石垣島の農園主を訪ねることにした。

農園主の木方(きほう)基成さんとお会いすると、開口一番「実はね、与那国島で一回会ってるんですよ、僕は人と会うと顔もその時の会話も記憶してしまう人なんで」と10数年前の会話の内容を再現してみせてくれた。
むろん僕は覚えてなかったが、旧知の間柄であったことを教えられた。寡黙な風貌の奥底には人の心を開かせる柔らかな才能を秘めた、感受性の強い不思議な人。それが僕の第一印象だった。
「自分の畑に来てもらった方が話しやすいし、何よりも自分が築き上げてきたものを見て感じてほしい」「これからも人が訪ねてくるかもしれないけど、防衛省の人間も含めてこの森の中で話をしたい」と言い。そして僕はその一人目の訪問者として、彼の「ダハズ農園」でお話を伺うこととなった。

候補地に隣接する4公民館は基地建設によって生活の基盤を脅かされることに対して、集落は一致団結して反対の決議を上げている。この農場主の畑は、この4公民館のうち開南と呼ばれる、道路を一本隔てた場所に基地が建設される地区に当たる。
この畑は、もともと1990年に岡山から来たおじいが観葉植物を育てるために切り開いた畑だった。そのおがげで於茂登岳の麓に自生した巨木の所々に、先人が植えた樹が30年近い歳月をかけて育ち、石垣島の森林よりもさらに南国風の色鮮やかさがあった。巨石や石積みが所々にあって庭園のような雰囲気を醸し出している。
木方さんは、一旦は放置されジャングル同然になっていた3653㎡のこの畑を、2年かけて重機を使わずに人力だけで整備したという。
「将来はここを観光農園にして、石垣島に訪れる都会の疲れた目をした人たちが輝きを取り戻すような農園にしたい。そんなファーミングガーデンという、畑でもあり庭でもある人が集まる場にしたい。散策しながら野菜の収穫を楽しんでもらう、地に足をつけた生活を通して人を癒す場にしたい」と。現在は、花、野菜、藍を中心に育てており、この島に藍を植えて、藍を使った染色家になりたいと将来の夢を語ってくれた。

木方さんに突如訪れた陸自基地建設の話は、これまでに2月と5月上旬と5月下旬の計3回あった。防衛省の担当者とのやり取りで始まる経緯を追う。
最初2月の訪問の際に、自衛隊と沖縄防衛局の渉外担当者3名が自宅を訪ねてきた。
担当者は「土地の調査協力の依頼に挨拶に来ました。具体的な場所の選定などは未定です。」と説明したという。その時は確定はしていないが、入る入らないに関係なく調査をするとの一点張りで、自分の農園がこの候補地に入るのか不安になった木方さんは、訪問後に担当者に連絡し、自分の立会いのもとに調査をして欲しいと伝えた。しかし、連絡はなかったという。
それから3ヶ月後、5月上旬の訪問のときには「明日、調査に入ります」と突如告げられた。「明日も仕事なので日を改めて出直してほしい」と伝えたのは、どのような気持ちで自分がこの農園を作っているか現場で話したほうが伝わるかもしれないから、一緒に農園で話しましょうと考えて、重ねて立ち会いを要望した。しかしそれからも何の連絡もなかったという。
その時木方さんの奥さんは臨月に達しており、次女の出産を抱えて多忙を極めている最中での出来事だった、と回想する。

そして5月18日の地元紙「八重山毎日新聞」の紙上で自分の農園が組み込まれている、初めての具体的な配置案を知ることになった。
5歳の長女と生まれたばかりの娘を授かったタイミングで、これからも生計を立てていく土地が予定地であることを告げた防衛省の描いた青写真は、あまりにも身勝手で、私たちはこのような計画であるから進退はあなたが決めなさいと、出産後すぐに防衛省が押しつけられたことに、怒りを通り越して呆れたという。
木方さんはこの新聞報道に接した数日後、3回目に訪ねてきた渉外担当者とのやり取りを、自身のブログでこう語っている。
『私はこの非情な人権を無視した配備計画の進め方にあまりにも、おかしかことが多すぎること(物事の進め方の順番、調査を受け入れないと計画の情報が提示できない、議論が深まらないという市長と防衛局の、なんとも奇怪な論理)。市長の配備に向けた手続き開始の容認は、とうてい民意を反映したものとは言えないこと。市長及び議会推進派の独裁、独断であり市民同意の最終決定ではないこと。それを、あたかも厳然とある、曲げたり、引き返したりできない決定した事実であるかのように思わせるような雰囲気に私は添えないこと。全然、諦めていないこと。そもそも私は石垣島への陸自配備計画以前にアンチ・ミリタリズム(反軍国主義・反軍備・反軍拡競争)であること。これらのことを自分が極力、熱くならないように努めながら、渉外担当者に伝え、土地の調査の協力も、できないことを伝えて帰ってもらいました。』
その担当者に「新聞に載って知ったんですけど」と伝えると「そうなんですよね」と答えが返ってきて、「順番が違うでしょう」と言うと、「意見は拝聴しました。そのお立場なんですね」と尻尾を巻いて帰るようだったと語る。
こうして木方さんの農園は突如、地権者である本人の事前調査の同意も得ないまま、強制的な土地接収に等しい状況で予定地に組み込まれていった。

この農園にはインド菩提樹の木が一本植えてある。それは2011年にこれから生まれてくる長女の誕生を記念して植えたものだ。今では小さかった長女も5歳になり、菩提樹とともに育って10mを超える樹に成長している。
木方さんは「この農園の象徴の樹みたいな存在だね」その間家族は「いろんな季節に家族の肖像を、たくさんの写真の中に記録しました。写真の中の私たちは、いつも笑っている。いま長女は農園に行く度に大きくなっていく木を見て、わたしの木また大きくなったと、いつも無邪気に笑っている。この木を切るとき、私の木を切らないでと叫ぶ子供にどう向き合いますか。子供に説明できないことを大人がやるっておかしくないですか?」と訴える。
ある人は防衛省に売れば、土地価格が10倍になるかもよ、と囁いたりするという。しかし、木方さんはこれは自分に課せられた人間性テストかもしれない、正直生活もあるのでお金で魂を売りますか?という踏み絵のようで気が重いと語る。
でももし、木方さんが拒否したら、この場所は飛び地のようにして石垣駐屯地に刺さる平和の礎として残るかもしれない。残ったとしてもこの農園は、フェンスで囲まれた場所になると思う。だけど今はどうなるかわからない。
その時はどうしますかと、あえて僕が問いかけると、フェンスに向かって毎日歌い続けるかもと笑って答えた。彼が敬愛する人物はボブ・マレー、ジョン・レノン、忌野清志郎だという。
自分は考え得る限りの普遍的な言葉で伝えたい。子供たちには「パパは楽な方を選ばなかったよ」と、未来への責任を果たそうとしている。

前回4月の説明会に参加した木方さんは、防衛省側の広報に終始した説明会には心底絶望し、気持ち悪くなったという。
ただのCMに過ぎない防衛省が用意した災害救助などの映像を見せられた後での賛否の応酬には心底疲れた。わけても国の専権事項という言葉の横行には、なぎ倒されていく個人の尊厳に対してこれほどの侮辱があるだろうかと、防衛省の配った資料を会場で破って捨てたという。だからなるべくは行きたくないんだけどねと、苦しそうに語った。
先のインタビューの後、6月11日に行われた防衛省の「石垣島への陸上自衛隊配備について」と題された住民説明会に、再び僕は現地に足を運んだ。

防衛省、沖縄防衛局、陸上幕僚監部が出席し当局主導の説明会が行われる会場に赴くと、前回の説明会であれほどの嫌悪感を表した木方さんに出会った。カブで会場に来た彼は僕を見かけると手を上げて満面の笑みで挨拶してくれた。
戦いたいだけの人々に不信感を持っていたと、先に述べたように感受性が強すぎるという第一印象があったが、質疑応答の場ではマイクを持ち防衛省に果敢に質問を投げかける木方さんの姿があった。
しかし、防衛省の回答を要約すれば、法制上住民の同意に従う義務は制度上必要ない。「これまでと同じく、地元の方々に丁寧な説明をして、ご理解を得ながら進めて参りたい。住民投票その他での民意の表現があったとしても推進の方向を転換するかというような、仮定の話にはお答えできません」と述べるに留まった。
説明会に参加した中山義隆市長は囲み取材で「これまで以上に具体的に踏み込んだ内容だったと思う。住民が不安に思う点については、今後議論を重ねる必要があると思う」と、行政の長としては具体的に踏み込んだ発言を避けながら責任の所在を丸投げしていないだろうか。
2014年から続く中山石垣市長の市政は一事が万事このような対応で、この間に防衛省と蜜月を重ね、受け入れの下地準備に奔走してきたかのような疑念を感じる。
来年の3月には石垣市長選挙が行われる。ここで問われるのは、石垣島の100年先200年先の未来の姿を、人々が想像力を持って描けるかにかかっているのだろう。さらには沖縄や南西諸島全域への軍事シフトは、東アジアの平和までも内包した、大きな視点が日本国民にも問われている。

この農園主にある日突然降りかかった火の粉は、ひとりひとりの幸せや夢ってなんだろう、という問いを私たち自身に引きつけて考える契機ではないだろうか。
「漠然とだけれども、自分のところに来なければいいという気持ちがあった。卑怯かもしれないけど、自分の畑に手がかかってから真剣に考えるようになった。大雑把な平和主義を信奉していたのかもしれない。」
こう語る木方さんには、生後一月に満たない娘を抱えながら、これから先いろいろな心境の変化が訪れそうな予感がしている。
苦境に立たされた状況を彼はポジティブで想像的に解決していく道を模索している只中なのだと思う。それは家族への愛を通して、想いは力強く広がっていくのかもしれない。
木方さんは「子供に説明できないことを大人がやるっておかしくないですか?」と、少年のような眼差しでひとりひとり問いかけ続けるのだろう。魂の枯渇した大人に未来を決めさせてはいけない、そう思っている。




石垣駐屯地に組み込まれた木方さんの農園


防衛省の資料に重ねた図


正式名称は「ダハズ農園(仮)」右下に小さく(仮)と書いてある。文中では「ダハズ農園」と表記しました


生まれてくる娘のために植えたインド菩提樹。元氣がなくなってしまっている。


ストレチア


防衛省による陸自ミサイル部隊配備の説明会6/11




説明会で質問する木方さん


「藍を植えてください、この島に」と頼まれたので一本植樹して来ました

南西諸島全域に渡る軍事基地化の実態を調べるため、与那国島を出発し、辺野古、伊江島、鹿児島を経由して屋久島、種子島、馬毛島、奄美大島、石垣島と巡る二週間に渡る取材になりました。
南西諸島の島々がつながるネットワーク作りも同時に大きな課題になっております。休業しながら経費が15万円以上かかっています。
全国の皆さま、メディアが報じない自衛隊基地問題へのご理解とカンパでのご協力お願いいたします。

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Posted by Moist Chocolat at 16:24│Comments(0)
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