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2016年05月25日

奄美大島、陸自配備予定地へ行く



奄美大島で進む陸上自衛隊基地建設の取材に入った。
ネットでも新聞報道でも奄美の基地に関する情報は異常に少ない。それが、実際に見てこようと思ったきっかけでもあった。

まず、何か所かある候補地の一つが節子(せっこ)と呼ばれる奄美大島の南部にある瀬戸内町の現場。
地元の協力者を得て、どこに何が作られるのか探るために車を走らせた。

奄美大島は険峻な山岳地系にある島で、平地が少なく山間に切り立った道を行かなくてはならない。
ほぼ限界集落に近いのではないかと思われる節子にたどり着くと、小学校の廃校があった。地域にはまだ住民が住んでいるのだが、小学生などを持つ家庭は廃校に伴い、すでに別の地域に転出しているのではないかと思われた。奄美大島で漠然と言われているのは、節子の集落の上の山にある養豚場の跡地に自衛隊基地が作られるよ、との口伝であった。

地域の人に道を聞き山道を進むと、節子最終処分場の看板が見えてくる、それをさらに上に登れば、昔の養豚場があるはずだから、そこが基地建設予定地とのことであった。
ここ、奄美大島では自衛隊配備を巡っての住民説明会は未だない。先に瀬戸内町町長選挙が行われ、その後の補選でも自衛隊誘致を掲げた候補が当選するなど、選挙が住民の意思表明の場でもなく受け入れられたのだろうと、巨大公共事業に翻弄される自治体によくある賛成反対のプラカードなどはなく、果たしてこの集落にそのような大きな問題が降りかかったのであろうかと錯覚するほどに、静かな集落であった。

教えてもらった通り、ペンキの禿げた木製の最終処分場の看板があり、山頂への細く荒れたアスファルトの道路を登っていくと、整地された敷地があった。そこを見ただけでも山がちの地形にしては何らかのあらかじめ用意された平地に雑草が少し茂っているだけであった。しかし、今のところそこが陸上自衛隊の配備されるミサイル基地になるのか、どういった用途での土地収用を図っているのか全く分からない。何も分からないままひとしきり車上から見た後、さらに上への道があるので進んだ。
頻繁な交通など皆無な気配を漂わせる道路を300mほど登りながら進む左手に、金属の骨組みを残した廃墟が見えた。入口はチェーンで封鎖されていた。ちょうど霞がかかり始め、静立する廃墟の荒い骨組みの列を迷いながら、徒歩で探索の手を伸ばそうかと迷いあぐねていたとき、入口にダイハツのジープが止まった。

誰もいない静けさの中で突如現れた車に、全身からざわっと警戒のシグナルが走った。陸の孤島で出会った車二台。止まった車の中の男二人は水色の少しこぎれいな作業服を着ていた。片方はiPadをもち、こちらをうかがいながら片方は携帯で電話をしている。
近づいて話しかけることを選んだ。
タイミングを見図らい近づいてガラス越しに、少し困った顔をしながら声をかけた。
「役場の方ですか?」
「いえ違います」
「養豚場の関係者ですか?」
「いや、調査できています」
「ここが自衛隊の基地建設予定地になると聞いてきたのですが、ご存じですか?」
「ああ、それならここです」
「下にも大きな敷地がありましたが、あそこは何ですか?」
「あそこは残土処分場で、工事で出た土砂を置いておくための場所です」
と、あっさり答えてくれた。
「山ん中でここしか電波が通じないから来てるんですよ」
と、お互いになのか、一方的な警戒感を抱きすぎたのかよくわからないまま、とりあえず奄美大島で陸上自衛隊が基地建設の候補地として選んでいる跡地に無事にたどり着くことができた。
しかも、あやふやな口伝ではなくて、調査員から教えてもらったという結末。

今は静かに、人の接触を拒むような山頂にある廃墟が、再び人間の手で開発というラッシュに沸くことはあるのだろうか。
しかし、ここに施設を作ろうとしているのは、現実世界に於いては確かなのだ。
現場を見てきて、時間と空間を超えたような山奥で何が起ころうとしているのか、現在の触覚からはわからない。とにもかくにも実際の養豚場にに跡地にたどり着くも、全く不思議な感覚であった。















Posted by Moist Chocolat at 17:50│Comments(0)
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